小津夜景
ほんのささやかな喪失を旅するディスクール
三白眼のおとめごころや寒プリン
脅迫文書かずにいるよ日向ぼこ
エレキいざ鎌風となることもなし
とこしえと賭しあい冬のシェスタかな
絵屏風の倒れこみたいほど正気
食べごろのふゆいちご焼べ旅ごころ
さぼてんの棘抜かれある冬座敷
わが機知のホットケーキを撫で斬りす
マント脱ぐ劇的溺死かたどって
文献学(フィロロジー)凍みいる路地のノマドかな
もしも
もしも、なんて可能性がまだ残されているなら
わたしは言葉をしらないわたし想像するだろう
ふ そんなのできるわけないんだけど
実らなかった恋くらい
終わってしまった愛くらい
その可能性はここからずっと遠いところにある
そして今のわたしは
人さえ言葉で愛すのだ
さて
いきなり話はとんで
さいきんロラン・バルトの
『恋愛のディスクール・断章』を読んでいる
このあいだ新品のダッフルで
外出したときバザールで見つけた
クリスマス用のあれみたいな
金銀のリボンのついたバーゲン品
実は
手にするのは高校生の時以来のこと
前回読んだときは
ああ!なんてバブリーなチャラい本!
と、おもわず壁に投げつけてしまったのだが
そのときの状況をくわしく思い出そうとしていたら
ちょうど家のストーブを修理してくれる職人が来た
コーヒーを出し
大人の会話をして
終わりました、と言われるまでがまあけっこうな時間
代金を支払い
コーヒーカップを下げ
スーパーにゆき
帰ってきてさあ仕事だと思ったのもつかのま
うっかりユーチューブを開いてしまい
ここからしばらくカンフー映画を検索しつづけ
と、そんなことをやってたらいつしか
もともとあったようななかったような
突発的シチュエーションだったせいか
ぜんぜん思い出せなくなってしまった
ぜんぜん思い出せない、ということは
当時のわたしが「見た目は軽いけど、中身は良いよ」
なんて実は人に言ってたかもしれないってことで
というかもうそんな予感はありありで
高校生の怖いものしらずってほんとうに恐ろしい
パソコンを閉じ
風に吹かれているベランダのふきんを眺めつつ
ふと本をめくると《苦悩・不安》の章にこんな台詞
いいかげん、喪の予感に怯えるな。
おまえはその愛を、とっくに失ったんだ。
おそらく
実らなかった恋の果てに
終わってしまった愛の果てに
わたしは
言葉で人を愛するすべを学んたのだ
朝も夜も
言葉がわたしを風変わりに慰めるとき
わたしもとまどいながら言葉に触れる
こわごわ愛し
そして愛され
シーニュの流れの中で目をつぶり
あるいは目をつぶされ
そのまま《どこかへ連れ去られること》をのぞみ
いや《むしろいっそ葬り去られること》をのぞみ
と、アンリ・ミショーが
こんな《》っぽい感じのことを
どこかで書いてたと思うんだけど
(ついでにいえば
わたしは言葉で人を愛すってのも
実はほとんどジョークなんだけど)
昔と変わるところのない自分なのに
今や多くのものを失い
失うということもとっくに知っている
そのことだけはほんとう
思いがけず旅していた
わたしの
いっぽんのえぼしなまこの道(タオ)ありき
しまきわが喪(ほろび)の租界かんぶりあ
青写真なみだのうみにうみなりが
ラジオなぜ冬ざれゆくのサ・セ・パリへ
狩りくらやメメント・モリをいねむりす
もがりぶえ殯の恋をまさぐりに
血だまりがふゆぞらを去るじんわりと
しろながすくじらのようにゆきずりぬ
神去らばひとりよがりの陽だまりだ
性懲りもなく愛という煮こごりを
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2013-12-15
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