2014-06-01

空蝉の部屋 飯島晴子を読む 〔 22 〕小林苑を

空蝉の部屋 飯島晴子を読む

〔 22 〕


小林苑を

『里』2013年5月号より転載

わたくしに烏柄杓はまかせておいて  『平日』

『平日』は、七十五歳の誕生日にと前書きのある <竹馬に乗つて行かうかこの先は> で始まり、< 丹田に力を入れて浮いて来い > で終わる。竹馬と浮いて来い、どちらも玩具で遊んだ子ども時代を思い出させる、老いと向き合う句である。

あとがきは、娘の後藤素子が記し、「ここに母に生前より頼まれておりました遺句集を出すことになりました」とある。最後の句集を準備して、平成十二年六月、晴子は自ら生涯を閉じる。

俳壇に衝撃を与え、多くの追悼文が書かれ、特集が組まれた。すべてに、何故という問いかけが滲む。栗原浩のインタビューに応えた中で〔※1〕、後藤素子は「母から『断念』という言葉を聞かされました」と語っている。

櫂未知子は、『未完なる老い』と題する晴子論〔※2〕で、自死直前の作で話題になった < 大空にぽつかりと吾れ八十歳 >  < ミモザ咲きとりたる歳のかぶさり来 > を紹介し、後者を晴子句としては異色とし、花材の選択を挙げる。晴子は「華といえば野の花。それもわびしげなものをとりわけ好んだ。華やかな花を句の素材として選ぶ時は、むしろその痛々しさを中心に詠むためだった」のに、このミモザのは違うと言う。

そして、「もう一点、過去の歳月を回想していることが挙げられる。回顧回想は、基本的に晴子の世界ではない。さらにもう一点、音読してみるとよくわかることがある。それは、この句全体のもったりとした音感と、まつわりつくような内容のもどかしさであり、これはそれまでの飯島晴子の句にはあまりなかったものである。それは、かつて< 老い放題に老いんとす>と詠んだ作者自身、予想せず、また読者も想像していなかった現実の老いの厳しさゆえだったのかもしれない」と語る。

老いはすべての人間に訪れるが、生きることが平等でないのと同じように、すべてに等しい老いがやって来るわけではない。病を得ることで、晴子の老いには翳りもあった。あくまでも毅然と美しくありたい人には厳しい現実だ。断念という決断、自死という選択は生きる側にあるのであり、晴子はそのように生き切ったのだ。

話題の句集『カルナヴァル』の作者、金原まさ子は百二歳だという。俳句形式を存分に楽しみ、どう老いるかという命題を掲げることなく、毎日をハレの日として遊ぶ。百歳の句集のタイトルは『遊戯の家』。タイトルのように、生きることのあれこれを面白がる。読み手にとっては、老いにまとわりつくネガティブな意匠から自由であることが心地よい。

晴子になかったのは茶目っ気かもしれない。健康的で楽し気な一面は十分にあるけれど、やはり生真面目な優等生なのだ。もしかしたら、と想像してみる。健康に恵まれて百歳になった晴子は、あらねばならない私から解放されて、悪戯な目を輝かせたかもしれないと。そんな晴子に出会ってみたい。でも、晴子は晴子らしく生きたのだ。

掲句は小気味よい。こう言われたら。おまかせするっきゃない。いかにも晴子らしい一句。 句意はよくはわからないけれど、単純にこの花のことは私がすべて知っているわよ、とそれこそ見得を切っているのだと思いたい。烏柄杓が気に入ったということであり、私だけのものと言いたいようでもある。

烏柄杓の実物は見たことはないが、写真で見ると確かに鳥の首を思わせる柄杓型で、晴子の好きそうな植物である。別名、半夏、狐の蝋燭、蛇の枕と、こちらも魅力的な呼称で、野にある花だ。

岡井隆は晴子の哀悼に掲句を挙げ〔※3〕、「なににしても、飯島さんが亡くなって居られるのでは、はかない話だが、それでも歳時記などひきながら、カラスビシャクの句とつき合つてゐると、たのしく慰められる。カラスビシャクではなく『烏柄杓』と書かねばならない。そういう句である。これは植物の名であって、しかもそこに、烏が棲んでゐる。烏が、柄杓に使ひさうな肉穂花の、その外の総苞である。あれは、水は汲めまいが、烏ならあれで汲みさうだ。ほんたうは、カラスビシャクは雑草として庭や畑に生えて来るので、この草の駆除は、わたしにまかせておいてよ、といってゐるみたいでもある。この柄杓で水を汲むのは、常人にはできないだらうから、このわたしめにおまかせ下さいと申しでられたやうな気にもなる」という。

この一文は「 < そのうちに隠れ住みたき鴛鴦の沼 > と言ひながら、鴛鴦の沼ならぬ彼岸へ、旅立つて行つてしまはれた」と結ばれる。鴛鴦からは夫恋も感じられる。『平日』には < 父母祖父母はや赤蛙浮かぶ沼 > という句もある。この句から、以前取り上げた < わたくしを呼ぶ父よ蛭と泳ぎ > を思う。晴子にとって、沼は血脈と出会う場所なのだろう。決して明るくはないが、土俗的な安らぎがある。沼は私に、かって日本人みんなが住んでいた家屋の薄暗さを思い出させる。


〔※1〕『続俳人探訪』文學の森 二〇〇九年二月 
〔※2〕『セレクション俳人―櫂未知子集』邑書林 二〇〇三年五月 
〔※3〕『飯島晴子読本』収録 「飯島晴子といふ俳人」

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