【八田木枯の一句】
春ふかし鰥といふはさかなへん
西原天気
年老いて孤独であることは、悲惨であった。妻を失った老夫を鰥(かん)といい、夫を失った老婦を寡(か)という。西周後期の金文である毛公鼎(もうこうてい)に、すでに鰥寡の語があり、『詩経』にもその語がみえている(以下略)卑近な話をすれば、夫に先立たれた女性は生き生きと元気に「第2の人生」を送り、対して、妻に先立たれた男性はどうしようもなく意気消沈のまま余生を過ごすケースが多いという。
白川静『漢字 生い立ちとその背景』(1970年・岩波新書)
春ふかし鰥といふはさかなへん 八田木枯
「鰥」という字の「魚」の部分に思いを至らせる。やもめ暮らしの悲哀を、なにか事揚げて句にするのではない。心情を吐露するのでもない。
粋です。
なお、白川によれば、鰥という字にある「魚」は古く女性の象徴、つくりの部分は涙の意味。女性に涙するのが「鰥」という字の起こりらしいとある。
この漢字一字に「涙」が込められているのでした。
それにしても、この「春ふかし」という季語の絶妙なあんばい。じんわりとしみてくる句としか言いようがありません。
掲句は『鏡騒』(2010年)より。
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