2015-06-14

俳句の自然 子規への遡行43 橋本直

俳句の自然 子規への遡行43

橋本 直
初出『若竹』2014年8月号 (一部改変がある)


引き続き、子規の新体詩について検討する。はじめに付言しておかねばならないが、子規にはもともと深い漢詩の素養がある。子規の祖父大原観山は松山藩の藩儒であり、父親が早世した子規は、この祖父に可愛がられ、漢学の薫陶をうけて松山時代から漢詩を詠んでいた。

しかし、子規自身がどう思っていたかは別にして、彼らの少年期に急激な西欧化の反動で一時的に漢籍の学習ブームがあったりもしたが、漢詩を愛好したのは主に江戸以来の知識教養の系譜に連なる人であったし、何より西洋近代文明としての新しい文学、近代にふさわしい韻文を求める人々の心性には、漢詩など旧時代の遺物にしか見えなかったかもしれない。

なるほど漢詩は、古代からの上流階級の嗜みであり、すべて漢字で構成され、平仄(発音の決まり)に従って使うべき漢字も決められており、また、句末に韻を踏む必要もあった。だが、日本人が漢詩を作る場合、多くは「中国語」としての音読部分を知識的操作でこなし、発語する場合には日本語で訓読することになったはずである。そこで訓読表記した「漢詩」は、もはや平仄も脚韻もないわけで、その元の形態の枠を払って俯瞰してみれば、実はその後近代に行われた文語自由詩とくらべてみて大差はない。しかし、そのできあがったものを応用する発想が主流になることはなく、漢詩から新体詩へ、という流れは、伏流するにとどまる。

さて、前回触れたように、子規は新体詩の作成を試み、作品の後に「世の所謂新體詩家見て何似の評言かある、里人必ず自ら主張あらん。」と書いている。当然、この段階で子規は、新体詩について一言もの申すつもりであったろう。実際にこのあと子規は、明治三十年三月の「日本人」に越智処之助の筆名で「新體詩押韻の事」という一文を発表し、押韻を軸とした新体詩論を立てているのであるが、その問題に分け入る前に、改めて子規の新体詩と、当時の新体詩の状況と、子規の新体詩への世評を、「子規全集」第八巻を中心に確認しておきたい。

前回内容を紹介した「鹿笛」は、典拠となる一句から詩へしたてた作品であったが、子規の新体詩の多くは、叙景詩や時事詠(機会詩)であり、時に俗謡風の試みも行っている。例えば、「小蟲」というタイトルの連作詩 (「日本人」明治二九年九月五日)は、「胡蝶」「虻」「蜻蜒」「蜂」という四つの八行からなる小品で構成されていて、それぞれで春夏秋冬になっている。ただ似ている、というだけでは作品成立の連関性を云々はできないけれども、四季別になっている上に、個々の作品をみると確かに子規の俳句を思わせる。例えば、

     胡蝶
   一本菫物思ふ
   ゆふべ胡蝶の舞ひ落ちぬ
   しきりに蝶はさゝやきつ、
   嬉しげに花はうなづきつ。
   仮の契りに紫の
   露やこぼして別れけん。
   再び蝶は帰り来ず、
   菫は終に萎みけり。

これは、以前(第二〇回)に引用した、

  神の子の菫の露を吸ふ画かな(三十一年)

この「神の子」は蝶をさす(同記事参照)。掲句の「画」は未詳だが、同じ画から想を得た可能性を感じる。また、

     蜻蜒
   ほがらかに照る秋の日に
   赤き衣を輝が(ママ)せ
   蜻蜒群れ飛ぶ其下に
   晴れて筑波の山低し。
   頭を西につらねつゝ
   共につい行きつい戻る
   穂なみ揃へし田の上に
   其影落ていそがはし

この詩は、すぐに子規の代表句の一つ、

 赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり (明治二七年)

を想起させよう。

詩中に句読点があるのは表記も含めて過渡的であった故であろう。これらの作品は叙景詩としては決して悪くはないのではないだろうか。そして俳句→新体詩、または、新体詩→俳句という発想が子規の中にあったことも見て取れるように思われる。その意味で言えば、これらは俳句的、写生的な表現の叙景詩ということができる。

また、これらの詩では、明確な法則性をもった押韻はないが、「胡蝶」の頭脚とも母音にU音が多く用いられ、「蜻蜒」は頭母音はA音とO音のみ、脚母音はI音とU音で八行中七行となり、音の使い方が意識的になされた可能性がある。さらに子規は、この後明瞭に押韻をもたせた詩作をはじめる。例えば、「老嫗某の墓に詣づ」の冒頭の四行を引くと、

   われ幼くて恩受けし
   姥のなごりの墓じるし
   せめては水を手向けむと
   行くや、湯月の村の外
         (「日本人」明治三〇年一月二〇日)

このように、この詩は二行一組で同母音の脚韻を反復していく構造になっている。


〔付記〕
前々号(41回)までの本連載の初出表記に誤りがありました。第11回の初出を『若竹』2011年12月号としてありますが、当月は休載し、第11回は翌2012年1月号の掲載です。以降ひと月ずつ繰り下げるのが正しい回数となります。謹んで訂正いたします。

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