成分表66
猫背
上田信治
「里」2012年8月号より改稿転載
妻が、食卓で、なにか考えている顔をして、食べる手を止めている。と思ったら、ふと立って台所へ行き、胡椒を持って帰ってきた。
「何かひと味と思っていたのか」と聞くと「そうだ」と言うので、そのまんまだと思って笑った。
『ねこ背は治る』という本が、書店に並んでいたので、買った。
そのことを人に話すと笑われる。それはもう、そこまで笑うかという勢いで、笑われるのだ。
笑う人たちの意見を総合すると、要するに「それは本では治らないだろう」ということらしい。そして何より「そんなに猫背を気にしていたのか」ということが、爆笑モノであるようだ。
猫背の人が、猫背を治したいと思っている。そのことのどこが爆笑か。あなたはそれを、難病に苦しむ子どもたちに言えますか。
水洟をたらした人がちり紙を買いにきたら、面白いだろうと思って、そういう漫画を書いたことがある。
水洟の人が電球を買ったほうが面白いようにも思って、そういう俳句を書いた。
水洟の人が買うちり紙と電球、どちらにより驚くべきか。けっきょく自分の中で結論が出ない。
猫背の人が猫背を治したいと思うことは不思議ではない。しかし、人が「猫背を治したいと思っていること」が、相当可笑しい。もし、人が猫背を気にしていなかったら? それも、とてもおかしい。
人の気持ちが分かるということは、笑える。
人の心は壺のようで、だいたいの形は分かっているのだけれど、中に何が入っているかは見えない。その見えない壺からときどき「ちゃぽん」と変な音が聞こえるから、可笑しい。たぶん、そういうようなことだ。
老人が日傘をさして来りけり 今井杏太郎
無声映画の一場面。浮浪者風の男が、建物に寄りかかるかたちで立っていて、警官がその男をあやしいやつだと引っぱっていこうとする。男は抵抗するのだが、ついにその場を引き離される。と、彼が支えていた背後の建物が崩壊する。──ああ、そうだったのか、と観客は笑う。
私たちのこの世界もまた壺のようで、だいたいの形は分かっているけれど、中は見えない。そして、ときどき、ちゃぽんと音がする。
今井杏太郎は、繰り返し「猿が木から落ちること」ではなく「猿がするすると木に登ること」の不思議さに驚くべきだと書いた。今井さんなら、ちゃぽんすら面白すぎると言うかもしれない。あるいは、ちゃぽん鳴り止まず、と言われるか。
ちゃぽんの音を聴くことは、感情以前のかすかな波立ちに気づくことで、そうやって、人の心は、この世のものやことの、見えない内側にふれるのではないか。
桐の木が一本あつて夏野かな 今井杏太郎
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8 comments:
水洟をたらした人がちり紙を買いにきたら、面白いだろうと思って、そういう漫画と、それから俳句を書いたことがある。俳句のほうは、水洟の人が電球を買ったら面白いように思って、そう直した。
もしかして原案、この句ではないすか?流出したかも。
水洟がちゃぽんと店のちり紙に
直したほうも・・・。
水洟やちゃぽんと店の電球に
どこで見かけたかは書きませんね。
「エグ背は治る」いいみたいですよ。
句ハラ格調子先生もほめておられました。
※先週、散文を「週刊俳句」に投稿したけど無視。今週は下記作品を掲載拒否。西原さん、どういうことなのですか?てきとーにここに書き込みますね。
『僕の仕事はパパラッチ』10句
七月五日恋愛性の泥酔す
七月七日恋愛病棟にてKiss
ホッチキスで留め投げるKiss触るるKiss
サングラス太陽系の少女たち
サングラス海洋性の真白き歯
日産のブルーバードと夏の海
南風ブルーラグーンにも生死
林間学校ウィンクされしと子のメール
シャワーから雫の音のせぬベッド
サングラス出水麻衣撮る金曜日
先週?ですか?
メール届いておりません。
本業が編集の方として、なんとかご連絡いただきたかった。
先週の散文については昨夜までに。
今週の投句については昨夜中に。
2、3年前?ですよね、投句を受付なくなったのは。
なぜですか?俳句のサイト?ですよね?
俳句的ですかねw
その他、原稿は日頃から募集しておられましたし。
重複として削除・・・についてもひと言ご連絡くださるべきです。
抗議のコメント欄使用ですから。
掲載の可否をお決めになるグレーゾーン、
現在の国会とか、安倍首相の言い逃れとか想起してしまいます。
風通しのよい開かれたサイトっぽいことよくお書きになってませんでしたか?
なにが不都合?公開して読者の判断を仰ぎませんか?
手引き≫http://weekly-haiku.blogspot.jp/2007/04/faq.html
Q: 誰が書く?
A: どなたでも。
書きたい人が書きたいことを書きたいときに書く、が基本です。
具体的には、編集子からの打診(こんなん書いてくれません?)で執筆という場合と投稿(こんなん書く/書いたけど?)と2つのプロセスがあります。
※俳句作品の投句は受け付けておりません。こちらからの執筆依頼により寄稿いただいています。
Q: 何を書く?
A: 「週刊俳句」というからには、俳句にまつわることが記事の条件になりそうですが、「週刊俳句」は実は度量が広い。俳句とかけ離れた話題でも、「俳句的」とみなせば載せてしまいます。そのへん、とてもいいかげんです。
Q: ほんとに内容はなんでもいい?
A: そういわれれば、若干、条件がありますね。
こういう記事は掲載しない、という考えは持っています。
列挙しましょう。
1.何が書いてあるのか、わからない記事常識的に判断させていただきます。
2.特定組織・特定個人への非難
批判と非難は区別します。批判はもちろんオッケーです。
ただし、あまりに論理的一貫性を欠く批判、品位を欠く筆致をともなう批判はご遠慮願います。
3.対象を特定しない批評・批判
たとえば「某」やイニシャルで対象をうやむやにした批判・批評、婉曲表現で対象を曖昧にした批判・批評は載せません。理由は、対象とされた相手や関係者が反論できないようなのはダメよ、ということです。
このくらいです。
あ、それと、テーマが、あまりにも「週刊俳句」にそぐわない場合、ご勘弁を。
投稿の場合は、書く前に、テーマだけでもお伝えいただくとうれしいです。
Q: 書き下ろし以外の記事もあるようだけど?
A: はい。転載もします。主に結社誌・同人誌からの転載です。これも、こちらからお願いする場合(アレ、おもしろかったから、転載させて)と、執筆者からの転載依頼の場合(こんなんあるけど、どお?)の2つのプロセスがあります
6月21日 8:50 に uushiki66@×××× 宛て返信させていただいています(いただいたメールへの返信先アドレス)。再送(本日7月5日 6:44)も、同じメールアドレスに送らせていただいています。
ここに返信せよ、というアドレスがありましたら、メールでお知らせください。
なお、タイムラグはご理解ください。「いついつまでに返信・返答せよ」というご希望には残念ながら添えません。
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>投句を受付なくなったのは。なぜですか? とのご質問ですが、
主たる理由は、「手間がかりすぎるから」です。
●
「公開して読者の判断を仰ぎませんか?」というご提案ですが、
寄稿いただいた散文、およびそれに対するこちらのメールを
コメント欄などに公開、というご希望でしょうか?
散文ならもうこのコメント欄に投稿したらいいんじゃないですか
成分表のこの記事についてのコメントは、
その記事のコメント欄で結構ですが、
記事と無関係なコメントは、
感想・告知ボードにどうぞ。↓↓↓
≫http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/03/413_57.html
西原氏は毎月曜、(私から見れば)下のような「菅井きん」短歌を某所にアップしてらっしゃいます。おもしろくないです。それにひきかえ今週の安里さんの句はい・い・なー。後記で依頼の舞台裏についてぐだぐだ書いてますが、どーゆー?“純粋”な読者や確か昨年?の講演会と無関係なコメントはもっと!もっと!
母のぎん俳句を詠めば菅井きんつばを吐き捨て「啖呵ぺっぺ~」
月曜はブランチキメる床磨く映るきん顔百万石
新造の国粋趣味か菅井きん新国立競技場誉める
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