天牛
曾根毅句集『花修』を読む
宮本佳世乃
なんでカミキリのことを天牛って言うんだろうね?
なんででしょう、牛に似ているからかな。
●
曾根毅さんの第一句集『花修』には平成14年から平成26年までの俳句が収めてある。20代後半から40歳までの13年間は、青年が社会的役割を拡大させていく、いわゆる大人になっていく期間だ。彼においても、仕事の内容も大きく変わっただろうし、家族形態も変化しただろう。いろいろ引き受けざるを得なかったことも多いだろう。その13年のなかに、東日本大震災、それに続く福島原発事故が起きた平成23年があった。本句集の7割は、平成23年以降の句であり、震災や原発事故の影響が色濃く感じられる。
さて、この句集には平成23年より前も、死や死の周辺を詠んだと思われる句が散見される。
くちびるを花びらとする溺死かな(「花」平成14年~17年)
滝おちてこの世のものとなりにけり(同上)
さくら狩り口の中まで暗くなり(「光」平成18年~20年)
葉桜に繋がっている喉仏(同上)
死を人称で考えると、「一人称の死」は、私の死だ。「二人称の死」は私とあなたといったレベルでの、あなたの死。「三人称の死」は自分の外に客観的にある、自分とは直接関係のない死である。そういう意味で、「一人称の死」において、私は私の死を経験できない。自分が経験する死は、いつも他人の死なのである。
では平成23年以降はどうだろう。
十方に無私の鰯を供えけり(「蓮Ⅰ」平成23年~24年)
生きてあり津波のあとの斑雪(同上)
我が死後も掛かりしままの冬帽子(同上)
耽美主義ともいえるような、質感的な死の捉え方だったものが、震災を機に明らかに変化している。「三人称の死」もしくは「死体そのもの」から、「一人称と二人称の間の死」になっているのだ。
私たちにとって、災害や事故という意味での危機的状況は、突然やってくる。まさに「遭遇」してしまうのである。これらの俳句は、自分の力ではいかんともしがたい危機的状況に遭遇したからこそ、震災以前とは質の違う実体を伴うこととなったのではないか。さらに、「詠むべき主題」がありありと立ち上がっている。
萍や死者の耳から遠ざかり(「蓮Ⅱ」平成25年)
徐に椿の殖ゆる手術台(同上)
狐火のかすかに匂う体かな(「蓮Ⅲ」平成26年)
これらの句は、見えない何かが作中主体に入り込んでいるようだ。あたかも「あと数日の終末の道行を歩む《自分》」が「今現在の《自分》」に侵入してくるようにみえる。つまり、「一人称と二人称の間の死」が一人称の《自分》に向かって「ある」、ということだ。句の世界に入り込むと、ときに時空がわからなくなってくる。
死は経験不能であり、かつ主観的である。さらに、「今日」というものには「明日」への一歩が含まれている。
はたして、あなたはどこに「ある」のか。
●
天牛は防空壕を覚えていた(「蓮Ⅱ」平成25年)
天牛の眼が遊び始めたる(同上)
2015-07-19
天牛 曾根毅句集『花修』を読む
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿