2015-09-13

【週俳8月の俳句を読む】「灯台のこころ」 守屋明俊

【週俳8月の俳句を読む】
「灯台のこころ」

守屋明俊



テレビから音出て黴のコンセント  宮﨑玲奈

コンセントの黴に目が行ったことと、点けたテレビから音が出たこととが瞬時に脳裡へインプットされた。コンセントは電気の差し込み口。小さな部屋では机や不要な物などに隠れていて、その黴に気付くことは滅多にない。その手入れの行き届かない部屋で暮らしている作者は、或る日或る時、テレビがコンセントに繫がっていることを自覚し、初めて黴の存在を知ったのだろう。そして、黴のコンセントに繫がるテレビから出る音を訝しげに聴く。屋上のテレビアンテナで鴉が鳴くとテレビの画像が揺れるのではなかろうか、と莫迦なことを思うことがあるが、コンセントの黴がテレビに感染したらどのような音が漏れてくるのか、これは作者に尋ねてみたい。テレビとそのコンセントを黴が取り持った、味わいのある一句。


みづからに百日紅の日々を課す
  藤井あかり

自らに~を課すという意思。作者はその対象を「百日紅の日々」としていて、並々ならぬ決意を示す。「百日紅の日々」というのは暑いさなかの長い日々のことだろうから、月並の句であれば「暑に抗す」あたりでお茶を濁すところだが、「百日紅の日々」となるとそのニュアンスはもっと広い。百日紅の深い紅がこの句に華を添えているのが何とも魅力的で、悩んでも、落ち込んでも、この浮世を生きていこうという若い作者の意思が感じられる。


バス停の蚯蚓を踏んでゐた時間  大塚 凱

蚯蚓を踏んでしまった一瞬。それはバス停留所でのことだった。「踏んでゐた時間」は短かったにも拘らず、後になってみると長い時間蚯蚓と触れ合っていたかのように思えた。一日を振り返ってみて、他のどんなことよりも蚯蚓を踏んだその時間を愛しく感じたのだろう。誰に言うでもない、自分の胸にしまっておくべき小さな出来事に過ぎないのかも知れないが、そういう細やかな時間を大切にする作者が羨ましい。それと、この句からは過去の「踏んでゐた時間」に対する「今の時間」、今の作者が見えてくる。バス停留所で見た風景の中に、蚯蚓を踏んでいた自分を見つけた作者。踏んだという行為がどんどん過去のものとなっていく、その現在の自分に向き合っての一句だと思う。


灯台のこころで露の駅に待つ  大塚 凱

「灯台のこころ」の詩情。この出だし(短歌でいう「初句」)は極めて唐突で、冒険的である。「灯台のこころ」って一体なに? と読者に考えさせるだけのインパクトがある。作者の思う灯台がどのようなものか知らないけれど、筆者なら先ず、下北の尻屋崎にある尻屋埼灯台を思い浮かべる。粛々と霧笛を鳴らし、懸命に海を照らす白い灯台。嵐に負けず、ひたすら冷静で、情があって…そういう心で待つのが「露の駅」。不器男の句に「わかものゝ妻問ひ更けぬ露の村」があるが、作者の方は「露の駅」。冷えびえとした夜の駅。灯台さながら、透明感ある心に灯を点し、ひたすら何を、誰を待っているのか。幻想的な句である。



第432号 2015年8月2
宮﨑玲奈 からころ水 10句 ≫読む
第433号 2015年8月9
柴田麻美子 雌である 10句 ≫読む
第434号 2015年8月16
青本瑞季 光足りず 10句 ≫読む
第435号 2015年8月23
藤井あかり 黙秘 10句 ≫読む
大塚凱 ラジオと海流 10句 ≫読む
第436号 2015年8月30
江渡華子 目 10句 ≫読む
中山奈々 薬 20句 ≫読む
中谷理紗子 鼓舞するための 10句 ≫読む

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