自由律俳句を読む 112
「平松星童」を読む〔1〕
畠 働猫
なみだふきながららくがきしてゐる 平松星童
れつれつとふるゆきのあわあわとふるゆきとなって、つもる 同
青いスポットにうちふしたおどり子の、死というような時間 同
しきりにちるにてそのおくへあるきいろうとする 同
生死ただ雪ふる中に火のともる 同
<略歴>
平松星童(ひらまつ せいどう、1926-1987)
父が医者であり、自身も医大へ進むが次第に文学に傾倒する。
1942(昭和17)年に17歳で層雲に参加。以降1949(昭和24)年まで岡野宵火や滝山重三といった同年代の仲間とともに活躍した。同時期の北田千秋子(現:随句社社主、北田傀子)らとともに「浪漫派」と呼ばれた。
層雲を去ってからは、児童演劇や脚本執筆に専念した。昭和四十四年に層雲に復帰するが、活動期間は前後の期間を通しても十年足らずであった。
もう2年前になろうか。
句友である矢野錆助より彼の所属する「草原」の結社誌への原稿依頼を受けた。
それが今回紹介する平松星童の鑑賞文だった。
当時の自分は、自由律俳句に取り組み始めてまだ1年ほどであり、平松星童についても初めて名前を聞くような状態だった。
到底原稿など書けるわけもないだろうと思いつつ、錆助より送り付けられた星童の句集をとりあえず開いてみた。
すぐに錆助の意図を理解することができた。
なんとなく自分の作る句群と共通の特徴があるように感じたからである。
その特徴とは、まず長律と言われる、比較的長めの句が多いこと。
そして、十分な音数を割いて主観を隠さず述べるところである。
また、テーマとなる部分もよく似ているように感じた。
当時の自分は、ただ闇雲に作句していた時期であり、表現すべきものは心中に溢れ返っていた。しかし、放哉や山頭火、もちろん又吉とも自分の作るものは違っていて、日々、「これでいいのか?」という自問と孤独を感じていた。
そんなときに同じ傾向、方向性を持つ俳人、平松星童を知れたことは、大きな救いとなった。
この場を借りて改めて錆助には礼を述べたい。
どうもありがとう。
さて、星童の句である。
今回は、その特徴である長律、そして浪漫派たる由縁である主観がよく表れている句を選んだ。
なみだふきながららくがきしてゐる 平松星童
叱られた子供であろうか。何か悲しいことがあったのか。
情景は涙で鼠を描いた雪舟の逸話を思い出させるが、その逸話が「描くこと」への執着を示していることとまったく逆の句意を持つ。
この句では、「らくがき」の部分が作者の主観である。
それが真剣な絵ではなく、落書きであると断じている。
それによって、「なみだ」すなわち悲しみが対象の人物の心情を占めるものであり、「らくがき」はそれを隠す、あるいは誤魔化すための手遊びであると表現しているのである。そうすることでかえって悲しみが強調されるのである。
れつれつとふるゆきのあわあわとふるゆきとなって、つもる 平松星童
「れつれつとふる」「あわあわとふる」が主観である。
ともに、自らの心情を乗せるために新たに創り出されたオノマトペである。
冬の一日を雪を眺めて過ごしたのであろうか。
降る雪の変化を、伝えたいという欲望が、こうした言葉を生むに至ったのか。
漢字を当てはめるならば、「冽冽」「淡淡」であろうか。
青いスポットにうちふしたおどり子の、死というような時間 平松星童
「青いスポット」は句集のタイトルにもなっている。
直喩表現「死というような」が主観である。
舞台の始まりであろうか、それとも終わりであろうか。
おそらくは、バレエであろう。
スポットライトの中、次の瞬間の躍動に備えて伏せているバレリーナ。内に火を秘めたストップモーションの緊張感。
躍動こそが舞台上での生命であり、その始まりや終わりに訪れる静寂と静止を「死」と表現しているのだろう。
舞台上で役者は役を演じる人形であり、演じているときだけ生命を吹き込まれるものということかもしれない。
死を描くことでより生々しい生を、舞台の上での輝きを強調しているのである。
しきりにちるにてそのおくへあるきいろうとする 平松星童
散るのは春の終わりの桜であろうか、秋の落ち葉であろうか。
「あるきいろうとする」が主観である。意志を表している。
花が、あるいは紅葉が散る「奥」とはどこなのだろうか。
季節を遡ろうというのか、それとも先へ進もうというのか。
春の情景ととれば、美しい桜のトンネルを思う。
しかし、紅葉の句と見れば、これは来る冬への覚悟の句ともとれる。
「奥」とは冬であり、色彩が真っ白な雪に覆い隠される世界である。
そこで心中に火を燃やしながら生きる。
そうした意志、覚悟が表現されているのだろう。
生死ただ雪ふる中に火のともる 平松星童
星童の句には、「雪」と「月」、そして「火」がよく詠まれる。私はかつて雪月火の詩人と評した。
雪や月に比して、火の頻度は低いのだが、前二者の冷たく清冽な世界に投げ込まれた火の熱さは強烈な印象となって句を輝かせる。
それは、句群から想像される星童の人物像とも重なる。
ときに冷たささえ感じさせる涼やかな男だったのではないか。しかし、その内面には赤々と情熱の火が燃えていたに違いない。
この句はまさにそうした星童自身を詠んだ句のように思える。
自由律俳句における活動期間は、前後期合わせて10年足らずであった。
自身の内に燃える火を表現する手段を狂おしく求め続けたのだと思う。
彼の火は、より饒舌に語れる場として、舞台や児童演劇の世界を強く希求したのだろう。
* * *
私見ではあるが、自由律俳句におけるもっとも真摯な鑑賞方法とは「連れ句」であると考えている。
前述した、錆助に依頼された原稿執筆の際も平松星童の句50句に連れ句を試みた。
連れ句は、まず相手の描き出した情景を同じように見なくてはならない。その感動の中心を見極めなくてはならない。これには読解力が必要である。受容と共感、そして敬意がなくてはならない。
その読解を前提として、今度は自らが表現をする。
その際には、相手の見た情景から時間的、空間的に離れてもよい。同じ情景から異なる感動を見つけてもよい。
相手の句に片足を置きながら、どこまで遠くへ行けるかが勝負とも言える。
すなわち、連れ句とは、他者理解と自己開示なのである。
人間同士の関係においてこれ以上の幸福な関係性があるだろうか。
これが私の、連れ句を最も真摯な鑑賞方法と思う理由である。
前述した50句の連れ句は、星童を識るための試行であった。
結果としてその世界観を垣間見ることができたと思うし、自分自身を客観的に理解することもできた。
次回は、星童の句とそれに対する連れ句である拙作を並べて、私の考える連れ句のメソッドについて触れたいと思う。
自句を並べるのは非常に手前味噌で恥ずかしいのだが、この連れ句という方法こそ、自由律俳句を楽しむ最善の方法であるとも考えるので、それを伝えるために敢えて行うものである。後ろ指を指さないでほしい。
次回は、「平松星童」を読む〔2〕。
なみだふきながららくがきしてゐる 平松星童
れつれつとふるゆきのあわあわとふるゆきとなって、つもる 同
青いスポットにうちふしたおどり子の、死というような時間 同
しきりにちるにてそのおくへあるきいろうとする 同
生死ただ雪ふる中に火のともる 同
<略歴>
平松星童(ひらまつ せいどう、1926-1987)
父が医者であり、自身も医大へ進むが次第に文学に傾倒する。
1942(昭和17)年に17歳で層雲に参加。以降1949(昭和24)年まで岡野宵火や滝山重三といった同年代の仲間とともに活躍した。同時期の北田千秋子(現:随句社社主、北田傀子)らとともに「浪漫派」と呼ばれた。
層雲を去ってからは、児童演劇や脚本執筆に専念した。昭和四十四年に層雲に復帰するが、活動期間は前後の期間を通しても十年足らずであった。
もう2年前になろうか。
句友である矢野錆助より彼の所属する「草原」の結社誌への原稿依頼を受けた。
それが今回紹介する平松星童の鑑賞文だった。
当時の自分は、自由律俳句に取り組み始めてまだ1年ほどであり、平松星童についても初めて名前を聞くような状態だった。
到底原稿など書けるわけもないだろうと思いつつ、錆助より送り付けられた星童の句集をとりあえず開いてみた。
すぐに錆助の意図を理解することができた。
なんとなく自分の作る句群と共通の特徴があるように感じたからである。
その特徴とは、まず長律と言われる、比較的長めの句が多いこと。
そして、十分な音数を割いて主観を隠さず述べるところである。
また、テーマとなる部分もよく似ているように感じた。
当時の自分は、ただ闇雲に作句していた時期であり、表現すべきものは心中に溢れ返っていた。しかし、放哉や山頭火、もちろん又吉とも自分の作るものは違っていて、日々、「これでいいのか?」という自問と孤独を感じていた。
そんなときに同じ傾向、方向性を持つ俳人、平松星童を知れたことは、大きな救いとなった。
この場を借りて改めて錆助には礼を述べたい。
どうもありがとう。
さて、星童の句である。
今回は、その特徴である長律、そして浪漫派たる由縁である主観がよく表れている句を選んだ。
なみだふきながららくがきしてゐる 平松星童
叱られた子供であろうか。何か悲しいことがあったのか。
情景は涙で鼠を描いた雪舟の逸話を思い出させるが、その逸話が「描くこと」への執着を示していることとまったく逆の句意を持つ。
この句では、「らくがき」の部分が作者の主観である。
それが真剣な絵ではなく、落書きであると断じている。
それによって、「なみだ」すなわち悲しみが対象の人物の心情を占めるものであり、「らくがき」はそれを隠す、あるいは誤魔化すための手遊びであると表現しているのである。そうすることでかえって悲しみが強調されるのである。
れつれつとふるゆきのあわあわとふるゆきとなって、つもる 平松星童
「れつれつとふる」「あわあわとふる」が主観である。
ともに、自らの心情を乗せるために新たに創り出されたオノマトペである。
冬の一日を雪を眺めて過ごしたのであろうか。
降る雪の変化を、伝えたいという欲望が、こうした言葉を生むに至ったのか。
漢字を当てはめるならば、「冽冽」「淡淡」であろうか。
青いスポットにうちふしたおどり子の、死というような時間 平松星童
「青いスポット」は句集のタイトルにもなっている。
直喩表現「死というような」が主観である。
舞台の始まりであろうか、それとも終わりであろうか。
おそらくは、バレエであろう。
スポットライトの中、次の瞬間の躍動に備えて伏せているバレリーナ。内に火を秘めたストップモーションの緊張感。
躍動こそが舞台上での生命であり、その始まりや終わりに訪れる静寂と静止を「死」と表現しているのだろう。
舞台上で役者は役を演じる人形であり、演じているときだけ生命を吹き込まれるものということかもしれない。
死を描くことでより生々しい生を、舞台の上での輝きを強調しているのである。
しきりにちるにてそのおくへあるきいろうとする 平松星童
散るのは春の終わりの桜であろうか、秋の落ち葉であろうか。
「あるきいろうとする」が主観である。意志を表している。
花が、あるいは紅葉が散る「奥」とはどこなのだろうか。
季節を遡ろうというのか、それとも先へ進もうというのか。
春の情景ととれば、美しい桜のトンネルを思う。
しかし、紅葉の句と見れば、これは来る冬への覚悟の句ともとれる。
「奥」とは冬であり、色彩が真っ白な雪に覆い隠される世界である。
そこで心中に火を燃やしながら生きる。
そうした意志、覚悟が表現されているのだろう。
生死ただ雪ふる中に火のともる 平松星童
星童の句には、「雪」と「月」、そして「火」がよく詠まれる。私はかつて雪月火の詩人と評した。
雪や月に比して、火の頻度は低いのだが、前二者の冷たく清冽な世界に投げ込まれた火の熱さは強烈な印象となって句を輝かせる。
それは、句群から想像される星童の人物像とも重なる。
ときに冷たささえ感じさせる涼やかな男だったのではないか。しかし、その内面には赤々と情熱の火が燃えていたに違いない。
この句はまさにそうした星童自身を詠んだ句のように思える。
自由律俳句における活動期間は、前後期合わせて10年足らずであった。
自身の内に燃える火を表現する手段を狂おしく求め続けたのだと思う。
彼の火は、より饒舌に語れる場として、舞台や児童演劇の世界を強く希求したのだろう。
* * *
私見ではあるが、自由律俳句におけるもっとも真摯な鑑賞方法とは「連れ句」であると考えている。
前述した、錆助に依頼された原稿執筆の際も平松星童の句50句に連れ句を試みた。
連れ句は、まず相手の描き出した情景を同じように見なくてはならない。その感動の中心を見極めなくてはならない。これには読解力が必要である。受容と共感、そして敬意がなくてはならない。
その読解を前提として、今度は自らが表現をする。
その際には、相手の見た情景から時間的、空間的に離れてもよい。同じ情景から異なる感動を見つけてもよい。
相手の句に片足を置きながら、どこまで遠くへ行けるかが勝負とも言える。
すなわち、連れ句とは、他者理解と自己開示なのである。
人間同士の関係においてこれ以上の幸福な関係性があるだろうか。
これが私の、連れ句を最も真摯な鑑賞方法と思う理由である。
前述した50句の連れ句は、星童を識るための試行であった。
結果としてその世界観を垣間見ることができたと思うし、自分自身を客観的に理解することもできた。
次回は、星童の句とそれに対する連れ句である拙作を並べて、私の考える連れ句のメソッドについて触れたいと思う。
自句を並べるのは非常に手前味噌で恥ずかしいのだが、この連れ句という方法こそ、自由律俳句を楽しむ最善の方法であるとも考えるので、それを伝えるために敢えて行うものである。後ろ指を指さないでほしい。
次回は、「平松星童」を読む〔2〕。
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