2015-11-29

【八田木枯の一句】梟を抛らば皃の崩れけむ 角谷昌子

【八田木枯の一句】
梟を抛らば皃の崩れけむ

角谷昌子


梟を抛らば皃の崩れけむ  八田木枯

第六句集『鏡騒』(2010年)より。

ギリシャ神話のアテナと同じと考えられる女神に、ローマ神話のミネルヴァがいる。この女神が連れている梟は知恵の象徴とされる。ヨーロッパの学舎や図書館で梟の彫塑を見かけるのも、知恵のシンボルとして貴ばれるからだ。西洋で親しまれてきた梟は、ペットとして近年ことに人気がある。映画「ハリー・ポッター」で白い梟が手紙を運ぶ姿は愛らしく、飼う人が増えてきた。だが、肉食である。し排泄物の掃除が大変で、なかなか手がかかるらしい。

日本ではどうかというと、かつては親を喰う鳥と思われ、異名の「不幸鳥」「不孝鳥」などと呼ばれていたことがあった。真夜中に地の底から響くような低い声で啼くので、どことなく不吉なイメージがまつわりつく。(余計なことだが、自分は寝床であの声を聴くと、なんだか安らいで眠りに落ちることができる。だが、そんな句を作ったら、イメージが違うと退けられたことがあった。)「梟首(きょうしゅ)」とは「獄門」であり、斬罪にされた囚徒の首を刑場にさらしたことだ。むかし、村はずれの丸太の上に梟の首を掲げて魔を除けたと聞いたことがある。凶をもって凶を制するということだろうか。

一方、「不苦労」「福老」などの字を充てて、縁起のよい鳥とすることもある。さまざまな梟の置物が売られていて、コレクションしている人も多いようだ。吉兆もしくは凶兆、両方の意味合いをもつ梟は、どうも捉えどころがなく、ミステリアスだ。

掲句の「梟」は、なにやら凶兆のようでもある。梟首された頭をボールのごとく放り投げれば、「皃(かお)」がぼろぼろと崩れてしまう。頭蓋骨さえ残さず霧散してしまい、実体はなにも残らない。森の奥から、かすかに底冷えするような声が洩れてくるだけだ。人々が眠りにつくと、夢魔となってそれぞれの夢の中に、音も立てずに現れる。寝汗をかいてはっと目覚めたとき、すでにどんな夢だったか忘れてしまっている。だが、顔をかすめたなにかの羽の感触だけが、わずかに夢の名残をとどめているのだ。

木枯の梟の句には、ほかに〈梟がみじかき着物きせくれし〉〈梟をいぶかしめたるお竈さん〉〈闇を以て闇を磨けり梟は〉〈梟や父恋へば母重なり来〉がある。禍々しいイメージばかりでなく、どこか懐かしさがある。木枯は泉下で、梟に導かれ、ご両親にまみえていることだろう。


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