2016-01-31

【八田木枯の一句】寒鯉の頭のなかの機械かな 角谷昌子

【八田木枯の一句】
寒鯉の頭のなかの機械かな

角谷昌子


寒鯉の頭のなかの機械かな  八田木枯

第六句集『鏡騒』(2010年)より。

句会で木枯の句を採ると、木枯は肩をくっくっとすくめて「いい選ですね」と微笑んだものだ。この句の作者だと名乗ったときの、木枯の茶目っ気たっぷりの表情と皆の驚きがなつかしい。

「寒鯉」は水底に沈み、みじろぎもしない。いかにも比重の重い金属の塊が横たわっているようでもある。「頭のなかの機械」の発想には驚かされるが、奇を衒ったという感じはない。それはどこかに説得力があるからだ。寒鯉の金属片で鎧ったような墨色の鱗や金属の小箱のごとき、がっしりした頭部をじっと見ていると、だんだん仕掛けられた機械が頭に内臓されているような気がしてくる。この機械は、からくり人形のような高度な動作を可能にするのではなく、単純な動きならばできるようなものだ。機械の中の歯車が回転するのだが、鯉の尾鰭をかすかに動かしたと思ったら、すぐに止んでしまう。そして鯉は水の重さにひたすら堪えるのだ。

そういえば、横光利一の『機械』の中に、仕事で劇薬を使う話がでてくる。金属を腐食させる塩化鉄を使っているうちに、強烈な刺激で皮膚や組織が侵され、頭脳にまで影響を及ぼしていってしまう。そんな「危険な穴」に落ち込む人間は、作中人物の言うように、この世の中で有用ではないとしたら……この句の機械仕掛けの鯉は、劇薬に頭脳を侵食された無用の人間の転生の姿かもしれない。何層もの水の最下位にひっそりと過去の記憶も持たずに生をつないでいる。そしてときどき、頭の中の機械が軋み音をたてて働くと、鯉の口から辛そうなあぶくが水面に上がってくる。あぶくが水面ではじけるとき、鯉が人間だったときのことばが、ひそかに一つ、二つと空中に散乱してゆく。

木枯の「寒鯉」の句はほかに〈寒鯉を飼ひ筆舌を尽しけり〉〈墨いろはうごかざるいろ寒の鯉〉があるだけだが、やはり掲句には及ばないだろう。

私の住む近くに井の頭公園がある。現在、環境改善のため、二回目のかい掘り中なので、池の大きな「寒鯉」を観察することはできない。その代わり、干上がった池底を廻るダイサギやアオサギの闊歩や群れ飛ぶユリカモメが見られる。カルガモが小魚を食べることも、初めて知った。ブルーギルやブラックバスなど外来種が駆除され、鯉も運び去られた。お茶の水の源流にゆったり泳ぐ巨大な真鯉はもう戻ってこないのか……頭に機械の埋め込まれた鯉も無用のものとして一緒に処分されたのかもしれない。


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