2016-04-03

俳句の自然 子規への遡行49 橋本直

俳句の自然 子規への遡行49

橋本 直
初出『若竹』2015年3月号 (一部改変がある)

引き続き、子規の俳句分類である「分類俳句全集」乙号について検討する。

前回、乙号は子規が季語を軸とした俳句分類甲号を進めるうちに目についた、季語以外の語を集めたものと述べた。言い換えれば、それは近世の俳人達が季語以外で俳句に何を詠み込んできたのかの貴重な記録ということにもなるだろう。

読んでいくうちに気づいたことだが、子規は、その作業手順として取り出した言葉の意味内容が、必ずしも単語の意味としてそぐわない場合でも一応拾っているようである。例えば「筒もたせ」や「七不思議」。

  出替りや伏見の里の筒もたせ   正長(雑巾)
  妻故に鹿や鐵炮の筒もたせ    安政(洗濯物)
    七賢ノ繪に
  ふる人の繪や若竹の七ふしき   立圃(空礫)

先の二句はどちらも一読で句意が判然としないが、おそらく先行する何らかの作品や同時代の時事・俗信などを踏まえて作句しているのであろう。特に後者の「筒もたせ」は、どうもいわゆる「美人局」のこととは思われない。筒をもたせ、の意ではないだろうか。

また「七不思議」も、いわゆる世界七不思議ではない。江戸時代には各所で「○○七不思議」と呼ばれるものが作られたようであるが、この句は前書に「七賢ノ繪に」とあるので、それらでもないようだ。いわゆる竹林の七賢を何らかの趣向で面白く描いたものと推測されるので、七不思議と用いてはあるが、世に言う「七不思議」とは異質なものと思われる。

やや文脈から逸れるが、これらのことから考えてしまうのは、いったいこれらの句は誰に向かって詠まれたのか、ということである。よく言われる「座の文芸」という観点に立てば、句は当座の人々、いわば内輪にさえわかればそれで良いのであり、それ以外の人に対しては、もし刷られて世間に出ても、分かる人には分かればそれでよい、という思想・態度なのであろう。

一方、子規以降の近代の詩としての俳句が求めるジャンルの独自性と詩としての普遍性の中では、例えば芭蕉なら、芭蕉句のそのような部分にばかり日が当たる形で「古典」としての芭蕉像が形成された感がある。実際にはこの両者は「不易流行」的なものとして絶えず揺らぎながら俳句を枠付けるのであるが、俳壇を含め昨今の様々な文化領域で指摘される「小宇宙化」は、俳句に置いてはこの近世の態度と同じような現象となるのか、似て非なるものなのかを考えることはなかなか興味深い。

文脈を戻す。このように子規は様々な語を拾ってゆくのであるが、その中からここでは「病」を例にとり検討してみたい。これは以前、数回にわたり、子規の病とその句について述べた(第一〇~一三回)ことによる。

分類によれば、近世の「病」に関する語の詠み込まれた句は、「病」九句、「病上がり」一句、「腫物」二句、「疱瘡」五句、「はしか」二句、「吐血」一句、「中風病」二句、「痢病」一句、「脚気」一句、「眼病」一句、「頭痛病」五句、「腹病」二句、「恋病」一句、「熱気病」一句、「虚労病」二句、「瘧」三句、「水瘧」一句、「痔」一句、「疝気」五句という風である。数はそうないものの、江戸時代にも様々な種類の病を句に詠み込んでいることがわかる。また先の例で示したとおり、子規はとにかく言葉で分類しているので、「病」の句群においても、テーマがそれとは限らない句もある。例えば、「今宵もや風呂屋へ通ふ疝気猫」(ハ町「蕉尾琴」)。この句には「恋病」の前書があり、字面通りに受け取れば、いわゆる「恋猫」が「疝気」(下腹部痛)にもめげず、恋する相手のところである風呂屋に鳴きに行くのを詠んだ句で、病は滑稽の小道具であり人間の病でもない。

さて、さらにこの中から絞り込んで注目したいのは、子規自身にも関わる「吐血」と「頭痛病」の句である。

  山口にちりし栬は吐血哉     作者名無(毛吹草)
  春風や顔薄赤き頭痛病      闌更(三傑)
  春風は柳の髪の頭痛哉      武重(犬子)
  時鳥くべき宵也頭痛持      在色(談林十百匀(ママ))
  鶯や朝茶にかへぬ頭痛持     水流(江戸弁慶)
  寐さめとし水雞になるゝ頭痛持  苦吟

吐血の句では、以前、「時鳥」句を検討したとき(第二四回)に甲号から引いた「血を吐いて思ふあたりの時鳥」(来山)を乙号では入れていないので、子規が見落としたか、純粋に「吐血」という単語のみに絞ったかのどちらかになる。他の語では必ずしも語を固定して収集している訳でもないので、前者かもしれない。また、以前触れたように、頭痛の句は子規にも以下の四つがあった。

  花散て此頃はやる頭痛哉     明治二十六年
  行く春を鉢巻したる頭痛かな   明治二十七年
  蝉鳴て殘暑の頭裂くる思ひ    明治三十年
  花に酔ふて頭痛すといふ女哉   明治三十一年

この江戸の句と子規の句を比べてみると、前者は、例えば「春風」に「薄赤」や「柳」という風に、季語に合わせ、ある趣向を生むことを狙った中に「頭痛」が使われているが、後者は、経験的かつ、記録的な用い方をしているのではないかと思う。そしてその主体が作者かはっきりしない句があるのは共通していよう。

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