【八田木枯の一句】
酸つぱけれ三橋敏雄夏男
田中惣一郎
酸つぱけれ三橋敏雄夏男 八田木枯
『天袋』(1998年)より。
会ったことがなくすでに死んでいる人とは現実には会いようがないが、文字は書いた人が死んでいようが生きていようが変わらず読めるものだから、死んでいる人のことも書いたものを読めば何となくその人を知ったような気になってしまう。
けれど文字で何を書くかは書く人次第なので、それで何がわかるかは書かれたこと次第なのである。人が何をどう書いて、書かれたものの有り様がどうなるかというのは人によりまちまちなので、書かれたものからはっきりとわかり見えてくる本当のことの見え方もまたまちまちだ。だから書く人のことを別の書く人が書く、というのは違った視点から現実を思い起こさせるという点で重要だ。太陽の光が当たらないところに別の光を投げかけるような。
何を書こうと書くまいと現実に起こることは変わらない。書かれるか書かれないか、起こるか起こらないかである。
ありありとにおいがわかる記録文学としての一句。
2016-06-26
【八田木枯の一句】酸つぱけれ三橋敏雄夏男 田中惣一郎
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