2016-07-10

自由律俳句を読む 144 「鉄塊」を読む〔30〕 畠働猫


自由律俳句を読む 144
「鉄塊」を読む30

畠 働猫


今回も「鉄塊」の句会に投句された作品を鑑賞する。
第三十一回(20152月)と第三十二回(同3月)から。

文頭に記号がある部分は当時の句会での自評の再掲である。
記号の意味は「◎ 特選」「○ 並選」「● 逆選」「△ 評のみ」。



◎第三十一回(20152月)より

酔う義務感じるコップ酒 武里圭一
△そんな酒もあるのでしょうね。(働猫)

楽しく飲める酒ばかりではないよね。わかります。



目をそむけていろ枯木 武里圭一
△枯れ木に対してこう呼びかけるような何事が行われているのだろうか。あるいは過去に行われた事象に対して目を背けたまま風化してゆく様子を揶揄しているものか。(働猫)

「枯木」に擬人法を用いているのか、何かの隠喩として用いているのか。
私も彼に枯木と思われぬようにしたい。



いつかくる黒檀の日々 武里圭一
この句にも「スカイリムの黒檀装備どうのこうの」という評を当時つけたはずだが、ブログには反映されていないようだ。
スカイリムは今も断続的に続けている。
一生フスロダしていきたい。



頬凍らして歩道橋で煙草吸うなど 武里圭一
△「など」が何なのかさっぱりである。余韻あるいは想像をさせる効果を狙ったのかもしれないが、「など」の前に全て言い尽くしてしまっている。(働猫)

「など」が「~など」の意味か、「~(する)なんて」の意味なのかとり辛く感じた。「頬凍らして」に詩情があるが、終わり方がもやっとしてしまった印象だ。



はや昔日の先月を羨む 武里圭一
●漱石辺りが書いた散文の一節を抜き出したようだ。現代人が言っているとすれば、句っぽいような気もするが。この句も、言っている以上のことが何も無い。(働猫)

武里はこの頃、変化の時期であったのだろうか。
その情緒の整理が不十分であったように思う。



冬の日射しに寝入る遅刻 馬場古戸暢
△気持ちはわかるが時間を守れないのはくずである。(働猫)

私も時間を守れない方だ。
約束の時間より早く着くことが嫌で、ぎりぎりまで家を出ない。
結果いつも自己嫌悪しながら、目的地まで急ぐことになる。



子の声三つ駆けて行く夕暮れ 馬場古戸暢
◎どこか昭和の懐かしさを感じさせる。そして寂しさも感じるのは郷愁か、私自身の孤独のせいか。(働猫)

良句。この回では白眉であろう。



股引知らない子がヒートテックはいとる 馬場古戸暢
△時代の移り変わりですね。(働猫)

人生は短いようだが、こうした時代の変化を感じるとき、ついその人生を振り返ってしまう。ずいぶん遠くまで来てしまった。



冬空あおく湯気の向こう 馬場古戸暢
△露店風呂かな。気持ちよさそうですね。(働猫)

温泉いいですね。
これはよい景だ。



失くしたもの思い出す夜が明ける 馬場古戸暢
△なにもかも当たり前過ぎる。これでは日記だ。(働猫)

これもやはり不眠の句であろう。
休まるべき頭が痛いほど冴えていく感覚は知っている。
「当たり前」と感じるのは、その経験がある者だけなのかもしれない。



◎第三十二回(20153月)より

春爛漫糞で滑った痕がある 小笠原玉虫
△春らしいと言えなくもない景。痕を残した者も発見した者も、それぞれの飲み会の帰りであろうとはじめは考えたが、いまどき街中では糞には出会えないものかもしれない。そうするとこれは牛馬の糞。牧歌的な田園風景を詠んだ句であるのかもしれない。(働猫)

私の故郷は北海道の小さな町であり、林業と酪農が主産業であった。
父方の祖父の家は酪農家であったので、盆などにそこへ行くと、牧場が遊び場になった。
最近の牧場は非常に衛生的である。しかし昔はそうではなかった。
したがって糞で滑った痕もあり、糞の山に腰まで埋まったこともある。



みんなが癒えたあとで転んだ 小笠原玉虫
△古代日本には「持衰(じさい)」とよばれる役割を担う者があった。魏志倭人伝に次のような記載がある。「倭の者が船で海を渡る時は持衰(じさい)が選ばれる。持衰は人と接せず、虱は取らず、服は汚れ放題、肉は食べずに船の帰りを待つ。船が無事に帰ってくれば褒美が与えられる。船に災難があれば殺される。(現代語訳:Wikipediaより引用)」 このように周囲の穢れを引き受けるものは現代においても自然と存在するように思う。この句において「転んだ」者もまたそういった者なのであろう。(働猫)

持衰的な性質を持つ人というのは確かにあるように思う。
優しさや思いやりの気持ちが強いがゆえに、あるいは病気になり、あるいは心を病んでしまう人を何人も見てきた。
自分自身もそうである。
思えば父もまたそうした人種であったように思う。
年間3万人とも言われる自殺者の中には、どうように持衰として穢れを引き受けて逝った者が多く含まれているのだと思う。
それだけの犠牲者を出してもなお、日本という船を覆う災厄は祓われることがないようだ。



薬ふやして平日押し流している 小笠原玉虫
△わかります。(働猫)

「やり過ごす」ということがどれほど難しく、心を重くするか。
真面目な人間ほど、それを悪だと信じて、自分を甘やかすことができない。
自らの築き上げてきた自我、アイデンティティが、自分自身を苦しめてしまう。
そのような苦しみには、どんなに困難に思っても、「休むこと」、「やり過ごすこと」を覚える以外に対処法がない。
よくわかる景である。



虹色の首のドバトの不衛生 小笠原玉虫
△ああ、「糞で滑った痕」はこの句とセットであったか。糞を残したものも滑ったものもドバトであったと。(働猫)

不潔なものに美を見出すという方向性とは真逆で、一見美しく見えるものに汚さを見出している句である。
上の薬の句もそうだが、世の中への絶望にも似た心の疲労を感じる。



男の霊は右に憑く南無降三世尊明王 小笠原玉虫
○おもしろい。ムーとか恐怖新聞で育った世代だからな。宜保愛子とか織田無道とかの世界観だよね。(働猫)

私もオカルトが好きな世代でね。



どこにもいないわたしはわたしだけでわたしとなってここにおることにはおる 武里圭一
△春の混乱がよく表れているか。木の芽時という感じがする。(働猫)

「わたしいがいわたしじゃないのあたりまえだけどねっ」という曲が発売されたのは同じ年の4月であった。武里はゲスの先を行っていた。



内へ収束する蒲団 武里圭一
△宇宙の 法則が 乱れる!(働猫)

ネオエクスデスです。



ボードレールだ! こんな夜には 武里圭一
△はるちゃんはシェイマルズを薦めるだろう。(働猫)

シェイマルズは謎の作家である。検索しても多くを知ることはできないだろう。



ためいきできえたマッチ 武里圭一
●ムード歌謡かマッチ売りの少女か。あたりまえすぎないか。(働猫)

昭和である。
この句を若い武里が詠んでいることがおもしろい。
人の感性などは、時代によってそれほど変わるものではなく、その出力の方法が、時代によって変わるのだろうと思う。
武里はその若さにかかわらず、その出力方法が現代的ではないのだろう。
これはいずれ持ち味、句風となっていくものであろうと思う。



凝っと見ていた海にloversに笛 武里圭一
●「lovers」って。寺山修二とかなんかその辺の影響かな。違和感があり過ぎで気持ちが悪い。「笛」がオチなら面白かったのに、「lovers」が台無しにしている。チャンイーモウも「HERO」がすごく良かったのに「lovers」で台無しにしていたでしょう。「lovers」は鬼門なんですよ。(働猫)

必殺剣の名は「十歩一殺」。実にいい名である。
トニー・レオンが色気のある実にいい演技をしていた。



メガネ拭く背中にハロゲンヒーター 馬場古戸暢
△ぼんやりと赤い光を受けている情景だろうか。その光と、眼鏡を外した視力の弱さから、どことなく不安定な心情を描写しているようにも思う。(働猫)

北海道共和国ではハロゲンヒーターでは熱量不足であり、あまり普及していない。
ぼんやりした暖房と視力の弱さをうまく対比している句である。



夕暮れ迫る部屋に親指の爪 馬場古戸暢
○爪切りのときに飛んだ爪をふと発見したのか。四畳半のアパート。すでに醒めた二人。万年床の上で惰性の性を交わす。どちらの視線か、心は行為から離れ、畳に刺さるように残っていた爪に注目している。やがて二人は別れるだろう。理由は「夕暮れ迫る部屋に親指の爪」を見たから。(働猫)

物語を感じる句である。良句と思う。



パンを喰らう寝入る 馬場古戸暢
△シンプルな生活がよい。(働猫)

古戸暢と言えばパン。あるいは生足。または天狗である。
自分も休職していた経験があり、こうして日々が単調になり、シンプルになっていく感覚はよくわかる。



袖を引っ張る女に傾く 馬場古戸暢
△「傾く」は姿勢と心情なのだろう。好きでないので読んだことがないのだが、あだち充の描く女にはこういうあざとさを感じる。(働猫)

あだち充苦手である。



上弦の月へ猫背を伸ばします 馬場古戸暢
△「ます」がかわいらしい。ラジオ体操第五くらいの歌詞にあってもよい。「次は両手を振って上弦の月へ猫背を伸ばしまーす」(働猫)

かわいらしい句だ。
「伸ばします」がいいのだろう。



*     *     *



私の投句は以下10句。
以下五句がこの回の私の投句。

第三十一回(20152月)第三十二回(20153月)
糸電話手繰れど手繰れど故郷は遠く 畠働猫
在ることだけを許した許された 畠働猫
君をあきらめた部屋の夢見る 畠働猫
証書捨て一瀉千里に春来る 畠働猫
ミシン目に沿って切り抜いて月光 畠働猫

第三十二回(20153月)
マァリアマァリア黒いマァリア空爆が始まる 畠働猫
いちぬけて青い空 畠働猫
接吻を待つまっすぐ月へのびるくびすじ 畠働猫
夜猫がそっと触れてくる花びら 畠働猫
ハルハクルハルハクルクルユルシテドウカハルハクル 畠働猫



鉄塊の句会も紹介できるものはあと3回分だけとなった。
次回はその3回分をまとめて紹介したいと思う。
その後は、手元にある句集から、過去の俳人、現代の俳人を手当たり次第に読んでいきたい。



次回は、「鉄塊」を読む〔31〕。

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