2016-08-07

【真説温泉あんま芸者】「〈それ誰〉俳句」の世界 西原天気

【真説温泉あんま芸者】
「〈それ誰〉俳句」の世界

西原天気


某日、某結社の句会におじゃましたときのこと、始まりを待っていると、すぐ近くでご婦人が「あんな俳句、どこがいいのか、さっぱりわからない」という話。存じ上げない方たちの会話に耳をそばだてていたわけではないが、その「あんな俳句」が、その一カ月前に同じ結社の句会で私が投句した句だったから、耳に入ってきたのだ。

それは「吉田」で終わる句

(ちなみに、このときどんな気分だったかというと、居づらいとか不快とかいったことはぜんぜんなくて、おもしろい! 貴重な経験してる! といった感じ)

ミョウチキリンな句だから、くさされて不思議はない。問題は、そういう場に居合わせてしまった作者のとるべき行動だ。

どうしたらいいんだろう?

「いやあ、すみません。それ、私の句です。ヘンな句で申し訳ありません」と明るく晴れやかに宣言する手もあるが、相手が気まずくならないような明るさ・晴れやかさをセリフに込める自信がなかったので、黙って静観した。

きっとこれが正解。

で、なんの話をしているのかというと、「〈それ誰〉俳句」の話なのです。



有名人名の入った俳句は数多い(参照≫ウラハイ「人名さん」シリーズ)。扱っているもの(人)は誰誰と特定されている。ところが、誰なのかわからない、人名の句もある。

「吉田」句もそう。この「吉田」の前に、「いのうえ」の存在がある。

≫【真説温泉あんま芸者】 それを「いのうえ」と呼ぶことにする
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/09/blog-post_21.html

「いのうえ」て、誰やねん? がこの句、《いのうえの気配なくなり猫の恋 岡村知昭》への正しい反応。

苗字だけ言い放って、誰だかわからない句は、一定頻度で登場します。

川柳では、

ササキサンを軽くあやしてから眠る  榊陽子

おかじょうき川柳社の第17回杉野十佐一賞大賞作品としてよく知られた句。

ササキさんて、誰やねん?


カミサマはヤマダジツコと名乗られた  江口ちかる

樋口由紀子さんの「金曜日の川柳」でも取り上げられた句。

フルネームですから、これまで掲げた「苗字だけ」とは異なりますが、「誰やねん?」という意味では、同じ。

この句を初めて見たときは、かなりの衝撃を受けました。

「ヤマダジツコ」が絶妙で曲者。ありそうでなさそうな、リアリティのぎりぎりの巧みな名前設定である。(樋口由起子)

じつに、そのとおりです。

川柳といえば、川柳作家のなかはられいこさんが、私のブログで巻いた歌仙で、こんな付句。

囀るやうな久保田の財布  なかはられいこ

久保田て、誰やねん?(この決め台詞、以下省略)


短歌だと、

センサーの反応しない園田さんドアの向こうでまた立ち尽くす  まぬがれてみちお

柳本々々さんのブログで見つけた歌です。

こんな短歌もあります。

百点を取りしマサルは答案の束もつ我にひたすら祈る  小早川忠義


川柳や短歌のほうが、俳句よりも、出現頻度が高いかもしれない。



「それ誰」要素は、読者を一定の印象へと誘導するのではなく(というのは、俳句において「桜」や「雨」や「柱」の語が一定のシニフィエを前提とするのと対照的という意味です)、人間〔*〕という以外、あるいは日本人という以外は、なんのヒントも与えてくれない点、読者の意識を軽く路頭に迷わせます。

「路頭に迷う」は、作者の狙った効果であり、俳句、すなわち短く、片言となりがちな俳句においてとりわけ、奇妙な味を醸すことがあります。

〈それ誰〉句は、読者が「それ誰?」と思った瞬間、それでもうじゅうぶんな成功を収めているともいえるでしょう。

なんと、安易。

〈それ誰〉俳句、バンザイ。



ところで、気づくと、俳句の例をあまり挙げていませんでした。

種痘痕吉井明子は転校生  岡野泰輔

フルネームで〈それ誰?〉な点、「ヤマダジツコ」型。実在の人なのかもしれませんが、さしあたり有名人ではない。作者の中に棲む種痘痕の少女なのでしょう。

さらに、拙作で恐縮ですが、

ペンギンと虹と山本勝之と  西原天気

山本勝之は実在の友人(物故)。けれども知らない人のほうが多いから、「誰それ」俳句の部類でしょう。



一方、「なんだかわからなく路頭に迷う」タイプとは違うものも、最近、見ました。

福田若之田中は意味しない」10句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/07/10_78.html

「田中」は、小岱シオン(こぬたしおん=connotation)が暗示したのとは違い、無意味に向かった人名。人である必要さえもないようで、この3文字は「わかめ」でも「オイラ」でも代用が効きそうです。



俳句業界・俳句世間では、固有名詞を嫌い、その使用を軽蔑する傾向があります。地名はそのかぎりではありませんが、なべて、そう。そして、人名はとりわけ。

そうした規範的な考え方に対して、なにか疑義や反論を言おうというのではありません。それはそれで、尊重されるべき考え方。

しかしながら、良いとされるもののみ良いとする気が、私にはありません。規範とは別のところで、〈それ誰〉俳句をこれからも愛していこうと思います。



〔*〕以前、句の中にある「ジョンの声」を、犬の声と解したところ、作者はジョン・レノンのつもりだったことがわかりました。人間かそうでないかも曖昧なケースがあります。



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