自由律俳句を読む 149
「中塚一碧楼」を読む〔1〕
畠 働猫
「私の詩を俳句だと云ふ人があります、俳句ではないと云ふ人があります、私自身は何と命名されても名なんか一向に構はないんです。」
「私は全然季題趣味に係らず居ます。形式も十七字そこらにならうと、三十一字そこらにならうと幾字にならうと構ひませぬ。私が書きたい様な形式に書きます。」
(「第一作」第七号 大正2年12月)
上記は、中塚一碧楼(1887-1946)による、自由律の宣言である。
こののち「海紅」を創刊(大正4年)。はじめは河東碧梧桐を主宰として自身は編集を担当したが、大正11年に碧梧桐が「海紅」を離れた後はこれを主宰する。
井泉水同様、自由律俳句の創始者と言えるが、それぞれの「自由律俳句」に対する思想は根底から違うように思う。
一碧楼は「日本俳句」への投句により河東碧梧桐よりその才能を認められることとなったが、のちに「自選俳句」を刊行し、選者制を否定した。
「自選俳句 其一」には、「宣言」として次のように書かれている。
「吾人の創作は偽らざる自己の告白ならざるべからず。」
「自信ある作の前に於て選者の存在は全然無意義也。」
これは、師である碧梧桐の選に対する反発というよりは、添削を受けることによって、自らの創作の自主性が失われることを危惧したものと思う。
今回は一碧楼の最初の句集『はかぐら』よりいくつかの句を紹介する。
『はかぐら』には、「日本俳句」への投句、自ら刊行した「自選俳句」「試作」から選ばれた句が収録されており、すべて有季定型句である。
▽句集『はかぐら』(大正2年6月)より【明治41年~44年】
春の宵やわびしきものに人体図 中塚一碧楼
人体図は人ではなく、よってその温もりも感じることができない。
ここでのわびしさはそうしたものであろうか。
一碧楼は医師を志した頃もあり、「人体図」はその名残として部屋に存在したものかも知れぬ。夢破れた残滓のようにそれを見てわびしく思ったものか。
菓子屑に似て女工等や春日照る 中塚一碧楼
高所から見下ろしているのだろうか。忙しく働く女工たちに春の陽が射している様子が朗らかに描かれている。
一碧楼にはこうした労働者や社会的弱者を詠んだ句が多く見られる。
現代の感覚では差別的な表現が用いられている場合もあるが、その根底には慈しみの気持ちが見て取れる。
この句もまたそうしたあたたかな視線を感じるものである。
梅も散りぬ煙草好きにて淫ら者 中塚一碧楼
梅が散った。煙草好きな放蕩者がいる。それだけの句である。それだけであるが、おそらくこの「淫ら者」は自分自身なのであろう。
春が終わったというのに、いまだ恋の渦中にあるとでもいうのであろうか。困ったものである。
窓の藤煌めくや殊に妻居ぬ日 中塚一碧楼
離縁話かるがると運ぶ麦青し 中塚一碧楼
明治42年、一碧楼は素麺問屋濱田家へ婿養子として入った。
この句での「妻」はその濱田家の娘「小鶴」である。
あげた句に見られるように、その結婚生活はけして満足のいくものではなかったようだ。「妻居ぬ日」の藤の花は特別にきらめいて見え、「離縁話」の出たあとに運ぶ麦は軽く、青々と輝いている。
実際、婚姻生活は半年ほどで破綻したようだ。
信仰の鎖鳴る鮓に痛ましき 中塚一碧楼
一碧楼は中学卒業の際に洗礼を受けているため、「信仰」はキリスト教であろう。
さて、では鮓の何が痛ましかったものか。
「信仰の鎖」とは、ロザリオのネックレスであろうか。
それが鮓をつまんだときに鳴って心を痛めた。
医師を志したものの受験に失敗し夢が破れてしまった。また同じ時期に洗礼を受け、信仰に生きようとしたその時代を、鎖の音でふと思いだしたものか。
「人体図」の句同様、失われた過去の自分の無垢を振り返り、胸を苦しくしたのだろう。今や信仰もその頃のままのものではないのだ。
明易き腕(かひな)ふと潮匂ある 中塚一碧楼
よべの痴態偲ぶ窓花蓮眩し 中塚一碧楼
色気のある二句。
退廃的と言ってもいい。
「腕」は相手の腕であろうか、自分の腕であろうか。
自分の腕であったとしたら、それは女の髪の残り香である。
いずれも後朝のあと、余韻に浸っている様子である。
不在を詠むことで、かえってその存在を表現している。
読み手はそれぞれの経験の中で一番の異性を思い浮かべることだろう。
赤子見て出づ門や赫つと秋晴れて 中塚一碧楼
家の中から外への移動を通して、「赤」「明るさ」のイメージが連鎖していく。
「赤子」という語から産道を連想した。
旧来の俳句、添削や選という縛り。そうしたものから自由になる、再び生まれる。その心境を暗示したのではないか。
赤子は確かに愛でるべきものである。
しかしそこに留まらず、門を出でてみれば、どこまでも高く広がる空があかあかと自身を照らしている。
この句はそうした自我の解放、表現することへの意志が示されたもののように思う。
鍵の錆手につく侘びし昼千鳥 中塚一碧楼
千鳥鳴く夜かな凍てし女の手 中塚一碧楼
千鳥二句。
これらも色気のある句である。
「鍵の錆」が手につくのは固く握りしめていたためか。
飛び出していった女を追いかけて、鍵だけ握りしめて走った。
いや、飛び出したのは男の方であったか。
気にいらないことがあって家を出たが、着の身着のまま行く当てもない。
昼とは言え冬の寒さ、ポケットの中の鍵を握りしめて歩いている。
何度も手の中の鍵を確認しては、帰るに帰れずため息をつく。
夜になり、寒さに耐えかね家に帰れば、待っていた女の手も凍えている。
自分を探していたであろう女は何も言わない。私も何も言わない。
遠く千鳥が鳴いていて二人無言。
若い頃そんな経験を何度もした。
* * *
冒頭にあげた一碧楼の自由律宣言は、『はかぐら』刊行の5か月後に発行された「第一作」第七号において、「俳句ではない」と題した文中で述べられている。
また、『はかぐら』の序文には次のように記されている。
「この本は
私のためには
懐かしく、また痛ましい
墓窖(はかぐら)です。」
そのあとに続けて、「日本俳句」投句時代を「お坊つちやんの時代」、「自選俳句」時代を「謀反人よと罵られた時代」、「試作」時代を「建設に苦労した時代」と自ら評している。
それらの時代は、一碧楼にとって必要な、経るべき時代であった。
そして同時に、自由な表現、自我の解放のために墓窖に葬り去らなくてはならない過去でもあった。
私が一碧楼に強い共感を覚えるのは、添削への反発である。
「謀反人」こそ修羅のあるべき姿ではないか。
また、門下の句に添削を積極的に行っていた井泉水と、この点で決定的な違いを見ることができる。
句の「添削」について思うところがあるが、今回はまとめる時間がない。
次回までに整理しておきたい。
次回は、「中塚一碧楼」を読む〔2〕。
※句の表記については『鑑賞現代俳句全集 第三巻 自由律俳句の世界(立風書房,1980)』によった。
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