【「俳苑叢刊」を読む】
第11回 石田波郷『行人裡』
行人とすれ違って
藤井あかり
♢
句集の最初の頁を開くとき、指が少し震える。最初の頁を読むと、その句集の世界に深入りすることになるかどうか、何となく分かってしまうからだと思う。
朝刊の冷きがごとく廈冷えぬ
外套を黝くぞみたるのみに寝る
雪の音外套壁に形為し
冒頭のしんと冷え切ったこの3句の景に、私はしばらくいた。
室内は静まり、雪の降る音だけが聞こえる。私は眠りかけている。薄目を開けると、壁に吊るされた青黒い外套が体の形にかすかな膨らみを保ち、不思議な存在感を放っている。
『鶴の眼』の冒頭〈バスを待ち大路の春をうたがはず〉〈煙草のむ人ならびゆき木々芽ぐむ〉〈あえかなる薔薇撰りをれば春の雷〉と比べてみれば、受ける印象は異なる。
『行人裡』は昭和15年刊。序文によれば、昭和10年暮れから昭和14年暮れまでの4年間の作がほぼ収録されている。概ね、波郷の(一般の理解における)第1句集、昭和14年刊『鶴の眼』の四季各章の後半の句が再録されている。
雪の嶺且つ褐色の木を蔽ふ
あをあをと雪の温泉は日を失へる
月食は駅の時計にたがはざる
スキー列車月食の野を曲るなく
スキー列車あさき睡を歪み寝る
雪降れり月食の汽車山に入り
2頁目以降はこう続く。
「スキー列車」とあるから、もっと弾むような句が並んでいそうなのに、「蔽ふ」「失へる」「歪み寝る」に見られる翳りや、「たがはざる」「曲るなく」に見られる捻れは、月蝕という特別な現象と相俟って、句集をある方向へと導いてゆく。
あえて個人的なことを言えば、冒頭の数頁には「冷感」、「身体の違和」、「否定」という私が俳句を通して突き詰めてゆきたいと思っている3つの事柄がすべてあり、この時点で脳裏には自ずと3つの章が浮かんだ。
そして、汽車が雪山へ深々と入ってゆくとともに、私もこの句集に深入りしていってしまうのだろう、という予感に包まれたのだった。
Ⅰ
寒木にひとをつれきて凭らしむる
美しい花も、涼しい蔭も、鮮やかな紅葉もない、吹き曝しの冬木に人を寄りかからせて、何が出来ると言うのだろう。
ともに立てし外套の襟寒木に
一緒に襟を立ててみても、冬枯れの木に対するしかない2人。
冬霧のしろし相見る彼ぞ憂き
霧の向こうの人と見つめ合う。相手が物憂げに見えるのは、どことなく陰鬱な冬霧を通して見るからだろうか。だとすれば、自分も相手からはそう見えている。
くらき町外套の肩君は征くがに
暗い町を連れ立ってゆく人の、暗色の外套。その肩が不意に遠退いてしまいそうで、胸を突かれる。暗闇を進んだその遥か先には、戦地が広がっている。
凍る駅傷兵と共に降りし縁
偶然誰かと同じ駅に降りる際、一瞬繫がりを感じるが、すぐに別れるだけの縁だと気づく。別れた後、傷ついた兵を記憶の端に引きずっている。
相手に近づいたはずなのに、距離が縮まる気がしないのは、季語のせいだろうか。近づきかけても、真冬の季語によって冷たい現実に引き戻され、相手は遠ざかってしまう。
Ⅱ
足袋脱ぐやわが瘦せし身を念ひいづ
足袋を脱ぐとき、それを身に着けてからせいぜい何時間かしか経っていないのに、自分がこんなにも瘦せていることを思い起こしてはっとする。
霧降れりその夜鏡にうつる四肢
被さるような霧の中を通り抜けてきたその夜の両手両足には、白々と霧の余韻が残っている。
昼の虫一身斯かるところに置き
澄んだ真昼、耳を澄ませば、秋の深まりを感じさせる虫の音が沁みる。「一身斯かるところに置き」は、何か言おうという気持ちが先走るばかりで、ほとんど何も言えておらず、寄る辺のなさだけが淡く残る。
酔の果冬霧胸に溢れ来る
酔いが回った頃に胸奥から溢れる霧。迷わぬように一歩一歩踏みしめながら進んでゆく。掲句は後に「浅草や冬霧胸にあふれくる」と改め『風切』に収められているが、半ば投げやりに「酔の果」とまで言ってしまっても良いのではなかったか。
スキー列車あさき睡を歪み寝る
雪霏々とわれをうづむる吾が睡
スキー場へ向かう列車の中、仮眠をとる。「睡を寝る」も「歪み寝る」も奇妙な表現だが、合わさると一層夢うつつな感じがする。歪んでいるのは体勢か、夢の中の景色か、時間の流れか。
雪が激しく降るにつれ深まってゆく眠り。昏々と埋もれてゆく自分。「われをうづむる」は「雪霏々と」に掛かるのか、「吾が睡」に掛かるのか。
きっと波郷自身にも曖昧になっている。
自分の身体なのに、時折、自分のものではないような感覚に陥る。Ⅰで触れた相手との距離感を、自分自身との間にも覚えるのだろうか。
額の花自を忘じたる日々多く
自分自身が遠ざかっていった最果て。梅雨空の下、遂に自己を忘れる。そんな禅を思わせる日々に、楚々と額の花が開く。
Ⅲ
別れきて対ふ声無き扇風器
さっきまで語らっていた相手の代わりに、今、扇風機と向かい合っている。涼しい風の中、ふと喪失感が湧く。扇風機にも声があるべきとするかのようで、「無き」という語が淋しく響く。
人居ず日照雨の穂草ぬき帰る
居るはずの人がそこに居ない。折からの通り雨。所在なさに穂草を抜きとり、靡かせながら帰る。『鶴の眼』では上五は「人を訪はで」だが、推敲後も変わらず否定の形がとられた。
百合あをし人戛々と停らず
人々は立ち止まらない。まだ蕾の百合には誰もが無関心で、ただ足早な靴音だけが響く。
古郷忌を人にはいはず日暮れぬる
師の忌日を誰にも告げない。ただ、記憶の中の師と向き合って過ごす。まだ暑さは残るが日に日に秋らしくなっていく頃の夕が、心に適う。
落葉寒人を忘ぜず街ゆけば
ある人を忘れずにいる。歩いてゆくこの街にも思い出があるが、心を温めてくれるようなものではない。忘れたいのに忘れられない人……と思いつつ読み進めてゆくと、〈人を忘じ得しや十月百日紅〉という句に行き当り、やはりそうなのかと思う。そして、「忘じ得しや」ということはつまり、忘じ得ずにいる。
否定の語を口にするのは、黒鍵に指を置くときのようで、調べも気持ちもふっと沈む。この章で引いてきたそれぞれの句を、「静かな」「独り居て」「通り過ぎ」「黙っていて」「憶えていて」といった形に言い換えることは出来ない。
そして、忘れがたい句が生まれる。
椎若葉東京に来て吾に会はぬか
東京から遠く離れた地に、会いたい人がいる。けれど、会いに行くよという訳ではなく、どこかで落ち合おうというのでもない。「東京に来て私に会わないか」という呼びかけが印象的に響くのは、優柔や不遜の中に、相手への愛情が滲んでいるからだろう。
波郷の本心はむしろ、季語「椎若葉」に表れているのかも知れない。数頁前に〈独り見つつ椎の若葉をうべなへり〉があることを思えば、1人で諾った椎若葉を、きっと今度は2人で諾いたかったのだ、と想像しても許されるだろう。会いに来てくれれば喜んで迎えるという心が、初夏の椎若葉を瑞々しく映し出す。
Iでは相手が遠ざかり、Ⅱでは自分自身が遠ざかっていったが、否定について書いてきたⅢの最後に図らずも、その遠ざかった先で両者が出会えそうになった。
♢
この句集に「人」とそれに準ずる語が頻出することは事実だが、それにしても人にまつわる評に終始してしまった。
単純に、私が人というものに興味があるからかも知れない。あるいは、「行人裡」という題に引き寄せられたのか。刊行前年の座談会で生まれた「人間探求派」という語が意識下にあったからか。その後の境涯性が深まってゆく句風に思いを馳せていたからなのか。それはもうわからない。
そして、最後の頁に辿り着く。
冬で始まり、冬で終わるこの句集。そっと置かれていたのは、打って変わって素朴な温もりのある句だった。
行人裡炭送り来し母の上
集中の他の表題句、〈はたと寒く傷兵をみし行人裡〉〈南に没る冬日を見ずや行人裡〉〈歳晩の行人低し風吹き飛び〉に見られる翳りや捻れは消え去っている。
やや拍子抜けしつつも、この句が祈りのように灯って波郷の素顔を照らし出したような気がして、私はしばらく本を閉じることが出来ないでいた。
2017-04-09
【「俳苑叢刊」を読む】 第11回 石田波郷『行人裡』 行人とすれ違って 藤井あかり
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