俳句の自然 子規への遡行 60
橋本 直
初出『若竹』2016年1月号 (一部改変がある)
子規は「切れ」の分類につづき、「は・ば・に・へ・と・ど・を・か・の・や・て・も」の十二字の句末の「止め」について収集、分類している。以下、これらについて概観する。
まず、「は止」は下位分類として、①「には=へは=とは」、②「名詞よりツヾク=春夏」、③「名詞よりツヾク=秋冬」、④上記以外に分けられている。まず①は十四句あるが、一種類ずつ例を引く。
あら玉の馬も泥障を惜むには 嵐雪
干瓢を太刀の尾にして都へは 自悦
摘菜せし友を其の烟とは 也有
「泥障」は「あおり」と読む。鞍の下に敷く布で馬がはねる泥で衣服が汚れるのを防ぐもの。馬も新年には自ら泥汚れを惜しむ、という趣であろう。「には・へは・とは」に共通するのは、口語的に言いさして終わる表現になるということであるので、句末で余韻を残したり、言外に真意を匂わせようとすることになろう。②は八句③は九句ある。これも数例をあげる。
②花よりも猶芽独活の春の紅は 杉風
卯の花に寒き日も有山里は 几董
③鐘つきよ階子に立て見る菊は 其角
水音も鮎さびけりな山里は 嵐雪
杉風の句は変則的だが十七音。芽独活の紅さを花に勝ると賞したもの。其角の句は独特でわかりにくいが、鐘の撞かれる部分の模様を菊に、鐘全体の格子模様を階子に見立てたものかと思う。嵐雪句の「鮎さび」は「さび鮎(落ち鮎)」を動詞でつかったもの。「花の色はうつりにけりな~」の趣を鄙びた山里に置き換えたか。さらに、この形で思い出すのは、子規の句(「寒山落木」巻二所収)の「母の詞自ら句になりて」という前書きをもつ明治二十六年の作、
毎年よ彼岸の入に寒いのは
であろう。つまり子規の母親から何気なく口をついてでた言葉が自然に俳句の形になっていたということで一句とされたものである。つまり、この形は先の場合同様、口語的になる傾向をもつのだが、同時に、「は」が主格を導く副助詞であることから、すべて倒置の句になっている。
④は①~③以外で九句分類されているが、現在の文法の用法から見ると名詞に当たるものも含めて分類されている。例えば、
麻にそふ荵冬よ離れ苦しさは 楚常
吉野のみか梅の杉田もこれは〱 吟江
一句目の「苦しさ」は、現在の文法では形容詞「苦しい」の名詞化した用法になる。二句目は「吉野の桜のみではなく、杉田の梅(現在の横浜市にあった梅の名所)も、これはこれは素晴らしいものだ」の意味。「これは〱」は、一語の感動詞ともとれるが、「これは」の連語であり「これ」は代名詞である。判断が微妙なところだが、子規は名詞ではないと判断したのであろう。その他を接続品詞ごとに例出すると、
鯉もけふ伏見の桃に登るかは 亀世
春雨や物読まぬ身のさりとては 虚白
鶯の音にふくるゝか折々は 蓼太
子やせがむ砧の音の乱るゝは 山之
一句目の「かは」は疑問の係助詞であろう。わかりにくい句だが、伏見の桃の花の見事さを流れる滝に見立てたもの。芭蕉の「我が衣に伏見の桃の雫せよ」(「野ざらし紀行」)を踏まえたものか。二句目「さりとて」は一語の接続詞。三句目の「折々」には名詞と副詞の用法があり紛らわしいが、倒置で「ふくるゝ」を修飾する副詞とみるのが妥当だろう。四句目の「乱るゝ」は動詞「乱る」の連体形。この句の上五の「子やせがむ」の形は係り結びだが、形の上では前回みた、上五に「や」があるが五音目ではないものにも該当するものの、子規はこの句をそこへ分類していない。後で係り結びにも関係する呼応の結びの分類がいくつかあるのだが、そちらにもなく、気がつかなかったのか、分かっていて後回しにするうちにそのままになったのかはわからない。
次に「ば止」めについて。子規は①「ば」の前の語の母音が「ア」か、②①以外かで下位分類を行っている。前者が十二句、後者が十三句である。まず①から数句例出する。
夕立や田をみめぐりの神ならば 其角
菊さきぬ母の此世にましまさば 朋水
雪国へもうおいきやるかさらば〱 嘨山
「ば」も「は」と同様に倒置になる形であり、活用語がア母音の活用と接続するので、ほぼ仮定形の用法となる。一句目は「三圍雨乞」と前書。其角が干ばつの折、三圍(みめぐり)神社で雨乞いのためにこの句を詠んだところ、たちまち雨が降ったなどといういわくのある句でもある。二句目「ましまさば」は「いらっしゃるとしたら」。普通の仮定形だが、古歌の反実仮想を意識しているかもしれない。三句目は例外的なものであり、別れの言葉「さらば」で終わるために、仮定形ではない。次に②も数句引く。
夏ながら五条につゞく山なれば 乙由
魨汁やさて火をともしよく見れば 子曳
こちらは活用語の已然形に「ば」がつく順接確定条件の用法となり、分類句ではすべて原因理由の意味であった。
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