週刊俳句はどのように「10句作品」を執筆依頼しているのか
菅原慎矢(第五回芝不器男賞齋藤愼爾奨励賞) さんのコメントを機に
西原天気
菅原慎矢さんが2018年7月17日のコメントで、小誌「週刊俳句」の「掲載俳句作品について」触れていらっしゃいます(≫こちら)。
そこで、これを機会に、週刊俳句は10句作品をどのように執筆依頼/掲載しているのかについて、簡単にお伝えしておきたいと思います。
といっても、複雑な仕組みや取り決めがあるわけではありません。簡単にいえば、当番(運営。現在5名)がそれぞれ「寄稿してほしい」と思う/思いついた人に、メールあるいは郵便で「執筆依頼状」を送っています。
他メンバーへの相談・打診は原則ありません。全員が裁量〔*1〕。
したがって、菅原慎矢さんがおっしゃる「西原天気氏と上田信治氏が中心という認識で良いだろうか」という部分については、そうではない、ということになります。
どんな人に書いてもらうのか。その基準/方針もとくべつなものはありません。当番それぞれの思うところ・考えるところ〔*2〕にしたがって依頼しているのだと想像します。
依頼したら、連絡用のBBSに書き込みます。執筆OKがもらえたら、それも書き込みます〔*3〕。そうやって、掲載号への作品割り振りについて情報を共有しています。月に掲載数が多すぎないような調整が必要なので(主に、翌月の「俳句を読む」執筆者の負担を考えて)、このBBSは重要です。
当番は、俳句世間・俳壇で意欲的に活動しているという人たちではないので、俳人の知り合いは多くありません(特に私は、少なくとも私は)。面識のない人には郵送で依頼したりしています。
知っている人にお願いするのが正直ラクなのですが(遠近法的なアプローチですね)、俯瞰も必要です。なかなかそうは行きませんが、広がりの出るように努力はしているつもりです。
例えば、同人誌を読んで、作品に興味を持ち、郵送依頼することもあります。若い人の場合、名簿で連絡先が見つからないことも多く、そのときは、同人の代表的なポジションの方に依頼希望の旨を伝えて、連絡先を教えてもらったり、あるいは、「10句作品の執筆者を探しているのですが、どなたか推薦してもらえませんか」とお願いしたりしています。
これらは、俯瞰を取り込む、あるいは自分の判断や好みに収まらないようにするための、ささやかな方策です。
ざっと、以上のような感じです。こんなやり方で、600号近く、11年以上、続いています。
いかがでしょうか。「テキトー」でしょう? びっくりされた方もいらっしゃるかかしれません。でも、これ、いい意味の「テキトー」と思っているのです。
当番それぞれに極力負担がかからないようなやり方です。でないと、続かないので。当番は悠々自適の老後を送っているわけではなく、暮らしの中の余った時間で週刊俳句を運営していますから、「テキトー」じゃないと続かないのです。
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さて、菅原慎矢さんのコメントの件です。
週刊俳句の10句作品の依頼に関して、菅原慎矢さんの目には、不透明と映るようです。
週刊俳句の編集方針には不明点もある。具体的には、掲載俳句作品については編集部(西原天気氏と上田信治氏が中心という認識で良いだろうか)の依頼によるという形態の不透明さである。(コメントより)これについて、正直に言うと、私にはよくわからなくて、まず、執筆依頼から掲載への流れにまつわる透明/不透明という区別について、うまく理解できません。だから、週刊俳句が、「おっしゃるとおり不透明です」とも「いや透明です」とも言えない状態です。
菅原慎矢さんのお考えの中に、不透明ではない形態、不透明ではない媒体があれば、しくみでもイメージでも実例でもいいので、教えてください。そうすると、私にもわかるかもしれません。
アンソロジーうんぬんについても同様に、私にはうまく理解できません。
週刊俳句とは、編集部が掲載作家を選ぶという点で、俳句アンソロジーと類似した場と言って良いだろう。(コメントより)この部分については、「類似していないと思います」としか言いようがありません。
それとは別に、「掲載作家を選ぶ」という部分が、運営当事者である私にはピンとこないのです。前述したような過程(執筆依頼先を決め、依頼し、応諾をもらい、掲載に至る過程)を見ていただければわかると思うのですが、これは「選ぶ」というより、掲載作家を「探す」「見つける」というほうが実感に近い。
誰もが週刊俳句に書きたがる、そのなかから選ぶ、というのとは程遠いのです。
それにまた、依頼したものの、断られることもあります。「諾否」をうかがって、「否」の返事が続き、心折れることもあるそうです(私は心折れません。性分なのか何なのか。いや、ほとんどは快く応諾いただいています。幸運なことに)。
しかしながら、考えてみれば、「俳句を掲載させてください」と頼んで、「はい」と快い返事をいただけるなんてことは、当然でもなんでもない。かなりすごいことです。作家諸氏・俳人諸氏の厚意というしかない。創刊から間もない頃は、なおさらです〔*4〕。不安いっぱいで依頼していました。依頼先によっては、メールでも郵送でもなく、直接お会いしたとき、おそるおそるということもありました(懐かしい)。
おっと、奮戦記を書くつもりはなかったのです。すみません。つまり「選ぶ」という意識は、じつはあまりないということを申し上げたい。ほかの当番も同じだと思います。「選んでいるという意識を持つべきだ」と言われれば、そんなものかな、そうかもしれない、とは思うでしょうけれど。
なお、「選んでいる」というふうに映ることもあるのだなあ、たしかに選ぶという側面もあるのだろう、実感はなくても、といったように、「外からの目」を教えてもらった気はしています。
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以上、前半部分で、週刊俳句の10句依頼の実態・実際をお話ししました。後半部分で、菅原慎矢さんのコメントへの応答にはなりませんでしたが、所感を述べました。
最後に、これからも10句作品の執筆依頼を、いろいろな方にさせていただくと思います(週刊俳句が続くなら)。そのときは、よろしくお願い申し上げます。断りの返事も、どうぞお気兼ねなく。
〔*1〕俳句作品以外の記事についても、メンバー間で掲載の可否についての相談・打診は原則ありません。思いついたら、各自の裁量で、掲載・連載します。外部からの持ち込み原稿、持ち込み企画についても、ほぼ同様。
〔*2〕依頼先を探す際、私自身にはいくつかの基準があります(厳密ではなく緩やかな基準)。
優先の基準は、例えば、若い人の作品は見たい。んんと、それから、多く作れそうなのに、発表の場/読者が目にする場が少ないと思しき人(逆に発表の場が多そうな人は、どうしても敬遠。週刊俳句に掲載しなくても、たくさん読者の目に触れるはず、という判断)。受賞者。句集上梓直後。なんとなくアタマに浮かぶ。などなど。こうしたことを、依頼先探しの基準にしています(他の当番のことははっきりとは知りません)。
〔*3〕連絡用BBSはこんな(↓↓↓)感じです。
〔*4〕創刊当時、10句作品の掲載はありませんでした。
バックナンバー参照≫http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/04/blog-post_22.html
当時、「俳句作品はじゅうぶんに足りている。足りないのは『俳句を読む』行為と習慣だ」という意識から、俳句を掲載しなかったのです。やがて掲載するようになった、その経緯は、「なんとなく」です。あるいは、詳しいことは忘れました。
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