【週俳1月2月の俳句を読む】
食べて空になって
羽田野令
冬の鹿ギターはすすり泣いていて 山本真也
十二月八日のドアノブを回す 同
ジョンが撃たれたのをラジオで聞いたことを思い出す。「ダブルファンタジー」がリリースされたばかりの頃だった。ヨーコのふわふわした声や、「スターティングオーヴァー」のジョンや、二人で歌うクリスマスソング等が渦巻いている中、その悲報はもたらされた。
「ギターはすすり泣いて」は鹿の悲痛な鳴き声をも思わせる。「十二月八日のドアノブ」は回してほしくないが、もう40年近く前に回されてしまった時は戻せない。
この一連はマジカルミステリーツアー+ジャパンと銘打っている通り、ビートルズと、初富士や猪鍋といった季語の中でもとても日本的なものとが取り合わせられている。掲句以外の取り合わせを見て、何だろうこれはと考えてみると、ビートルズが初めて日本へやって来た時の法被を着てタラップを降りてきた、あのイメージだと思い当たった。季語を着せてみました、という感じがどうもするのだが。
故郷がスキーのリフトより見ゆる 細村星一郎
スキーに来ている。たまたま故郷の近くに。スキーに来ているメンバーとスキーを楽しむという場があり、その時間を共有しているのだが、その中にいる作者は自分の故郷が見えた時ちょっとした一人の感慨を持つ。他人と共有しているものと自分の個人的なものとが自分の中に交差する。見えた一瞬を述べてそのことがよく表されていると思った。
列の子の一人振り向く枯野かな 田口茉於
たんぽぽを踏まぬやう母と離れぬやう 同
日本では幼児期から集団のなかで皆と同じ様に行動することがしつけられる。が、皆と同じことをしない子もいる。この列では、ほとんどの子が同じ様な行動を取っている中、違うことをしている一人の子にスポットを当てている。こういう子がいるから句になるのであろう。たんぽぽの句では、たんぽぽをよけて歩く可愛らしさが描かれ、はぐれない様に母親の手をしっかり握っている様子が浮かぶ。五七五におさまっていないのも子の歩みのようだ。
春埃ためてみているビスコ缶 前田凪子
ビスコという誰でも知ってる懐かしいもの。ビスコ缶というものは知らなかったのだが、非常食用にビスコが沢山入っていて長持ちする缶らしい。だからずっと置いてある缶なのだろう。或いは、食べて空になって何かを入れるのに使っている缶なのかもしれない。埃を拭おうともせずにじっと見ている。春の日の何をすることもない時間。「みている」というそれだけを言っているアンニュイな世界である。
2020-03-08
【週俳1月2月の俳句を読む】食べて空になって 羽田野令
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