【句集を読む】
盛り付けの作法その他
守屋明俊『象潟食堂』の一句
西原天気
なんでまた、そんなことを? と、作者/思考の主/発話者に関心が向く句、というのが、たまにある。
句の内容に含まれる不思議ではなく、その内容がどこから出てきたのか、すなわちその出所にまつわる不思議。樋口由紀子編著『金曜日の川柳』(2020年3月/左右社)の帯にある「どうして、こんなことをわざわざ書くんだろう。」に近い感慨。俳句にも、この種の《どうして句》がある。
ステーキの皿の人参いつも北 守屋明俊
どちらを向いて席につくかで、人参のある方角は変わるだろうから、これは自宅のダイニング・テーブルか、あるいは行きつけのレストランでいつも同じ席に坐るということか。
いやいや、そんなことより、人参の位置を見て、方角などを考えることはあまりない。ほとんどない。絶対ない。
ところが、この句は、それを考えている。方角を見ている。
奇想というのとは、ちょっと違う。けれども、大いに「奇」ではある。だが、奇をてらうかんじは、ない。人参の方角を気に留めることが、ごくふつうのような言いぶりだ。ぜんぜんふつうじゃない。
俳句の面白さ(広義です)にはいろいろな方向性があるものだと、いまさらながら、感慨深いわけです。
なお、ステーキを地図上の大陸に見立てて、付け合わせの位置を「北」とした、という読みもある。不思議の度合いは減じるが、それはそれで、ちょっと風変わりな見立て。
守屋明俊句集『象潟食堂』(2019年11月/KADOKAWA)より、ほか何句か。
天井に風船を飼ふ微熱かな 守屋明俊
雨上がる目高数へてゐるうちに 同
並走の電車別るる春の闇 同
蛇見しと両手大きく広げけり 同
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