2020-05-24

【週俳4月の俳句を読む】そこからはじまる 近恵

【週俳4月の俳句を読む】
そこからはじまる

近恵



■「半券」黒岩徳将

まづレタス敷いて始めんサラダバー  黒岩徳将

几帳面な男である。サラダバーで野菜を取るのにまずレタスを敷く。レタスを敷かなくてはいけない自分なりの理由がきっとあるのだろう。本当か作り事なのかはわからないが、まるで儀式のようだ。このような几帳面さをまとった視点から捉えられる日常の一コマの、すぐに忘れてしまうような瞬間がこの10句の作品群に示されている。

花屑が手羽先用の紙皿へ  黒岩徳将

一度地面に落ちた桜の花びらが風に舞うか何かして手羽先用の紙皿に降りたのだ。手羽先用と用途を限定した真っ新な紙皿に、手羽先よりも先に花屑。花びらであれば花見の楽しさが感じられるが、花屑というとなんだかすこしガッカリしてしまう感じ。そこを切り取ってくるところがこの作者なのだろう。

遠足のペンギン音もなく水へ  黒岩徳将

飼育されているペンギンは野生のものよりも運動不足だったり立ちっぱなしの姿勢が多かったりすることで趾瘤症という足の裏の病気になりやすいらしい。水族館などのペンギンの散歩は単に客寄せのためではなくペンギンに必要な運動なのである。遠足のように群れると同じ方向へ歩いてゆくことも、海中で餌を捕るために出来上がった体が餌のないプールへもするりと入ってゆく事もペンギンの本能。でもペンギンは悲しいとか思わない。かといって幸せということでもない。すべて人間の価値観の内である。

まんさくの花や拳の中の指  黒岩徳将

拳を握るときは親指が外が基本中の基本。親指を中に握りこむとケガをする。となると拳の中の指は親指以外の四本という事になる。これをきつく握ると掌に爪の跡が付いてしまう。春先に咲く黄色いまんさくの花の蕾はそんな拳のようにくちゃくちゃと花びらが中に納まっていて、まるで冬の間握りすぎて血がにじんだような赤い花がくに、握りすぎて痺れた指を開くように咲くのだ。まんさくの花と拳のイメージの繋がりはわかりやすいが、指の感覚を持ってきたところが作者の屈折か。


■「追憶と鉈」安里琉太

この作品は冒頭の一句の後*で区切って三句、更に*で区切って三句、一行空けて三句という構成になっている。

冒頭は作品の世界へと誘う作者自身の故郷沖縄を彷彿とさせる一句で始まる。ひと呼吸おいて最初の三句のブロックはどれも思い出される先人の句があり、その先人の句を足掛かりにした追憶の景色と読めるが、次のブロックに向けて誰かの記憶の追憶から自分の記憶の追憶へと徐々に変化していくように作られている。次のブロックは一気に北海道へ飛ぶが、断絶があるようで実は前のブロックの「かもめ」から導き出される「鳥沼」で繫がっている。そして一行空けたところで「展きある」から「ひらかれへ」と繋がり、北海道がかつて蝦夷と呼ばれていた頃の追憶へと展開してゆく。そして蝦夷地アイヌ民族への追憶は、その経緯は違えども同じように日本国に取り込まれた歴史を持つ琉球に生まれた自らの記憶へと繋がってゆく。そう考えが至った時、タイトル「追憶と鉈」の「鉈」の示すものが朧気ながら見えてくるような気がした。上手く言葉が見つからない上に、限りなく深読みではあるが。

海灼くる無風を蝶のひた歩く  安里琉太

おそらくイメージの舞台は沖縄だろう。海が灼けるような日差しの中、蝶は軽やかに飛ぶでもなく無風をひた歩く。そのうちぐるぐると目が回って太陽が黄色くなって頭は真っ白になるり、追憶はそこから始まる。

日をおいて夜汽車のとほる田螺桶  安里琉太

「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな(攝津幸彦)」摂津幸彦のこの句はWeb上で検索をかけただけでも幾通りもの解釈がなされているが、路地裏=夜汽車という部分は動かない。そこからのこの一句である。まず「日をおいて」とは何か。これは摂津の夜汽車の句が詠まれて以降の事とも、蝶がひた歩いていた無風の昼以降の事とも読める。前の句、更には連想せざるを得ない句との断絶を「日をおいて」に負わせているようにも思える。田螺桶を通る夜汽車だと思っていたものは、昼間の影の濃い露地裏と、建物の切れ目に現れる日差し。水路で捕ってきた田螺の桶をぶら下げて露地裏の影と光を交互に過ぎてゆく様は、桶の田螺から見ればまるで夜汽車が通り過ぎて行くようだ。しかし露地を抜け影が途切れるとそこは海が灼けるような光の真昼なのである。露地裏の安い飲み屋はまだ眠っている。

暮春の母屋あぶらゑのぐの饐えてゐし  安里琉太

「押しゆるむ真夏の古きあぶらゑのぐ(三橋敏夫)」油絵具が饐えている暮春の母屋は、きっと和洋折衷の建築物だろう。日当たりのよいサンルームなどがあり、そこに忘れられたように置かれたままの古い油絵具の饐えた匂い。その屋敷にはもう昔のような賑やかさはない。油絵を描いていた人も、絵のモデルになった人も既にいないのだ。

卯の花や天金の書の束ね売り  安里琉太

「かもめ来よ天金の書をひらくたび(三橋敏雄)」 卯の花の匂う頃、天金の書は持ち主だった人を亡くし、束ねられ、古書店で売られている。それは誰かが大切にしていた本だった。そうやって誰かの大切だったは本は、違う誰かの大切な本となり、時を経てまた違う誰かの大切な本になる。そんな天金の書の一冊を作者も大切にしているのかもしれない。

先生や牡丹瘦せて月瘦せて  安里琉太

北海道であればこの先生は「クラーク先生」かもしれない。全盛期の美しさの極みであった牡丹も、満月で光を放っていた月もすっかり痩せている。前の句の玉葱の丸く豊満なイメージから後退していくかのようだ。

かはほりに雲の扉の展きある  安里琉太

ひらかれへ馬上の風雲倦む耕  同

この二句の間は一行空いていて、かはほりの句の「展きある」から「ひらかれへ」と繋がってゆく最後の三句は、その前の北海道の三句の追憶を経て、蝦夷地アイヌ民族への追憶へと繋がってゆく。そうであれば次の句の「みしはせ」も蝦夷の別称として用いられていると仮定できる。展かれた雲の扉の向こう側には時空の違う大地があり、そこでは馬が大地を耕すことに飽きているようだ。

みしはせを奇想の蒜へふり分ける  安里琉太

蒜はノビル・ニンニク・ネギなどの古名でもある。鳥沼の玉葱畑とも繋がっている。並べられた言葉とは違い、干すために振り分けて吊るされた玉葱が目に浮かぶ。この「ひらかれへ」と「みしはせを」の二句の造りは、摂津幸彦をなぞるようで、言語が意味をなすように並んでいない。しかしどこか不穏な雰囲気をまとっている。

吊るし倦む百丈雛の黄の総体  安里琉太

百丈といえば300メートル超だ。それだけ吊るせば飽きもするだろう。この句を「百丈/雛の黄の」と切るのか「百丈雛」と一括りにして読むのかは迷うところだった。吊るし倦んでいるのは果てしなく長い吊るし雛なのか、はたまた前の句から続く蒜なのか。最後の句まで断絶しながら少しずつ繫がっている。そして「黄の総体」で眼前は黄色で埋め尽くされふらふらになって一句目の沖縄へと還るのだ。


第676号 2020年4月5日
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