【週俳4月の俳句を読む】
ふーうん・うむ
鴇田智哉
◆「半券 黒岩徳将」を読む
片栗の花に屈むと踵浮く 黒岩徳将
ああするとこうなる、の面白さ。自動的にこうなる、という。
自分の踵だと読んでも機械的で面白いが、一緒にいる人の踵だと思えば、なかなかに魅力的な句だ。片栗の花のイメージからすれば、後者で読んでみたい。
音感としては、カ行がかなり効いている。
花屑が手羽先用の紙皿へ 同
水に茶に蕎麦の半券濡れて春 同
泣かせる二句だ。楽しいことをしているふと、今自分は楽しいんだな、と思う、そういう瞬間でしょう。
そうした後にふっと、
遠足のペンギン音もなく水へ 同
遠足の思い出としてなぜか、この風景が心に残っている。
まんさくの花や拳の中の指 同
拳の中の指、というとやはり、何かを我慢しているのかな、とか思える。そうでなくても、何かをたんたんと遂行しているときの感じではないだろうか。一人の自分である。
まんさくの花、のわなわなした雰囲気が、手という別次元と作用し合っていて、立体的な魅力がある。
◆「追憶と鉈 安里琉太」を読む
海灼くる無風を蝶のひた歩く 安里琉太
くっきりと描写されている。ずっと歩いていくのが見える。
ひた歩く、という言葉が、それを見ている主体のまなざし、を読者にもたらす。
ひらかれへ馬上の風雲倦む耕 同
みしはせを奇想の蒜へふり分ける 同
吊るし倦む百丈雛の黄の総体 同
洒落のめす、という言葉に思い至る、技巧的な三句。
ひらかれ、という魅力的に名詞化をされた言葉の上向き感が、馬上の風雲へとのぼる作用を表したかと思うと、倦む耕(たがやし)、という反作用へと読者を誘い、大きな架空空間を作り出す。
ばじょーのふーうん・うむ、の部分のリズム豊かな調べも魅力。
みしはせ、を、蒜にふりわけるという奇抜な発想。
蒜(ひる)という言葉が、蛭、ヒルコの連想をも生む。
吊るし倦む百丈雛、の句にはなぜか、グリム童話のラプンツェルを思った。百丈、という言葉が髪の毛を連想させたのだろう。
それにしても、黄の総体、とは。黄、という決めつけと、総体、という固い熟語の大胆さが魅力だ。
2020-05-24
【週俳4月の俳句を読む】ふーうん・うむ 鴇田智哉
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