2020-11-07

5. 片岡義順  舞うて舞うて舞うて川まで枯一葉

5.  片岡義順 

舞うて舞うて舞うて川まで枯一葉 

 


高みへと蕪村の墓の春の風
たましいのうしろ姿や遍路笠
菜の花のほどよく漬かり歎異抄
蝶ひとつ山を越えたと里のひと
うたた寝も死のいち定や花の酔
コロナ禍へ食えぬ趣向や花に雪
三井寺の謂れは知らぬ霞む鐘
竹垣の結び目そろう花菖蒲
ただひとつ灯りの消えぬ雛の家
ふところの深き入り江や春の月
落花しきりくじらの去った夜の湾
義仲寺や大きな人の夏の夢
曜変天目町焼き払え夏の月
雨と知り咲く燕子花国宝展
街道も人あればこそ岩清水
暑き日の気構えただす茶懐石
禅堂へ白塀つづく夏の寺
ねそべってわらべ地蔵や青蛙
紫陽花の好むくらがり叔母の家
夕景を千切って捨てたサングラス
撃ったのは向日葵らしいゴッホの死
冷酒美味しショパンの森のノクターン
海を見たか大極殿へ秋の声
奥殿に忍び神職月の客
月光や戦艦大和浮上せり
茶器にある武人の覚悟秋澄めり
語るもの秘して円墳鰯雲
鳥居にも存念はある秋の茄子
僧ねむる山深閑と蕎麦の花
木戸ぬけてもどらぬ男秋の蝉
お地蔵とホテルの朝を京の秋
目が合うて折り合う頃や吊し柿
検索の本は一円秋刀魚焼く
裏玄関菊大輪のおもてなし
鶏頭を遠回りするよその猫
大風呂敷やいつ持ち帰る天の川
冬の虹へ追憶は絹正倉院
雪の朝に三島の魂が金閣寺
くらえ一太刀利休自在ぞ冬の雷
恐竜のやがてだんまり冬銀河
治虫忌や誇りの高きはやぶさ2
古代史を駆けた名馬や冬北斗
史の底にもの言わぬひと冬椿
スマホ手に転がす世界冬薄日
お詣を終えて湯豆腐三輪の山
疑い深い蟷螂だった冬温し
釣り人の休むも供養冬の凪
春遠からじくじらの便り待つ列島
水仙や夢の女は海から来
しばらくは無口でいよう葱畑

7 comments:

義順 さんのコメント...

         舞うて舞うて舞うて川まで枯一葉
落選者本人(片岡義順)による<自句自戒>(言いわけ)です
落選のおかげで全50句「週刊俳句」掲載の光栄を得ました・・角川さんありがとうございます(笑)
応募は今回で4回目・・枯一葉の落ちどころは「どこまで」にはじまり「里」「町」「川」と移り・・この次はいよいよ「海」へそして「水平線」へと、その先は?生きているかどうか(笑)・・
ところで、受賞の岩田奎さんには私の好きな7句がある・・私はこの人を
“甲子園時代”から注目している・・ 
千手觀音どの手が置きし火事ならむ(岩田奎)
橋昏し浴衣の花の名を知らず (同)
       旅いつも雲に抜かれて大花野(同)
          涅槃会やみなとはゆきのすぐ溶くる(同)
           うつし世を雲の流るる茅の輪かな(同)
          夜のはてのあさがほ市にふたり来し(同)
           脊椎はさびしき塔よ大西日 (同)

     受賞50句の中にこの7句を凌駕、匹敵する句が1句もない・・この落差
     は?作句の意図は?・・句を見るに私は句を見ない、人も見ない・・見
     るのは、作者の“心のあり様”=知性と精神性だ・・「7句」と「50句」
     にあるこの違いは?(苦笑)・・
     さらなる高みを目指さんとする直向な作者の知性と精神性が汲み取れな
     い50句であるなら一顧の値打ちもない・・サヴァンナを自由に駆けてい
     た野獣ライオンが、上野の動物園の檻に(笑&笑)・・
     7句に限り言うが・・新鮮、早熟、天与の資質“伝統的抒情”・・天分た
     る知性と精神性が格調高く謳われている・・お見事!立派だ!・・俳句界
     に「藤井聡太将棋2冠」現れる!の衝撃だ・・
     俳句は若くして満たされてはいけない・・「ばか正直」と自認するなら、
     菰をまとい旅を棲家として、誰も踏み込んだことのない奥の細道を“独
     り一心に愚直に”目指すべし!・・
     「俳句は不惑を過ぎてから勝負」・・芭蕉蕪村に学ぼう!・・それまではボ 
     チボチ・コツコツ・チマチマでエエ!(笑)・・大阪のオッサンは買うて読 
     んだ(発売日が待ちどおしかった!)・・口の悪いオッサンが言うてる「
     手抜きやんか!」・・たく、もう!?(笑&笑)
        
     さて、本論に入る・・
「高みへと蕪村の墓の春の風」
仲間と「詩仙堂・金福寺」吟行時のもの・・金福寺には芭蕉ゆかりの庵もある・・墓は寺の裏の一番の高みにある・・誰が建てたのか豪壮立派だ・・
下から吹き上げてくる心地よい風が蕪村の墓の高みへと誘うような、実感句・・ 
     当初下五は「青葉風」夏の季題だったが推敲の結果「春の風」とした・・
     彼には「菜の花や月は東に日は西に」や 「ゆく春やおもたき琵琶の抱きごころ
      」の春の秀句が多いので替えた・・
        「たましいのうしろ姿や遍路笠」
これは拉致被害者家族=横田さんご夫妻=が念頭にあった・・「たましいの拉致被害者や遍路笠」言い過ぎのようなので「うしろ姿」としてイメージを普遍化、抽象化した、・・
魂=たましいの言葉は、日本的、土俗的、宗教的な響きがある・・この一語に「日本文化・精神」のかなりの部分が包含されている
「たましいの」の名句に「たましいのくらがり峠雪ならん」(橋間石)「たましひのたとへば秋のほたるかな」(飯田蛇笏)がある・・非才を省みず、挑戦した・・
「菜の花のほどよく漬かり歎異抄」
季語の「菜の花」に惚れた・・群れて明るく庶民的、人懐っこい・・
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」極悪人でも救ってやるぞ!
国家鎮護、特権階級だけの仏教が広く庶民に流布されるには奈良仏教、平安
仏教から鎌倉仏教の誕生までの長い“歴史”を必要とした・・メイドインジャパンの庶民仏教は親鸞の“南無阿弥陀仏”で完成した・・仏教伝来から500年の“漬け込む”醗酵の期間を要したのである・・
「蝶ひとつ山を越えたと里のひと」
カールブッセの「山のあなたの 空遠く幸い住むと 人のいふ;」の俳句風リフォーム・・人は幸せを求めてあの山を越えようとする・・幸せを掴んだのだろうか・・どうして山を越えねばならないのだろうか・・生活している今この場で、幸せを得ることは出来ないのだろうか・・
「うたた寝も死のいち定や花の酔」
眠りと死にどんな違いがあるというのか?・・目覚めれば眠り、目覚めなければ死・・春爛漫の幸福な酔いから目覚めたとしても、次も目覚るとは限らない・・たまたまの運に恵まれただけ・・蓆の痛みがそれを教えてくれる・・
「コロナ禍へ食えぬ趣向や花に雪」
天もつまらない悪戯をするものだ・・コロナで騒然としている東京に「雪と花」の趣向を凝らしたところで、誰も喜ばない・・
「落花しきりくじらの去った夜の湾」
「水温む鯨が海を選んだ日」(土肥あき子氏)が、念頭にあった・・鯨は
つまり人間が生んだ理想文化=知性の象徴・・去った鯨は再び姿をみせてくれるだろうか・・人は鯨のかかげる理想に応える事が出来るのだろうか・・
「水温む・・」の句は、全人類への崇高な問いかけだ・・グローヴァルスタンダード!“季語の垣根”を超えた・・俳句史に残る名句と言える・・ 
(次号に続く)

義順 さんのコメント...

 第707号(2020年11月8日号)「舞うて舞うて舞うて川まで枯一葉」の続
 き(夏の季語編)・・
「義仲寺や大きな人の夏の夢」
 義仲寺には芭蕉の墓がある・・彼の句の「蛸壺やはかなき夢を夏の月」が念頭にあった・・彼は今もなお、大きな夢を抱いて百代の過客の最中なのだ
 死後埋葬される地を北国街道にある義仲寺を選んだ・・思い立てばすぐに旅を・・行き交う旅人にやさしい目を・・俳人芭蕉にとって生きるは=旅=無一物、一所不住、菰をまとう乞食だった・・この境遇に身を置いたからこそ名句は生まれた・・彼はそれを知っていた・・
 過日、ここで仲間と句会をもった・・気が気でなかったのは、その日芭蕉は居たのか、それともどこかへ旅で不在だったのか(苦笑)・・一度、彼の居るのを確かめて月の義仲寺を訪ねたいと思っている

「曜変天目町焼き払え夏の月」
「曜変天目茶碗」としたかったが、長過ぎるのでやむなく・・昨年、国宝の三碗が同時期に公開された・・「MIHO MUSEUM」と「奈良国立博物館」の2碗を見に行った・・ブルーの輝きの妖しさは言葉にならない!気づかずにガラスケースに何度も額をぶつけた・・「美の魔力!魔力の美!」がそこにあった・・
 妖刀を持てば人を斬りたくなる・・曜変天目を手にすれば、町を焼き払いたくなる・・人払いした真っ暗闇の、月の光りでこれを愛でたい・・人間臭い町の灯りは目障りだ・・戦国の覇者信長ならやったであろう・・天下人だけが知る“美的特権”なのだから・・

「雨と知り咲く燕子花国宝展」
 「美の魔力!魔力の美!」は現実にある・・応挙の幽霊が軸を離れて夜
な夜な徘徊したではないか・・左甚五郎の彫物が命を得て街中を騒がせた・・
なら、尾形光琳の燕子花も国宝展のため奥ゆかしく咲いてくれても不思議はないだろう

「暑き日の気構えただす茶懐石」
 これも詩仙堂吟行時のもの・・暑い日の石段を昇りつめ、座敷から見た白砂が印象的だった・・その時「カーン」鹿威し(ししおどし)が山中に響き渡った・・一瞬の静寂、禅寺の緊張感が漲った・・そうか!我々への“もてなし”はこの一撃だ・・茶懐石ではなかったようだ・・

「禅堂へ白塀つづく夏の寺」
 禅寺は白がよく似合う・・長く白い塀、清々しい庭園の白砂・・一心に励む青年僧の爽やかさでもある・・若い頃、永平寺に何回か参禅した・・朝3時半起床、夜8時就寝・・日中は作務とひたすら座禅三昧・・早朝の座禅はスッキリ爽快、頭から雑念が消えた・・刹那のそれであるが“無心”を体験した・・

「夕景を千切って捨てたサングラス」
 拙句に「エーゲ海拗ねた男のサングラス」がある・・一世を風靡したアラン・ドロンを詠んだもの・・一昔前サングラスは、不良少年と暴力団と映画俳優のものだった(笑)・・  
 ケネディ大統領夫人ジャクリーンのサングラスに感慨が・・ファーストレディの時は栄光と誇りと虚栄だった・・一転の失意からは悲しみと悔しさと拒絶と沈黙に一変した・・サングラスの非情な光と影・・ 

「冷酒美味しショパンの森のノクターン」
 冷酒は私の好物・・甘口でちびりちびり・・舌でころがすワイン感覚!・・海の幸のお造りには、これがGood!・・この美味さは、言葉では表現できない・・困っていた時、ふと聞こえたきたのが・・
https://www.youtube.com/watch?v=CJV4l0cnNO4
ショパンさん,フジ子ヘミングさん、よろしくお願いします(笑)・・
(次号「季語秋の編」に続く)

義順 さんのコメント...

「舞うて舞うて舞うて川まで枯一葉」の続き・・自句自戒の秋の季語編

「海を見たか大極殿へ秋の声」
大阪城吟行のもの・・難波の宮の大極殿は、城近くの跡地だけ・・その昔は近くまで海が迫っていた・・堺の巨大古墳群(仁徳天皇陵等)と共に中国(唐)から入ってくる船に見せつけるように築造された・・海上防備の任を担いながら大和王朝の贅を尽くした当時の最高建築物・・その昔なら、秋の壮大な夕陽を浴びながら「茅渟の海」(ちぬのうみ=大阪湾)に燦然と輝いていた事であろう・・

「奥殿に忍び神職月の客」
 奈良・三輪明神(日本最古)参拝の折の想像上の作品・・夜になって、神職が奥殿に忍び込んだ・・独りちびりちびりやりながら月を愛で、月と語り、飽きる事がない・・
 ご存知か、この光景が日本文化=詩歌を生んだ原風景・・月と人との美しい交わり=その感動を人と分かちあいたい、口ずさむにはおけない衝動・・原初的なこの行いが、日本短歌57577をこの世に創造した・・

「月光や戦艦大和浮上せり」
 特攻「戦艦大和」の悲劇・・乗組員3332人・・生還者276人・・
海底に今なお3000余の兵が眠っている・・
 東シナ海に月の光が煌々と輝くある夜・・「戦艦大和」はおとなしく鎮魂に眠っているだろうか・・海上のほのかな光に気づいた時「戦艦大和」の魂は震えたはずだ「浮上しなければ・・」・・3000余の兵が「月が見たい!ふるさとの月を・・」・・鬼気迫る慟哭が艦内に満ち溢れた・・
 遠慮はいらない「戦艦大和」よその姿を現せ!・・兵よ総員上甲板に整列・・捧げ銃!月を仰げ!ふるさとを想え!・・泣きたい者は泣け!あらん限り泣いて泣いて泣き崩れろ!・・君たちはすぐさま、あの冷たくて暗い海底に戻らねばならない・・

「茶器にある武人の覚悟秋澄めり」
 当初中七を「美の品格や」としていた・・いまいちなので「具象の中七」を探したが発見できなかった・・
 利休の茶の湯・・侘び寂び、削ぎ落とした後の素朴シンプル感と単純明快な武士の覚悟と潔さとのコラボを試みたが作品としては未完、失敗作・・

「鳥居にも存念はある秋の茄子」
 不動沈黙、奇妙大仰な造形・・千年を立ちつくしながら何を見たか、何を聞いたか、一切を語らない・・真実、語るべきはないのか?・・鳥居は正体不明、謎だ・・多くの俳人もくぐるだけ、これを素材にした名句はない・・

「僧ねむる山深閑と蕎麦の花」
 拙句に「僧は待つ鎮守の森の月明かり」がある・・それをリフォームした・・僧は私にとって得意の“絵”“ネタ”だ・・「僧ねむる」は何を意味するのか・・臨済宗・妙心寺派の末寺の生まれが影響している・・季語の「蕎麦の花」は物足りない・・もっと深いイメージの山の季語がある・・

「木戸ぬけてもどらぬ男秋の蝉」
 何故こんな句が出来たのか自身分からない・・ある日小男が小銭を持ち逃げした・・頬っかむりして裏木戸を走り去った・・それを二階から私が俯瞰している、何故?どうしてか分からない・・その小男は芝居役者だったような気がするが?・・

「お地蔵とホテルの朝を京の秋」
 京都には私の青春の4年間が眠っている・・いつ行っても懐かしい!・・
昭和38年からの4年間・・昔の京都がそのままにあった・・加茂川の流れも、建物も、市電も、人の心も・・
 今は独りでよく行く・・一日ひとつの寺院にいてじっくりその風景に溶け込む・・ベンチでうたた寝する事も・・気がつけば、数百年前の夢の光景にいがぐり頭の青年僧が・・あれは誰だ!?・・

「裏玄関菊大輪のおもてなし」
 人を迎えるのは、表ばかりとは限らない・・裏口から招き入れねばならない場合も・・客人への心配りはさりげなく、しかし心のこもったものを・・

「鶏頭を遠回りするよその猫」
 念頭に子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」があった・・この句評は沢
山あるが興味がない・・根岸の小さな庭に植わっていたのであろう・・毒々しいあのグロテスクな色は好まない・・猫も嫌うのは当然・・彼のユーモアを真似てみたが・・

「大風呂敷やいつ持ち帰る天の川」
 ユーモアな俳句は、あまり好まれない、何故か?・・ユーモアには「知性と精神性」が絶対必要条件・・このふたつの究極の行き詰まりの“逃げ”からユーモアが生まれる・・芭蕉以外にこれを備えた俳人は知らない・・彼の晩年の「軽み」の探求が成っていたら、ユーモア名句が生まれただろう・・
 子規にも最晩年の“ユーモア”“軽み”がある・・「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」・・死期を知り居直り=諦念=解放=悟りから、心が軽くなったのだ・・長い闘病の断末魔に見せた明るく、悲しい句境・・
私は凡人、ユーモア俳句など無理・・どうせなら衆人の前で大風呂敷を広げて、どでかい天の川でも持ち帰ると、大法螺を吹いてみよう(笑)・・
(次号「季語冬の編」に続く)

義順 さんのコメント...

「舞うて舞うて舞うて川まで枯一葉」の続き・・自句自戒<冬の季語編>
「冬の虹へ追憶は絹正倉院」
勢いを増すグローバリゼーション・・今、目の前で営々と2千年にわたり築き上げた日本文化は、音を立てて崩壊している・・応仁の乱、明治維新、第二次大戦後よりもさらに大規模な根こそぎ崩壊の・・東京大空襲の灰燼の様子・・
いずれ100年後?に、新たな日本文化=欧米と東アジアとアフリカ、中近東の世界中の人と文化の混然一体となった、想像を絶する「新日本文化」が誕生しているだろう・・“新日本人”が作った俳句を今、想像できる人はいるだろうか(笑)・・
奈良町散策の折、正倉院にまで足を伸ばした・・絹織物他、当時の日本文化の“粋”を蔵した奈良時代の大建築物・・ふと見上げたら、雨上がりの正倉院の空に巨大な半円の虹が浮かび上がっている・・なんと見事な!何で今?!寒い!・・夕空を前にこの光景は何か妖しげ、もしかして?・・私はセンチメンタルにならざるを得なかった・・

「雪の朝に三島の魂が金閣寺」
学生時代に見た“雪の朝の金閣寺”を忘れない・・降り終わった朝の空
は真っ青だった・・風を受けて、屋根から雪がキラキラ舞い散っている・・
雪が黄金に光っている・・なんと!「燦然たる美」が目の前に現れた・・
義満の狙いはこれだったのか!!・・
5年後に三島由紀夫は割腹自殺を遂げた・・彼の魂=精神は何だった
のか・・間違いなく言える事は「よき日本への郷愁と絶望」だった・・
2000年の日本文化の滅びをいち早く知ったのは彼・・そして最も強く絶望
したのも彼・・最早生きるのは、美的精神が許さなかった・・自裁!という
“ど派手”な演出を見せて「滅びゆく日本」と決別した・・
金閣寺を背景に、朝日に散る真っ白な雪は三島由紀夫だ!魂だ・・
人にいか様に罵られようが私の受容、理解はこれ以外にない!・・

「くらえ一太刀利休自在ぞ冬の雷」
割腹の前に利休の考えた事は・・「秀吉と刺し違えたい」ではなかったか・・
「天下人」と「最高文化人」の確執、意地の張り合い・・
利休の茶の湯の原形は、京都大山崎にある妙喜庵の「待庵」(二畳隅炉の粗
末な茶室)・・他方、天下人秀吉のそれは、究極「黄金茶室」にまで達した・・
出逢いのときから、2人の破局は予定されていた・・

「恐竜のやがてだんまり冬銀河」
地球の歴史46億年の内、恐竜は1億6千万年にわたり存在して、君臨した・・
そして或る日、ひとつの隕石で一瞬に滅んだ・・そして今、それに替わ
った人類もやがては想像もつかない“隕石”で滅ぶだろう・・我々はそれを
知っている、待っている・・

「スマホ手に転がす世界冬薄日」
映画「独裁者」が念頭にあった・・チャップリンが弄んだあの地球儀は・・
今若者の間で“スマホ”と呼ばれている・・スマホを持てばすべての情報が
わが手に、実現できない欲望はない、世界さえ我がものに支配できるだろう・
・よこしまな想像力は途方もなく、果てしなく・・スマホは恐ろしい!・
・悪魔!だ・・

「水仙や夢の女は海から来」
夢の女はいつでも、どこからでも不意にやって来る・・背景は決まって海、
もの静かで清純,可憐・・女と岸に座り波の音を聞く、青い空を見る、白
い雲を見る、はるか水平線を見て・・でも何も語らない、ただ眺めているだ
け・・やがて何処からともなく大きなやすらぎに私は包まれる・・ああ!心
地よい朝の目覚めだ!!!・・

「しばらくは無口でいよう葱畑」
拙句に「葱畑授乳をいぞぐ男たち」がある・・これらはユーモアをねらっ
たつもり・・ユーモア俳句に絶対必要条件は「知性と精神性」・・これを如
何に目立たないように、さりげなくやさしい言葉の中に入れ込むか・・ほと
んどが成功しない(苦笑)・・
この落選50の作句に5ヶ月を要した(既作もあるのでほぼ2年)・・少
々疲れた、集中も切れそう・・私の抽斗は空っぽ・・次を満たすのに何年か
かるだろうか?・・しばらくは無口でいよう(笑)・・
「自戒」としたのは「・・自解」などおこがましいから・・読み返すと自
分の生きた歴史、考えた事が根拠、下地にある・・当然の事が気づかずに作
っていた・・句友から「お前の俳句は自句自戒を読んだら分かる」と言われ、
ドキリと胸に響いた・・人さまに分からない俳句、まさしくこれが自戒とな
った(苦笑)・・
次号は同じ落選句「17丸田洋渡銀の音楽」を読みます・・ズバリ!言いたい放
題!お覚悟あるべし・・そやけど、ちょっぴりお楽しみに(笑)・・

義順 さんのコメント...

落選50句「17丸田洋渡 銀の音楽」を読む・・ズバリ!“言いたい放題”覚悟あるべし(笑)!

 俳句らしくない!・・だけど“575の詩”として成り立っている・・もしかして伝統俳句も前衛俳句も超えている?・・別物の575かも・・
50句の中から注目の句を拾えば・・
皿の上に声載っている夏霞(丸田洋渡)
空間に斧おいてある雪のはなれ(同)
たんぽぽや今もみずみずしい戦禍(同)
白鳥と白い硬貨を並べけり(同)
春のたましいの全体的な腐敗(同)
桜の向こうをデジタルに補完している(同)

 「皿の上に声」「空間に斧」「みずみずしい戦禍」「白い硬貨」「全体的な腐敗」「デジタルに補完」等々・・新鮮で難解、非俳句的な言葉を多用するこの若者の心のあり様=知性と精神性とは?・・
 先入観のない、恐れのない・・純なあるがままの立ち姿がある・・読む者の想像力を安易に許さない・・言葉の裏側を照射して新しい言葉の価値を発見・・抽象と具象による二物衝撃の冒険と格闘をして見せる・・これらは伝統俳句と違う・・豁然と新時代を先見していそう・・例えで言えば、ヴェンチャー企業が最先端の“ドローン”を開発している?(笑)・・一体「君は何処から来た?何処へ行く?何を謳いたいのか!」・・伝統ある「芭蕉俳句学校」の卒業生と思わないほうがエエかも・・

 落選50句の他にも・・
「伝承を激しく理解した 雪月花」(丸田洋渡)
「儀のなかの奇術しかるべきときに鷲」(同)
「文と文法おとずれてから開く雉」(同)
うっとりと虹の骨子を呑みこむとき(同)
夢として鍵に扉が過剰であった(同)

 この戸惑い、違和感は我々が過去に経験している・・金子兜太の「銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく」・・俵万智の「サラダ記念日」・・さらに古くは芭蕉の「古池や“蛙飛び込む”水の音」もそうだ・・
 “蛙”は、俳句としての新文芸をこの世に成立させた・・“サラダ”は旧短歌を一変させた・・“銀行員”のその後は、己の句を伝統俳句に認知させた・・

 では彼の場合は・・
今現在、ヨット(洋渡)に乗って太平洋のど真ん中にいる(笑)・・自慢の“575の詩”を世界に発信した・・しかしここからの航路も母港も未だ決まっていない?本人も分からない(苦笑)・・海図と磁石とにらめっこしている・・

 残念ながら、私は彼の“575の詩”の先行きを予見する力はない・・しかし彼の作品の持つ天与の「知性と精神性」は彼の宝物であり、俳句の“命”でもある・・これだけは是非堅持、失わないでいただきたい・・

 どこの誰が何を言おうと俳句の命は「知性と精神性」だ・・
極小の575・・作者の心のあり様=「知性と精神性」を濃縮、昇華、止揚せしめたからこそ文芸作品=俳句として成り立っている・・この難渋極まりない知的作業を経ない575は“蝉の抜け殻”俳句ではない・・

 それにしても、巷には知性と精神性のない俳句?が何と多い事か!・・心のあり様が中途半端・・“エエ大人”がどうでもエエ日常雑事をわざわざ“写生”してグダグダと、埒もない“つぶやき”を日々延々と繰り返している(笑&笑)・・このどこが知性と精神性なのか・・芭蕉が泣いている「芭蕉の後に芭蕉なし」と言われる所以だ・・

 浅学であるが、少々持論を述べたい・・①俳人は乞食(こつじき)であれ・・菰をまとい、人の踏み込んだことのない奥の細道を一心ひたすらに目指すべし(心構えとしての話)・・正業に就いて己の文化資本の蓄積に勤しむ・・プロ?を名乗る青臭い俳人など見たくもない、堕落のはじまりだ・・
 また、②「俳句は大人の芸事」“丁稚”のアソビではない・・ほんまもんの俳句を作れるのは不惑を過ぎてから・・その年齢が近づけば、自然に制作の欲求が湧き上がってくる・・蓄積したものが溢れ出してくる、その時がチャンス!・・
 もうひとつ③制作のピークは生涯で10年しかない・・575の閃き(神からの贈り物)は、ダラダラと続かない・・火花・花火の一瞬、刹那と心がけるべし・・大俳人の芭蕉蕪村子規はすべて10年でその業績を終わっている・・
 さらにもうひとつ④恐ろしいジンクスがある・・20、30代に制作のピーク、活躍した俳人は夭逝する・・子規、杉田久女?田中裕明等・・夭逝は天才画家に多い・・天が与えた仕事=使命を成し遂げたら、天は容赦なくこれを見捨てる・・この非情をご存知か?・・恐ろしいジンクスだ!・・これ以上は言わないでおこう(笑)・・

 若さほど貴重なものはない・・丸田洋渡さんの純なまっしぐらの「知性と精神性」には脱帽です、ご立派です・・唐突ながら拙句を披露してその証しとしたい・・
「悲しみは前衛が抱くアマリリス」(義順)
「洋梨の転ぶ世紀にいたピカソ」(同)・・
ご精進を祈ります(笑)・・

じっくり読んでみたい“落選句”がまだあります・・少々疲れたのでしばらく休憩をしてから取り組みたいと思います・・その折にはよろしくお願いします(低頭)
片岡義順

義順 さんのコメント...

落選50句「高梨章 11 透明水彩」 を読む・・作者は忍者か?隠者か?仙人か(笑)・・

となりにて雨を見あげる蛙かな
とどかないひかりもあつて野の遊び
ここに住むひとりのひとの皿と薔薇
犬がのむ水の音きく枯葉かな
木の葉まふこんな夜更けに空がある

私の恣意的な、独善の感想です・・ご寛容にお願いします・・
50句に先ず、漢詩を想った・・李白「静夜思」・・ 牀前の月光を見る、疑うらく
は是 地上の霜かと・・杜甫「岳陽樓に登る」・・昔聞く 洞庭の水 今上る岳陽樓・・
これらの詩の通底には世捨て人の、隠者の生きざまがある・・高校時代からこの心を持つ(今もある)私はピン!ときたのですが・・

しかし、よく読んでみてこの50句は李白や杜甫とは別ものだ・・私の早とちりと合点した(笑)・・作者と対象との切り結び、葛藤がない・・社会への未練も生きた残滓も一切捨象している・・
聞いてゐたつもりが風鈴鳴りにけり
雨が讃め風が讃へて木の芽かな
柳ちる夜のちからの尽きるころ
芹をあるくきのふの雨の声がする
永き日やこれから足を組みかへる

用意周到に自分の顔姿を見せまいとする(全句にこの“からくり”がある)・・たんたんと、あるがままに周辺に目?を移すだけ・・575に己の痕跡は一切残すものか!・・本来あるべき心のあり様=「知性と精神性」を完全に隠蔽、抜き去った50句・・これはアソビ心?お恍け?(笑)・・一体何を目論んだのだろうか?・・
ここまで読んでふと脳裏をよぎったのが昨年の生駒大祐さんの「水界園丁」・・静謐感のただようまことに美しい句集ですが、これもまた作者の顔が黒衣にさりげなく覆われていた(最近のトレンド?)・・

この透明水彩の作者の句は5年ほど前から読んでいる・・今年はとくに「老いへの凝視」=老境=現実離れ=人離れ(笑)が深まっている・・まあ、人生100年時代と言われる昨今です・・「忍者?隠者?仙人俳句?」があってもエエのではないだろうか・・ご長寿を祈ります(笑)・・

編集者の皆様へ
11月からこの「週刊俳句」の場をお借りして、駄文を掲載させていただきました・・皆様の“ご寛容”のお陰で自由に書けました・・厚くお礼申しあげます(笑)・・
惜しいのは今のところ“一方通行”にある事・・キャッチボールの楽しめる自由活発な場へと、飛躍を祈るばかりです・・SNSは、ますますその存在が重きを増します・・将来が大いに楽しみです・・
どうぞよいお年をお迎え下さい・・まことにありがとうございました(低頭)
片岡 義順

折戸洋 さんのコメント...

何もせぬ一日なりけり桐一葉 折戸洋