2021-07-25

【句集を読む】平均台上の何者 松本龍子句集『龗神』の一句 岡村知昭

【句集を読む】
平均台上の何者
松本龍子句集『龗神』の一句

岡村知昭


陽炎の平均台の上に棲む  松本龍子

陽炎が揺らめく。熱気あふれる空間で、平均台もまた、揺らめいているかのように佇んでいる。熱い空気の揺らめきを見つめていると、この平均台の上には、何者かがいそうに思えてくる、いや思えてくるではない、本当にいるのだ。いまの自分の眼には映っていないだけで、この平均台の上には、何者かが確かに「棲」んでいるのだ。

ここでもう一度、一句の冒頭から読み返してみる。陽炎が揺らめく中に佇む平均台となると、屋外に平均台が置かれている像がすぐに浮かんでくる。すると、器械体操の一道具である平均台が屋外に置かれるなんてあるのか、と思ってしまう。もちろん体育館の熱気が陽炎のように揺らめいていると捉えたらいいのだろうが、何回も読み返していくと、誰かがいそうな熱気と揺らめきが、屋外での景として鮮やかに立ち現れてくるのを、どうしても抑えきれなくなってしまうのである。もちろん「実際にそういう景があったのですよ」と言われたら、それまでではあるのだが。

そして「棲む」である。「住む」でなくて「棲む」なのである。「棲む」で思い浮かべるのは人間よりも、獣であったり、魂であったり、物の怪の類だったりする。陽炎に覆われた平均台の揺らめく様子から、この世のものではない何かの存在を察し、ひそかなおののきを感じている姿が、この一句での「棲む」には込められている(ように、読み手のひとりである私は察する)。一句において「棲む」のは誰なのかを特定していない曖昧さは、平均台に「棲む」ものへの想像をかき立て、さまざまな読みを引き出してくる。魂か、物の怪か、それとも、もうひとりの自分自身なのか。

そんな風に思いめぐらす読み手をよそに、陽炎に覆われた平均台の上では、何者かが確かに棲んでいる。いま、このとき、平均台の上の何者かは立ち上がり、歩き出し、宙返りからの着地を決めている。演技の成功に笑みを浮かべている。さらに宙返り、宙返り。見事な演技を決める。あなたはいったい何者なのですか。その問いへの答えは、しかし、平均台の上からは聞こえない、届かない。ただ、平均台の上で、陽炎が揺らめいているだけなのである。


松本龍子句集「龗神」2021年1月/現代俳句協会


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