【インタビュー】
「西川火尖に、中山奈々から20の質問」こんにちは。中山奈々です。
角川「俳句」2019年6月号、大特集〈推薦! 令和の新鋭 U39作家競詠〉にて、西川火尖さんが「私のライバル」に挙げた中山奈々です。
Q1、いまもその気持ちに変わりはありませんか。
(もし変わっていたら、怒らないので新たなライバル名を教えてください)
こんにちは。よろしくお願いします。結構角度のついた質問が来ましたね。はい、変わらないです。でも、あのとき突然ライバルに挙げて驚かせたと思うので、この機会に少し説明すると、第2回龍谷大学青春俳句大賞の入選をきっかけに俳句を始めて、かなりハマって挑んだ第3回、結社にはいって俳句漬けで臨んだ第4回と、どちらも中山奈々に最優秀賞連覇されてるんですよね。俳句を始めた最初期のころに、自分よりずっと先に行っている同世代の俳人に出会った。振り返ったとき、この出来事は大きかったと思います。
ここでは20の質問していきます。あ、すでに1問目出したのですが。実はこれは質問ー回答をラリーしながらのものではなくて、なかやまが用意したものをいっぺんに送りつけて、後日、火尖さんが答えるという方式です。ですから、質問は違うけれど、似たような回答をさせてしまうということがあり得ます。ないかもしれません。まあ、そういうところも楽しんでいただけたらと幸いです。
すでにお気づきかと質問状にしては、なかやまがよく話していますね。このあたりは読み飛ばしてもいいかもしれません。
さてこうたくさん話しているうちに火尖さん、リラックスしてきましたか? え、まだ?
じゃあ、アイスブレイクといきましょうか。
Q2、好きなアイスの味はなんですか。
ガリガリ君ソーダ味ですね。付き合いが長い。
アイスブレイクでアイスの質問。すべっているのは分かっています。氷だけに!
このしょうもなさに緊張がとけたようですね。
では、俳句の話に移ります。
句集『サーチライト』の著者略歴にて「第二回龍谷大学青春俳句大賞入選をきっかけに俳句に興味」を持ったとありました。入選したら、なんか認められた感じがして、おっ。となりますよね。
Q3、いやいやそもそもなんで応募しようと思ったのですか。
応募の時点で興味あったんじゃない? その興味はどこから?
どうかな、応募時点では俳句に興味があったとは言えなくて、しかし賞のバナーをクリックしたのは偶然ではなくて、押そうとして、押した。小林恭二は俳句を「屈託を盛る器」(『実用青春俳句講座』 福武書店 1988年)と評したけど、自分にとっても、バイトで上手く振舞えないとか、好きな子のこととか、想像で失恋したりとか、将来とか、4ビットくらいの悩みを沢山抱えていたわけです。定型に収めることで人知れずそれらを外に出したかったんだと思います。後は、投句無制限なのをいいことに、どんどん投句している内にすっかりハマってしまったという感じかな。選考委員の選後評で、大学生部門のレベルの低さを酷評してたの、半分くらい自分の大量投句のせいかもしれない。
Q4、興味を持って、まずしたことはなんですか。ひたすら作ったとか、専門書を漁ったとか、どんなことをしましたか。
みんなやるようなことをやっていましたね。俳書を読む、出てきた俳人の句を覚える。『20週俳句入門』、『新実作俳句入門』の通りひたすら型の練習をする。名句だと言われるものを名句だと思い込む。作った句は「ハイクブログ」という俳句投稿サービスで発表していました。
Q5、先の俳句大賞を応募したときには火尖さんは大学生でしたね。その頃、俳句以外に何に興味がありましたか。
どうだろ、友達と漫画読んだりしゃべったり、うすくて温い毎日を送ってたからなあ。これといったものがない。でも興味というよりは必要に迫られてって感じで、社会問題や市民運動に関わっていました。そこで文章を書かせてもらったり、シンポジウムの企画をしたりしてました。先輩は私を「活動家」に育てたかったみたいだけど、突然現れた俳句に全部持ってかれたって感じですね。ただ、問題も問題意識も変わらずあるので、今も言動や俳句に表れていると思います。
Q6、俳句を始めた大学生時代のことばかり聞いて申し訳ないです。たしかブログ「そして俳句の振れ幅」※1 開設もこの頃で、〈ブログ俳人〉を名乗っていますね。このブログでよかったこと、そうでないこと、ありましたか。
最近はtwitterに文字が吸われてしまうので、更新が滞ってるけど、よかったことは沢山あります。考えをしっかり文章にできるし、ブログ経由で「西川火尖」を見つけてくれる人も多かったし、ちょっと気になったワードをブログ内検索にかけると、過去の自分が結構面白い見方をしてるのが残っていたりして、アーカイブとしても役に立つし、いいことだらけですね。おすすめです。よくなかったことは、掘り返されると恥ずかしいものがざくざく発掘されることに耐えねばならないことでしょうか。
今は〈Twitter俳人〉と名乗るひとが増えています。媒体は違うのですが、ブログ俳人と名乗っていた火尖さんはどんなだったのか、興味があったので聞いてみました。
で、ブログ(ネット)開設と前後して、火尖さんは2006年1月、石寒太主宰『炎環』に入会する。
Q7、どうして結社に入ろうと思われたのですか。そして『炎環』を選んだ理由はなんですか。
もともと、藤田湘子の自伝『俳句の方法』(角川書店)の影響でどこかしら結社には入ろうとは思っていたところ、「ハイクブログ」で知り合った山鳥しだりさんという方が炎環を勧めてくれてタイミングが良かった。主宰の石寒太と句について調べて「蝶あらく荒くわが子を攫ひゆく」の句が決め手になって炎環に入りました。
そして同年11月に主宰である石寒太さんと初対面して「安西先生」の印象を抱いたと、ブログで読みました。またブログかーと言われそうですが。
Q8、石寒太さんは、いまはどんな存在ですか。
大体当時20代の思い描くいい指導者像って、安西先生になりますねwww。実は、結社に長年いるわりには、いわゆる俳句結社的な「師と弟子」みたいにはなってなくて、しかし、先生はそれを気にしてないというか、今の距離感を尊重してくれていると感じています。
でもあっさりしてるように見えて、句集の序文をお願いしたとき、手書きの原稿用紙17枚にぎっしり書かれて届いて、希望があれば、削ったり直したり書き直しますって言ってくれるんですよね。実際分量についてはかなり削ってもらいました。そんな感じです。
質問の残りが半分近くなってきたので、句集の話に移ります。
句集のp128にある、
爆弾の名に雛菊とつけしは誰
『炎環』2006年7月号に投句した〈爆弾の名に雛菊とつけし誰〉を寒太さんが【爆弾の名に雛菊とつけしは誰】と添削したのではなかったでしょうか。
Q9、やはりこの句は外せなかったですか。
この添削好きなんですよ。「は」をいれることで、「誰」の問いかけが一層重く感じられる気がしませんか?「石寒太に師事」という部分が出ている句だと思います。
少し無理やりですがこの雛菊は「デイジーカッター」という燃料気化爆弾の俗語から来ています。雛菊と全く関わりのないところで付与された兵器という情報を詠むことで、有季定型の手触りのまま、季語のイメージを反転させ、その季語では触れられなかったものを詠もうと試みました。しかし「雛菊」=「デイジーカッター」という繋げ方には無理があり、完全に成功したとは言えません。でもこの句は、そういう発想に至った思い入れのある句です。尚、このやり方の成功例だと私が思っているのは、「翁に問ふプルトニウムは花なるやと 小澤實」「懇ろにウラン運び來寶船 堀田季何」があります。
序文で寒太さんは三句挙げて鑑賞しています。そのうちの一句、p15
映写機の位置確かむる枯野かな
は句集の一番最初にあり、章にすら入っていません。これから句集を読むわたしたちが枯野の観客と重なるようです。
Q10、そういった狙いはありますか。それは「波」という章の一句目(p29)〈開演のブザー枯野に欲しけり〉と同じ目的で配置されているのですか。
そうですね。ネタバレ的にいうと『サーチライト』という句集のタイトルが、上映の光に重なるような、そういうのがこれから始まるような気がして、句集全体に効くように章の外に置きました。〈開演のブザー枯野に欲しけり〉もそうですね。本編開始の句です。
『サーチライト』の特徴として、労働者の視点があると思います。帯にある自選十句に〈非正規は非正規父となる冬も〉があります。
花を買ふ我が賞与でも買へる花を 「波」
夜勤者に引継ぐ冬の虹のこと
チューリップ求職中と書きにけり
この流れで読むと〈冬近し無料情報誌の黄色〉はタウンワークのことなのでは! とひとりで納得してしまいました。当たっているかな。
Q11、火尖さんにとって、労働者の視点は大きなテーマですか。
〈冬近し無料情報誌の黄色〉はタウンワークです。当たってます。2008年、仕事が辛すぎて辞めて、無職のまま逃げるように上京したころの句ですね。炎環では『東下り』になぞらえて「アズマー」という題で出した句の一部です。労働者の視点は確かに意識はしていますが、テーマというよりは、自分の立ち位置から見えるものを句にしているという感じです。仕事が出来る方ではないので、ちょっと情けない感じになるのは割りと自覚していますが、それはそれで、立派な仕事を持つ人が多い俳句界隈の中では、相対的に目立つのかもしれません。薄給で、昇進も昇給もできない奴だけが手にできるスタイルなのです。
もうひとつ、火尖俳句には政治への関心が表れています。
先に国滅びて春の水溜まり 「波」
自粛即棄民の国の春惜しむ
日本国憲法の忌と思ひけり
労働や政治を詠むことは広い意味での「社会性俳句」ですが、
Q12、社会性俳句を意識して詠むことはありますか。
これもQ11と同じように、自分自身との関係がまずあって、それを詠んでいるのだと思います。ただ、労働詠よりは対象が大きくなりがちなので、俳句としてみたときどうか?というインナー火尖の問いかけをクリアする必要があり、公開してる句は少ないです。
赤野四羽さんは、句集『夜蟻』のあとがきで、句の器に盛り込めなくても、指し示すことで大きなものを詠むことができると書いており、私も大いに賛成しますが、Q9で答えたような季語の反転裏技的な用い方で、俳句(季語)に違和感を持たせることで、社会性を同居させたいとも思っています。
句集に絡めていますが、どうも火尖さんの作句姿勢への質問になってしまいましたね。申し訳ない。えーと、あ、この句集は第11回北斗賞受賞(「公開鍵」)によって刊行された句集ですが、
Q13、もし受賞してなくても、句集を編もうという気持ちはありましたか。
句集は、何か大きな賞を獲ることが出来たら賞金で編もうと思っていたので、北斗賞を受賞しなくても、別の賞をきっかけに編んでいた可能性はあります。結局いいタイミングで運よく北斗賞を受賞出来たのは良かったです。
わたしは句集刊行も、何より賞へ挑戦も誤魔化して生きているのですが、
Q14、句集刊行や賞への応募で作品をまとめることって大切ですか。
まとめないことには応募もできないし、句集も出せないので大切だと思いますが、私は苦手です。『サーチライト』も、まとめるのが苦手過ぎて、出版までに一年以上かかりました。北斗賞や芝不器男俳句新人賞に連続で応募してる人はすごいです。
さてさて
夜勤者に引継ぐ冬の虹のこと(二回目の登場)
宿題の子の暗唱のやうな虹 「波」
子の問に何度も虹と答へけり
原爆の絵本の虹を見下ろしぬ
耳鳴りは虹の残滓副都心 「粒」
と「虹」の句が目につきました。
Q15、「虹」という季語は好きですか。
好きです。掴めないのに見えるというのは、惹かれますね。自然現象として惹かれるのはもちろんですが、俳句的にも使いやすい季語だと思います。
季語は「虹」に注目したのですが、言葉なら
冬はつとめてこつそりと嗅ぐ匂ひ 「波」
眠りても化粧の匂ひ夏の雨
蚊遣火の匂ひの残るバスタオル
夏痩せて火の育ちたる匂ひせり
鶯や余熱の匂ふ材木屋 「粒」
白百合を嗅ぐ弟の首飾り
百合嗅いで怒りの容定まれり
一部、「嗅」ぐが混じっていますが、
Q16、「匂」いの句って普段から多いですか。
確かに多いですね。好きなんだとは思いますが、なんでかな。視覚は別として、五感の中でも特に多い気がします。呼吸かな、呼吸を伴うからかもしれません。匂いを感じるとき、嗅ぐとき、主体の息遣いが生まれますね。そういう句が好きというか、句として良くなりやすいと直感しています。
お気づきかどうかわかりませんが、先ほどから引用している句が大体「波」の章からなんですね。
Q17、「波」の章が一番ボリュームがある? あるいはバラエティに富んでいる?
「波」「粒」ともに129句です。でも「波」は作中主体=作者というか、序文でも言及されているように日常に即した句を中心にしているので、「火尖」についての質問が「波」から多いというのは、うまく構成がはまったようでうれしいですね。
Q18、というよりも、それぞれの章立ての意味を教えてください!
どうだろ、みんなはどう思いますか?中山奈々はどう思う?もうしばらく秘密にしたままでいいですか?
もし、「私はこう思う」みたいなのがあったら、DMや#句集サーチライトをつけてツイートしてくれたら嬉しいです。ヒントは
タイトル『サーチライト』
初句「映写機の位置確かむる枯野かな」
「四隅」16句
「波」129句
「粒」129句
「光」2句
奥付
です。
そんなもったいぶるような話ではないのですが、3/27の句集刊行記念イベント「Re:サーチライト」で答え合わせができたらしたいです。
さてもう残り2問。あと一息です。
2016年より子どもを連れて参加出来ることをコンセプトとした「子連れ句会」を運営し、2018年より詩人、歌人、俳人による同人誌「Qai〈クヮイ〉」で活動されています。
Q19、今後どんな活動をしていく予定ですか。
(2つの活動についてでもいいし、そうでない活動についても)
子連れ句会は、対面での句会を再開させたいですね。ただ、ネプリの創刊号でも触れたように、いずれ私(達)は「子連れ句会」を必要としなくなるので、必要としている人に代替わりしていくことも考えつつ、各地で同じような取り組みがしやすいように、情報を広げていきたいです。もちろん「子連れ句会」を必要としなくなっても子連れ句会のメンバーとは「句会」をしていきたいですが。
Qaiは活動をしてなさそうに見えて、メンバー内でのやりとりは活発で、それぞれの創作の支えになっています。態勢を整えて3人で面白いことをしたいですが、個人個人が作りながら生きていくことそのものがQaiの活動と言えます。あと、Qaiのブログをちゃんと更新します。
非常に恐ろしい時代にしてしまった責任の一端と無力さを感じていますが、詩歌や文藝、言論が個人の自由と尊重に基づいていられるよう活動していきます。
あ、そうだ。肝心なことを忘れていましたね。
句集刊行、おめでとうございます。お祝いの乾杯!
Q20、新しい乾杯の掛け声を作ってください。
ありがとうございます。では、Qaiのコンセプトから引いて
「作りながら―!」と言いますので、「生きる!!!!!」で応えてください。
行きますよ、
「つくりながらー!」
「生きる!!!!!!!!」
ありがとうございました。
20の質問への回答、ありがとうございました。
これ、こんな量でいいのかな。まあいいか。
いい、いい。ありがとうございます。答えがいがありました。しかし、喋り過ぎたな。
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