【句集を読む】
キリコの街
白石正人『泉番』の一句
西原天気
顔持たぬキリコの街や西日濃し 白石正人
ジョルジョ・デ・キリコ(1888年 - 1978年)には街、それも広場の絵が多い。そこで人は、描かれても遠景で、なるほど顔が見えない。
ところで、「キリコの街」と句にあるとき、読者(私たち)は何を思い浮かべるのだろう。省略を補って「キリコの(描く)街」が順当な想像か。
あるいは可能性として「キリコの(生まれ育った)街」とか「キリコの(絵のなかにだけある)街」とか、無理筋を含めればキリがなく、これを省略の機能/効果のひとつ、すなわち多様な想像/連想の召喚といったぐあいにポジティヴに解することもできる。
ところが、俳句には、しばしば季語が置かれる。それも、かなり重要な役割を担いつつ。
この句の「西日濃し」は、さまざまなキリコの、あるいは一枚のキリコの絵にある街の全景を受け止めて、私たちのアタマに浮かんだ景色にくっきりとした輪郭、さらには質感や空気を与える。
そういえば、キリコの描くもののすべてに長い陰が伸びていた。シルエットが実体と同等かそれ以上の存在感をもつ。この句の「西日濃し」が、そのことをあらためて思い出させてくた。
白石正人句集『泉番』2022年7月/皓星社
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