2023-12-10

中矢温ブラジル俳句留学記〔19〕2023年度口語詩句賞結果

ブラジル俳句留学記〔19〕
2023年度口語詩句賞結果

中矢温


この度公益財団法人佐々木泰樹育英会主催の2023年度口語詩句賞にて、奨励賞をいただいた。素直に嬉しい。

他の受賞者の作品はこちらから読むことができる。

この口語詩句投稿サイトに投稿された口語詩句は、複数の選者によって毎月一定数の佳作に選出され、選評もつく。ここでしか作品を読めない詩人たちがいる。特に表彰式や授与式を通じて、うっすらとしたコミュニティもあって嬉しい。2023年12月1日時点で、林桂、西躰かずよし、龍秀美、杉本真維子、小島なお、立花開、髙橋修宏、木下龍也の八名(敬称略)が審査にあたられている。(審査員の先生方の顔ぶれを見てわかるように、「鬣」の息吹を強く感じる。またこちらの賞の後援は現代俳句協会と思潮社現代詩手帖編集部である。)一名以上の選者によって佳作に選ばれた句のなかから十句を選んで応募する仕組みである。応募にあたっては、各種証明書の送付が必要で、今回は日本に暮らす親の手を随分煩わせた。改めて感謝したい。

私が応募した作品は次の十句。この場を借りて、(陳腐なものになることを知りながらも)自句自解を開陳したい。

漱ぐ 言葉貧しくして光れ

→「語彙力がない」の言い換えとして「言葉を貧しくする」という表現にした。語彙の乏しさは一見ネガティブな現象と思われがちだが、使用言語が制限されることにより研ぎ澄まされて輝くものもあるのではないかと思っている。ある種ポジティブなものとして読者に提示したかった。

真昼間の柱時計を巻く仕事

→ある日の夢のなかで私は、軽井沢(※行ったことはない)の別荘で柱時計を巻く(※巻いたことはない)仕事をしていた。田中裕明の「教会の冷たき椅子を拭く仕事」の句型を拝借した。

貸ボートみな八月の湖のうえ

→ボートが全て出払っている気持ちよさを詠いたかった。「ボート」と「八月」で季重なりだと気が付いたときには遅かった。類想のある句だとは思う。

来世あるはず心に象を住まわせて

→今回の応募句のなかで個人的に一番気に入っている句はこれ。私は上五の「結構余ってもあとが定型なら赦される感じ」が好きでついつい勢いよく字余りをする手癖がある。「来世あるはず心に●●を住まわせて」がすんなりできたあと、二音の動物をあれこれ考えて象に決めた。第六回芝不器男新人賞の選考会で、中村和弘先生にいただいた「あなたは動物を詠むのがお好きなんですね」という選評を思い出す。「象」にしたのは小川洋子の作品のなかでも特に好きな『猫を抱いて象と泳ぐ』が元ネタ。本心は猫になりたい。

セプテンバー瞳のなかで混ぜる白

→美術の印象派の描き方が、「瞳のなかで」色を混ぜる見方を想定しているのだと、どこかで聞いたことがある。クロード・モネの『日傘をさす女』をイメージして詠んだ。

天文学は天の文学水絞る

→天文学という言葉を見て、ぱっと思った閃きのまま作った。季語の使用を禁じてみたとき出てきた下五は「水絞る」だった。ここで絞っているのは薄汚れた雑巾でもいいが、せめて布巾くらいの、あるいは空全体に充ちているような綺麗な水だと嬉しい。

空に鳶鉄条網に毛布干す

→ブラジルで見た風景を詠んだ句。路上に眠るホームレスの方の横を通ろうとすると、その人はいきなりばっと立ち上がって、くるまっていた毛布をばっと空に放った。毛布は隣の敷地の鉄条網にかかり、天日干しされていた。ここで読者は「鉄条網」から閉鎖空間を想像するだろうと思い、映画『カッコーの巣の上で』などを少し念頭に置きながら全体を整えた。

帯電の身体で泳ぐあおみどり

→私は泳げないからこそ泳ぐ句を詠むことがある。うっすらと電気を帯びた身体で遠くまで泳いだらどうなってしまうんだろう。「あおみどり」は海の色かもしれないし、なんでもない何かかもしれない。説明責任を果たせない句も時々は作りたい。

白浪の晴れてことばの日本海

→今年の二月末、私はお世話になっている先生を訪ね、その際に初めて日本海を見た。冬場の日本海にしては珍しく快晴だった。「俳句が出来たら是非私に教えてください」とにこにこされる先生の横で、私はいつまでもうんうんと唸っていた。「日本海という景色を言葉にする」という現象を組み替えながらできた一句。

一日を船はあおぞら梳る

→私は船酔いが酷く船が苦手だからこそ船の句を詠むことがある。もし甲板に寝っ転がって一日空を見て、もしそれがずーっと「あおぞら」だったら何を思うだろうか。季語の使用を禁じてみたとき出てきた下五は「梳る」だった。この句をヴィニ(ブラジル人の友人で日本語が得意)に見せたら、「船が進んで出来る水脈が、まるで櫛を使っているみたいということ?」という鑑賞を貰った。「水脈」が語彙の引き出しにあるのは本当に凄いと思った。

さて、以上今年の応募では「文語旧仮名ならば出しやすい抒情を、口語新仮名においてどう再現するか」を目指した。成功したかどうかは怪しいが。

そういえば私は大学四年生の秋からこちらの投稿サイトに参加してきたのだが、あるとき「口語という条件なのに、切れ字を使うのはレギュレーション違反ではないか」という指摘をある方からいただいた。私はその場で咄嗟に越智友亮の〈古墳から森のにおいやコカコーラ〉や神野紗季の〈アイドルの口小さくて苺かな〉(アイドルに林檎を齧る仕事かな/野口る理 とセットで覚えている)を引き合いに弁明したのを思い出す。

しかし現在改めて口語詩句投稿サイトのホームページを見ると、確かに作品ルールの第一に「口語とする(や、かな、けり等の切れ字は文語と見なす)」と明記されていた。2022年度奨学生選考でも、2023年度奨学生選考でも、私は「や」と「かな」を平然と使って連作を編んでいたことに気が付き、遅ればせながら青ざめている。レギュレーション違反をした私に全面的な非があることをまずお詫びしたうえで、選考のなかで問題に挙がらなかったのだろうかと思う。しかし選出方法はどうやら選出にあたって選者同士の議論はなく、個々の先生の投票結果で決定するようで、良くも悪くもスルーしていただいたのだろう。

今年度の応募では「や」も「かな」も含んでいない連作で10句揃えることができた。その一方で俳句の重要な要素である切れを生む切れ字を封じて果たしていい句が詠めるものかと、そもそものルールに疑問がない訳でもない。例えば「さ」は切れ字として口語認定されないのだろうか。まだまだ模索中である。

改めてここ二三年を振り返ってみると、大変有難いことに、こういった奨学生に選出いただけたり、年に一二度は総合誌からの依頼をいただけたりと、数年前の私には想像もできないようなお話が多い。しかしこういった依頼はこれまた有難いことに有償のことが多い。そして有償の依頼に応えることでキャパシティが精一杯なのも事実である。しかしここでふとひとつの不安が胸をかすめる。それは詩を書く喜びが第一にあったはずなのに、私は報酬があるから詩を書いているのではないかという疑念である。私は折角好きで入った結社の句会にも不参加が続いており、何だかずっと勝手に後ろめたさを感じている。これではまるで素振りや筋トレもせずに打席に立つような事態である。ぶん回すバットでたまたまヒットが打てることはあっても、ホームランを打つことは望めないと分かっている。

報酬と自発性の問題について調べてみたところ、どうやら既に名前があって、アンダーマイニング効果というらしい。

アンダーマイニング効果とは、ある行動において、自身のやる気やその後の達成感など内発的なものによって行動していたはずが、報酬を受けた結果、報酬を受けることそのものが目的にすり替わり、結果として本来の内的動機が失われてしまう状態のことである。

お金がほしくて俳句を書くことはないのでアンダーマイニング効果にはあたらないのかもしれない。ただ、有償の発表の機会が決まってはじめて俳句を作ったり、有償の発表の機会だけで満足してしまったりしているのは確かである。学部二年生のときの手帳を見返すと、ほぼ毎週土日に句会を入れて、オンライン句会も毎月四つほど打ち込んでいたようで、その頃と比べると句作量はかなり落ちこんでいるといえよう。そして正直戻りたいとも思えない。あの頃はあの頃で今とは違う漠然とした不安と苦しさがあった。

数年ごとに変化する人生のステージの変化への対応に精一杯だが、作句の結果としての作品については、「いい句」を書いた者の「勝ち」だと確信している。自身のアイデンティティの一要素として俳人を選び取るならば、そのスタンスは評論など散文で語る以上に、やっぱり作品単体を通じて自己を示していきたいと思う。その作品の生まれる過程は机上であっても、泥酔で混濁する意識のなかであっても、屋外での対象への真摯な観察を通したものであっても、「いいもの」を書いた者の「勝ち」だと思っている。「いいもの」を書きたい。でも多分粘り勝ちのような根性のところに自分の勝ち目はあるんだとぼんやりとした革新がある。俳句を手放さないというその一点に賭けていきたい。

Eu sou poeta, especialmente, escrevo haiku que tem característico em terma da estação (natureza) e em 5-7-5 sílabas. 

Posto na internet site organizado pela Fundação de Bolsas de Estudo do Sasaki Taiju. Oito mestres (haiku, tanka e poema) escolheram e comentam boas obras cada mês. 

Felizmente, foi selecionada no concurso da Fundação em 2023 como terceiro lugar.
Especialmente gostei esta minha obra,

Creio a existência na próxima vida
No meu coração
O elefante vive




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