2023-12-10

太田うさぎ【週俳3月~8月の俳句を読む】ぐるぐると迷路を

【週俳3月~8月の俳句を読む】
ぐるぐると迷路を

太田うさぎ


白蝶来門閉ぢられし楽園に  高木小都

ガーデンパーティらしき十句。結婚披露の祝宴を連想したのは姪の結婚式が間近というこちらの個人的事情によるものかもしれない。とは言え、魚は口づけを交わし、鳥は羽根を空に踊らせて恋を囀るのだから恋愛の成就を寿ぐ連作ではあるだろう。読み進めると、崩れる木蓮の花弁や可憐なスイートピーの花脈に行き当たり、ファゴットの柔らかな音色で大団円を迎える。この流れに作者は日野草城の「ミヤコホテル」を意識していたと言ってしまうなら私の妄想は逞しすぎるだろうか。

ともあれ、冒頭に置かれた掲句。閉ざされてこその楽園という観点にはっとした。白い蝶は入園を許された者を祝福する天使の翼のようでもあるし、迎え入れられた者の純真さを象徴するようでもある。楽園の中では爛漫の春が永遠に続くのだろう。喜ばしいが、門扉は堅牢で一度足を踏み入れたら去れないのでは。そう考えるとちょっと怖い。


白日傘四角き空の堕ちて来る  小田島渚

数か月前までの猛暑を思い出した。聳え立つ高層ビル群が本来は無形の空をパッチワークの端切れやテトリスのブロックのように切り取る。区切られた夏空は濃縮された青さを見せ、眩しいくせに重苦しい。ハレーションを起こしそうな蒼穹の空が舗道に襲いかかるとき、質量や熱量だけを言いたいのなら「堕」の漢字を当てるだろうか。「咎めるごとく」、「逃れられず」、「煉獄」、「右も左も敵地」、「粉々」など他の作品に散りばめられた言葉と考え合わせると、「墜ちて来る」は精神の領域への侵略とも取れる。渡り合うのは小さな一本の白日傘。『祝福の鐘』の白蝶と同様、この日傘の白もまた象徴的だ。布一枚の日傘は青空の瓦解を防げるのだろうか。それとも、日傘の下の人物を取り残して世界は崩落していくのだろうか。


茅花の絮 濁点は仮名をさがして  土井探花

「発見」などと大袈裟に言わないまでも、俳句を読んでいると小さな気づきを与えられることがある。例えばこの句。濁点は仮名特有の記号だ。漢字には付くことが出来ない。生まれた濁音符はこの世に溢れる文字の中から納まるべき場所を探す旅に出る。仮名ならいいというものではない。「ぬ」や「み」に止まろうものなら追い払われた上に塩を撒かれかねない。浮遊する茅花の絮のイメージが重なり、さすらう濁点が頼りなく愛らしいものに思えて来る。濁点の一つは首尾よく掲句の「か」の上に収まったようだ。


植ゑて十年(ととせ)幾億万の緑立つ 広渡敬雄

陸前高田の高田松原はかつて七万本の松が茂る景勝地だったという。それがあの大震災で津波に飲み込まれ、ただ一本を残し流失した。この句で詠まれているのは震災後に始まった松原再生のための植樹と思われる。検索したところ植樹の数は四万本だそうだ。その松の新芽が一本一本勢いよく輝いている。「緑立つ」は歳時記では晩春に分類されている。作品を読む限り三陸地方を訪れた時には夏に入っていたと思しいが、健やかに育つ松の若木を目の前にしたとき、作者はこの季語を深い実感と共に受け止めたのではないか。鋭く青々とした新芽は復興に立ち上がる人々の強靭な意志とも重なる。震災から間もなく13年を迎える。再建とその先の発展を祈らずにはいられない。


その朝が桃の可食部ほど確か  野名紅里

カショクブ。ぎくしゃくして言いにくい。甘美な汁をたっぷり含んだ果肉には不釣り合いな響きだ。可食部は本当に確かなのか。食べたら消えてしまう部分ではなく、皿に残った種の方が確実な存在ではないのか。カショクブとぎこちなく口を動かして言ってみることでかろうじて確実性を担保されているのではないか、桃の実は。そもそも「その朝」も曖昧だ。どの朝だろう。もしかしたら、この句は「確かなものなど何もない」と囁いているのだろうか。読むほどに狐につままれるよう。ぐるぐると迷路を彷徨いながら、口中いっぱいに桃の味が広がる。それだけは、確か。


髙木小都 祝福の鐘 10句 ≫読む  第828号 2023年3月5日
小田島 渚 夏の月 10句 ≫読む  第834号 2023年4月16日
土井探花 夢が傷む 10句 ≫読む  第843号 2023年6月18日
広渡敬雄 三陸海岸 10句 ≫読む  第847号 2023年7月16日
野名紅里 星飛ぶ夜 10句 ≫読む  第853号 2023年8月27日

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