【句集を読む】
「土筆の範囲」をはみ出して
岡田由季『中くらゐの町』を読む
箱森裕美
『中くらゐの町』は岡田由季さんの第2句集。持ち味である細部にまで行き届いた書きぶり、飄々としていて明るく、読後感も心地いいところは前作を踏襲しつつも、さらに進化している。ほぼ経年順に作品を並べた前作と大きく違う点はテーマに沿って章立てがしてあることだ。かなり章ごとにまとったムードが違っており、全体を通して読むとぼんやりと物語が浮かび上がってくる。コンセプチュアルな句集だ。
由季さん自身があとがきで「当地での生活にいつしか馴染んだようです」と述べているように、ローカルカラーの強い句も今回の句集には多い。初章「一〇〇〇トン」と次章「土筆の範囲」は特にその印象が強い。
雪もよひ公民館に湯を沸かす
お茶を入れるのでも餅をつくのでも豚汁を作るのでも、とりあえず湯を沸かす。地域に溶け込んでいるのがよく分かる句。
一斤を千切つて食べる花の昼
一枚一枚薄くスライスせずに一斤をそのまま千切る贅沢さ、そして自由気ままさ。「花の昼」のけだるい明るさが合う。
着る洗ふ誰にも会はぬ夏の服
この句から始まる章「土筆の範囲」は前章から引き続き身近な町での暮らしを詠んでいるが、どことなくコロナ禍による巣ごもり期間も連想させる。
自宅から土筆の範囲にて暮らす
章のタイトルにもなった章最後の句にも象徴されるように、句の対象にするものの範囲がぐっと狭くなった印象を受ける。どこか閉塞感があるような気がするのは、読者である自分があの憂鬱な行動制限の時期を思い出してしまうからだろうか。
雑食の我らの春の眠きこと
前作にも動物の句はあったが、今回は動物のみで一章を立てている。それが「光の粒」の章だ。ここでは人間もヒトとして、ほかの生きものと等しく扱われる。
一瞬の猿の諍ひ緑濃し
諍えば長引くことが多い人間に比べこの猿たちのさっぱりした態度。諍っていたことも次の瞬間には忘れてしまう。
飛ぶものが飛ぶものを食べ秋半ば
ごく軽い「死」。残酷なようだが、自分たち人間も同じことをして生きながらえている。
5章を起承転結に分けるとしたらまさしく「転」にふさわしいのが「女たち」の章。幻想的な句が並ぶ。
階段に住まふ幽霊冬桜
冬桜の美しいがなぜかかなしい印象と、階段から動くことはできない幽霊の姿が響き合う。
束にしてわづかの魔力雪柳
束にしてようやく「わづか」なのだから、一本一本の持つ魔力はごくごく少ないものなのだろう。現実ともまぼろしとも思える句が多いが、どの句も説得力があり、確かに景が見える。
最後の章「自動筆記」には開放的な印象の句が多い。普段住んでいる町を出て、遠出したようにも読める句がある。
冬の月旅に少しの化粧品
旅の前夜の準備。荷物を軽くするために化粧品は最低限に。
パイナップル畑のつくる地平線
これも旅行の雰囲気がある。このパイナップル畑はいつも住んでいる町には決してないものだろう。眼前に広がるのはパイナップル畑のみ。青い空も見えてくるようだ。
鳰の背をこぼれ鳰の子泳ぎだす
句集の最後を締めくくるのはこの句。鳰の子の姿に、どこにも行けず、誰とも会えない状態から少し開放された自分たちの心も重なるようで、救われた気持ちとなった。
0 comments:
コメントを投稿