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2024-12-01

箱森裕美【週俳9月10月の俳句を読む】わずかにざわつく

【週俳9月10月の俳句を読む】
わずかにざわつく

箱森裕美


ワッフルに足すシロップと秋日差  月野ぽぽな

秋の日差しにはどこか甘やかな香りが含まれている。そのあたたかな光はメープルシロップも想起させる。琥珀色のシロップがワッフルに垂れ落ちると、香りがふわりと立ち上がる。ささやかな贅沢を楽しむひととき。

人声の途絶えて秋の薔薇匂う  同

夏のバラが鮮やかな輝きを放つのに対し、秋のバラは色も香りも深みを増すという。人の気配が消え、静けさが訪れた瞬間に、秋バラの香りがいっそう濃厚に感じられた。不意に広がるその芳香は秋の静けさとあいまって、より印象深いものになる。

鶏頭花ざわめく鋏入れるとき  同

鶏頭の形はどこか生き物を思わせる。その赤々とした花に鋏を入れるとわずかにざわつく気配を感じた。仲間の一部が切り取られる様子に花々が動揺しているかのようだ。意思を持っているかに見えるその動きに、どこかおそろしさも感じる。

白菊の白に屈めば街消える  同

連作全体を通して都会の気配が立ち上ってくるようだが、この句は最もその象徴的な存在に思える。「屈めば消える」という表現は、屈む前には確かにそこに存在していたことを示唆している。ひそやかな菊の白と、無機質なビル群との対比が鮮やか。静けさと騒がしさ、自然と人工という相反する要素が絶妙に絡み合っている。

てのひらが脈打っている銀河かな  同

手のひらの筋をじっと眺めていると、それが銀河のように見えてくる。手のひらという人体の小さな一部から、果てしない広がりを持つ銀河へと一気に飛躍する発想の大胆さが面白い。


村上瑠璃甫 ままこのしりぬぐひ 10句 ≫読む 第907号 2024年9月8日

マブソン青眼   火焔土器に蛍(五七三)10句 ≫読む 第909号 2024年9月22日
月野ぽぽな ピアニシモ 10句 ≫読む 第911号 2024年10月6日

2024-04-21

箱森裕美【週俳3月の俳句を読む】ノーモーションで

【週俳3月の俳句を読む】
ノーモーションで

箱森裕美


大空や犬繋がるる梅三分  浅川芳直

どこまでも広がり開放感のある空と、繋がれてどこにも行けない地上の犬が対比的に描かれている。

梅の木はその中間地点に位置している。まだ梅は三分咲きで、これからが期待される様子。

膨らんできた蕾が青い空にくっきりと映え、本格的な春の訪れを予感させる。


福耳のやをら田螺へ串を刺す  同

「やをら」が作中主体の驚きも感じて思わず笑ってしまう。確かにノーモーションで田螺に串を刺されたらひるむだろう。

「福耳」という言葉から想像させられる感触と、串に刺される田螺のそれがどことなく共通点があるところも面白い。


煮し三葉載せし三葉や玉子丼  若林哲哉

『三国志演義』のエピソード、「豆を煮るに豆殻を燃く」を思い出させる一句。

載せられた三つ葉は飾りとして使用されるのだろう。おそらく生である。

煮られたものと生のものとでは食感こそ異なるが、胃袋の中に入れば結局同じものだ。

もともとは同じ三つ葉であるのに、異なる役割を与えられるおかしみがある。


白蓮や吾が跫に鳩の飛び  同

繁華街などの鳩は警戒心が薄く、近くを人が通ったとしても意に介さない。

句中の鳩はおそらく人間慣れしていない鳩なのだろう。作中主体が近づいた気配を敏感に感じ取って飛び去った。

咲き満ちる白蓮に紛れて見えなくなる鳩。季語と響き合い、もしかしたら鳩は、白鳩だったのではないかと想像もさせられる。


浅川芳直 寝返り 10 読む  第880

宇佐美友海 背中 10 読む  第881

岩田奎 ミャクミャク 10 読む  第883

若林哲哉 ひとひら 10 読む  第884

2023-12-10

箱森裕美【句集を読む】「土筆の範囲」をはみ出して 岡田由季句集『中くらゐの町』を読む

【句集を読む】
「土筆の範囲」をはみ出して
岡田由季『中くらゐの町』を読む

箱森裕美



『中くらゐの町』は岡田由季さんの第2句集。持ち味である細部にまで行き届いた書きぶり、飄々としていて明るく、読後感も心地いいところは前作を踏襲しつつも、さらに進化している。ほぼ経年順に作品を並べた前作と大きく違う点はテーマに沿って章立てがしてあることだ。かなり章ごとにまとったムードが違っており、全体を通して読むとぼんやりと物語が浮かび上がってくる。コンセプチュアルな句集だ。

由季さん自身があとがきで「当地での生活にいつしか馴染んだようです」と述べているように、ローカルカラーの強い句も今回の句集には多い。初章「一〇〇〇トン」と次章「土筆の範囲」は特にその印象が強い。


雪もよひ公民館に湯を沸かす

お茶を入れるのでも餅をつくのでも豚汁を作るのでも、とりあえず湯を沸かす。地域に溶け込んでいるのがよく分かる句。


一斤を千切つて食べる花の昼

一枚一枚薄くスライスせずに一斤をそのまま千切る贅沢さ、そして自由気ままさ。「花の昼」のけだるい明るさが合う。


着る洗ふ誰にも会はぬ夏の服

この句から始まる章「土筆の範囲」は前章から引き続き身近な町での暮らしを詠んでいるが、どことなくコロナ禍による巣ごもり期間も連想させる。


自宅から土筆の範囲にて暮らす

章のタイトルにもなった章最後の句にも象徴されるように、句の対象にするものの範囲がぐっと狭くなった印象を受ける。どこか閉塞感があるような気がするのは、読者である自分があの憂鬱な行動制限の時期を思い出してしまうからだろうか。


雑食の我らの春の眠きこと

前作にも動物の句はあったが、今回は動物のみで一章を立てている。それが「光の粒」の章だ。ここでは人間もヒトとして、ほかの生きものと等しく扱われる。


一瞬の猿の諍ひ緑濃し

諍えば長引くことが多い人間に比べこの猿たちのさっぱりした態度。諍っていたことも次の瞬間には忘れてしまう。

飛ぶものが飛ぶものを食べ秋半ば

ごく軽い「死」。残酷なようだが、自分たち人間も同じことをして生きながらえている。



5章を起承転結に分けるとしたらまさしく「転」にふさわしいのが「女たち」の章。幻想的な句が並ぶ。

階段に住まふ幽霊冬桜

冬桜の美しいがなぜかかなしい印象と、階段から動くことはできない幽霊の姿が響き合う。


束にしてわづかの魔力雪柳

束にしてようやく「わづか」なのだから、一本一本の持つ魔力はごくごく少ないものなのだろう。現実ともまぼろしとも思える句が多いが、どの句も説得力があり、確かに景が見える。



最後の章「自動筆記」には開放的な印象の句が多い。普段住んでいる町を出て、遠出したようにも読める句がある。

冬の月旅に少しの化粧品

旅の前夜の準備。荷物を軽くするために化粧品は最低限に。


パイナップル畑のつくる地平線

これも旅行の雰囲気がある。このパイナップル畑はいつも住んでいる町には決してないものだろう。眼前に広がるのはパイナップル畑のみ。青い空も見えてくるようだ。


鳰の背をこぼれ鳰の子泳ぎだす

句集の最後を締めくくるのはこの句。鳰の子の姿に、どこにも行けず、誰とも会えない状態から少し開放された自分たちの心も重なるようで、救われた気持ちとなった。







2023-12-03

箱森裕美【週俳3月~8月の俳句を読む】それぞれの孤独

【週俳3月~8月の俳句を読む】
それぞれの孤独

箱森裕美


白蝶来門閉ぢられし楽園に 髙木小都

小さい体を懸命に動かし、長い時間と距離を掛けてやって来た楽園。その門は固く閉ざされている。この旅は無駄だったのだろうか。それとも門はこれから開くのであろうか。

さみどりのひかりの揺らぎ蝶生る 同

「蝶生る」は蝶が羽化したことをいう。さなぎだったころの色をまといつつ生まれる蝶。「揺らぎ」の文字が、まだしっかりと張ってはいない羽を思わせる。


煉獄や踊るものから赦されて 小田島渚

煉獄とはカトリックの教理で、罪を犯した死者の魂が天国に入る前に浄化を受けるとされる場所。掲句では踊ったものから赦される、つまり天国に行ける。死者たちは赦されるために懸命に踊るだろう。滑稽で、だからこそ恐ろしい姿である。

逝く人を月のひかりのとどめたる 同

今にもこの世から旅立たんとしている人がいる。体から抜けだそうとする魂を抑え付けるように降り注ぐ月光。月が沈む明け方には永遠の別れとなるが、もう少しだけ。


あくび厳禁あぢさゐの臣民なら 土井探花

繰り返される「あ」の音、「げんきん」「しんみん」と踏まれた韻。声に出して読んでもとても楽しいが、書かれていることは意外と厳しい。

作者には「パンジーが幕府をひらけさうですね」(句集『地球酔』より)という句もある。植物は人間の上位存在で、人間は植物を育てているつもりで育てさせられているのかもしれない。

銀紙に包んで虹を捨てたのね 同

銀紙に包んで捨てるものといえばガム。虹が確かな感触を持ったものとして捉えられているのが面白い。

銀紙には光を遮る性質があるため、虹のいろどりも完全に見えなくなるだろう。丸められて、誰にも見られない光を放っている虹は寂しくて美しい。


白鷺や田のひろびろと遠野郷 広渡敬雄

遠野市は岩手県の南東部、内陸に位置する。同地域を舞台にした柳田國男の『遠野物語』はよく知られている。

この白鷺は複数ではなくたった1羽だろう。白鷺は夏の季語。緑一面の田の中で、ただ1つの白として存在している。

遠野には荒神神社という田んぼの真ん中にぽつりとたたずむ神社もあり、その風景ともリンクするように感じる。

かく細き松でありしか大南風 同

この松は陸前高田市の「奇跡の一本松」であろう。実物を見たことはないが、画像を検索すると確かに頼りなくほっそりとしている。力強い南風に簡単に吹き折れてしまいそうだが、決して倒れずに立っている。

なお、「奇跡の一本松」は根が腐りすでに枯死しており、現在は防腐処理等や補強をされて保存されているそうだ。


抱かないかたち案山子の両の腕 野名紅里

もともと害獣・害鳥除けのためにできた案山子。みな一様に手を広げているが、それは抱擁をするためではなく「抱かないかたち」なのだ。

田んぼによっては1体だけではなく複数点在しているところもある。しかしどんなに数があったとしても彼らは群れてはいない。1体1体の案山子に、それぞれの孤独がある。

血圧計ほつと緩んでねこじやらし 同

血圧を測るときにはいつも緊張する。「これ以上はもう無理なんじゃないか」と思うほど腕を絞められるからだ。腕が膨らんでしまう、そんなことを感じた次の瞬間に、ふとゆるむ。あのときの安心感を思い出させる句。

「ほつと」という言葉がよく合う。季語の軽さや質感も、安堵の気持ちをよりいっそう高めてくれる。


髙木小都 祝福の鐘 10句 ≫読む  第828号 2023年3月5日
小田島 渚 夏の月 10句 ≫読む  第834号 2023年4月16日
土井探花 夢が傷む 10句 ≫読む  第843号 2023年6月18日
広渡敬雄 三陸海岸 10句 ≫読む  第847号 2023年7月16日
野名紅里 星飛ぶ夜 10句 ≫読む  第853号 2023年8月27日

2020-12-20

箱森裕美 天から手 10句

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 天から手  箱森裕美

螺子工場歯車工場石蕗の花

山眠るクッキーの真ん中にジャム

水鳥を指す利き腕の重たさよ

北塞ぎ聞き耳ばかりたててゐる

柿紅葉握るや電車降りぬまま

丼と丼の間の枯野かな

長靴のずぼずぼと来て大根引く

冬薔薇ドールハウスの天から手

毛布くるまり海底となるこころ

煮凝りの中に眠たき王都かな

2020-03-15

【週俳1月2月の俳句を読む】前田凪子「新都心」を読む 箱森裕美

【週俳1月2月の俳句を読む】
前田凪子「新都心」を読む

箱森裕美



春浅き谷を行き交う新都心  前田凪子(以下同)

駅を降りるたびに「未来都市」という単語がつい浮かんでしまうさいたま新都心。駅、さいたまスーパーアリーナ、合同庁舎やショッピングモールなどさまざまな施設がペデストリアンデッキにより行き来可能になっているこの地形を「谷」としたのが非常に言い得て妙だ。単語そのものの効果で、山に囲まれた自然の谷も自然に浮かび上がる。ふたつの景色がオーバーラップする。

春埃ためてみているビスコ缶

長期保存できるビスコの缶。数年前に購入してからずっと部屋の端に置かれていて、ほかの家具や小物ともはや一体化している。家の者にはもう存在を意識されなくなってしまっているほどに静かだ。

積み重なっているのは何度目の「春の埃」なのだろうか。そしてこのあとも積もり続けるのだろうか。

蟇出でよ閉じては開くブラウザー

開いて、閉じて、開いて、閉じて。繰り返すうちにぼんやりと現れる蟇。魔法陣や杖などを用いて行われていた召喚術は、現代はこんなふうに形を変えているのかもしれない。

雲に入るホワイトボードたち鳥たち

鳥たちに混ざって突如出現するホワイトボードの群にひるんでしまうが、妙に納得感がある。自分たちも鳥の一種だと思っているのだろう。ゆっくりと大きく翼を動かしそうだ。

立春の両手でふれる窓ガラス

窓ガラスはほぼ毎日無意識に目にはするが、触れることはなかなかないように思う。しかも両手で。手で触れることにより感じる、春になりたての冷たさ。自分がいる側とその外側との境界。

クリップひとつかみ放り投げ焼野

たまたまポケットに入っていたひとつ、というならまだしも、ひとつかみ分、もしくはそれ以上のクリップを焼野に持ち込んでいるその状況が面白い。


第665号 2019年1月19日
山本真也
マジカル・ミステリー・ジャパン・ツアー 10句 ≫読む

細村星一郎 もしかして 10句 ≫読む
第669号 2019年2月16日
田口茉於 横顔の耳 10句 ≫読む
第670号 2019年2月23日
前田凪子 新都心 10句 ≫読む

2019-06-09

【週俳5月の俳句を読む】なんとなしに 箱森裕美

【週俳5月の俳句を読む】
なんとなしに

箱森裕美


藤棚にひろがる食べられないぶどう  うにがわえりも

春の終わり、暑さも感じる日も増えてくる辺りに藤の花は咲く。大棚から一斉に垂れ下がるようすは圧巻で、こちらを沈黙させるインパクトがある。掲句はその藤の花一房一房を、「食べられないぶどう」と表現したのだろう。確かに色もかたちも似ている。おさなごのように、とも言える素直な目線と表現が、おかしみを生み出している。

しかしこれ、本当に「食べられないぶどう」が広がっている可能性もある。

造花を土に直接挿したり、目立たないような植物に括りつけたりして、一年中花が咲いているものを時々見かけるが、もしかしたらそのような感じで、本当に偽物のぶどうがところどころに付けられていると読んでも面白い。

フローリングなめらかマイケルジャクソン忌  うにがわえりも

マイケル・ジャクソンが突然この世を去ったのは2009年6月25日だ。あらためて、もう10年も経とうとしていることに驚いてしまった。2009年、立て続けにミュージシャンが亡くなってしまった年だった。

そういえば今日は、と、なんとなしにマイケルの代名詞ともいえるムーンウォークを試みたのだろう。6月25日であればまだまだ梅雨は明けずに、気温も湿度も高くじっとりしている。フローリングの床もべたついているはずだ。ただこの日はどことなく空気も乾いている気がする。床も引っかかりを感じさせず足がスムーズにすべる気がする。



川嶋健佑 鍵垢手垢 10句 ≫読む
藤本夕衣 つややかに 10句 ≫読む
うにがわえりも 食べられないぶどう 10句 ≫読む