【句集を読む】
さみしさのありか
魚住陽子『透きとほるわたし』の一句
西原天気
さみしさや物置に蝶がきている 魚住陽子
《蝶》がくる場所として《物置》は、順当と意表の、自然と不自然の、実と虚の(というのは、じゅうぶんに実景として成り立つが、なぜか幻のような肌理をもつという意味で)中間あたり。作者がそれに目を止めたことの一回性は、そのあたりからくるのかもしれない。
《さみしさ》は、なぜだろう。
とくだんそこに人がいるわけでも所作があるわけでもなく、心持ちが示唆されているわけでもない。《さみしさ》の「説明」は、そこにない。
だからだろう、この《さみしさ》は、作者を超えて広がるさみしさなのだ。
魚住陽子句集/鳥居真里子編『耳透きとほるわたし』2022年8月22日/深夜叢書社
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