2025-01-12

千野千佳【俳句のあたらしい作り方】 正月に避難所で一晩過ごした俳句

【俳句のあたらしい作り方】
正月に避難所で一晩過ごした俳句

千野千佳
※蒼海23号(2024年3月刊行)より転載。

一月一日の夕方、わたしは帰省先の新潟県上越市にいた。車に乗っていてもわかるほど道路がぐわんと揺れた。カーラジオが地震と津波警報を告げた。車で家にたどり着くと、母とわたしと娘は車から降りて高台まで歩いた。高台には近所の人たち三十名ほどが避難してきていた。海を見ると、津波がすでに到達しているようだった。

この状況で海が近い家に帰るわけにもいかず、避難してきた人たちとともに消防小屋に身を寄せた。近所の小学生に遊んでもらい楽しそうにしていた二歳半の娘も、夜になると「お外に行きたい」と泣き出した。仕方なく極寒の外に出る。信じられないくらいの星が見えた。〈見てゐればよく見えてくる冬の星〉。抱いているうちに娘が眠ったので、そっと消防小屋に戻ると、娘は泣き出した。〈ブーツ脱ぐ眠りゐる子を抱きながら〉。娘が泣き止まないので、仕方なくスマホでアンパンマンの動画を見せた。近所の方が備蓄していたカップ麺を配ってくれた。〈正月やたまごの甘きカップ麺〉。

リーダーの指示により、消防小屋から正式な避難所である小学校へ移動することになった。〈避難所に入り御慶を申しけり〉。避難所の小学校はわたしの母校だ。壁に全校児童(といっても四十名ほど)の俳句が掲示されていて嬉しくなった。〈海に育ち雪に育ちてみないい子〉。子連れということで体育館ではなく隣の公民館に案内された。家族ごとにかたまり、座布団を敷いて防災用毛布をかけて横になった。〈配られし毛布の高野豆腐めく〉。娘はすぐに寝てくれたが、わたしは寒さと不安で眠れなかった。天井に亀虫が何匹もいて動いていた。〈天井を這ふ虫螻や去年今年〉(正確には一日の夜だが)。余震が続いていたせいか、目を瞑るとずっと揺れているような気がした。〈傾いてゐるかもしれぬ宝船〉。朝になるとみなが自己判断で帰宅した。町内会長として奔走していた父も家に帰ってきた。覚えているうちにと父が日記を書いていた。〈思ひだし思ひだしつつ初日記〉。

新幹線の運休もあり、実家の滞在を何日か延ばした。箱根駅伝を見たり、娘と近所を散歩したりして過ごした。幸い断水も停電もなく、いつも通りの暮らしに戻った。〈海なにもなかつたやうな三日かな〉〈海と川馴れ合つてゐる淑気かな〉。

能登半島地震で亡くなった方々、いまも大変な思いをしている方々のことを思うと胸が痛む。

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