【句集を読む】
野間幸恵『ステンレス戦車』再読
鈴木茂雄
野間幸恵の第一句集『ステンレス戦車』(1993年7月25日・Tarô冠者)は、攝津幸彦が雑誌『俳句あるふぁ』第5号で「俳句の方法による一行詩の自律」に挑む作品として高く評価した句集である。その独自性と革新性は現代俳句の枠組みを超えた詩的実験として際立っている。いま再読して採り上げるのは、この句集の特質を、攝津の評〔※〕を踏まえつつ、言語の自律性、イメージの奔放さ、構造的特徴の観点から考察して、俳人野間幸恵を再認識して欲しいと思ったからである。
攝津が指摘する「一行詩の自律」とは、野間の俳句が伝統的な俳句の季語や五七五の形式に縛られず、言葉そのものが独立した詩的形象として機能する点を指す。野間の句は、季語を意図的に曖昧化または排除し、日常的・非日常的な事物を断片的に組み合わせ、予測不可能なイメージの連鎖を生み出す。
例えば、
氾濫にあらずマチスは膝となれ
性的な線路がつづく水筒や
これらの句では、「マチス」、「線路」、「水筒」といった異質な要素が衝突し、意味の固定を拒む詩的空間を形成する。この手法は、俳句の伝統的な自然観や情緒を背景にしつつ、言葉の物質性を前景化させることで、新たな詩的次元を開く。
野間の句は、攝津が言う「幾多の男性俳人が敗れ去った荒野」で「ねばり強く言葉と交感する」姿勢を体現している。彼女の句は、男性主導の俳壇における規範や美意識に抗い、独自の言語感覚で荒々しくも繊細な世界を構築する。
例えば、
猫舌に明治は毛布どうしましょう
イワンのばか電球つけて消して味噌
これらの句では、歴史(明治)、民話(イワンのばか)、日常(電球、味噌)が唐突に交錯し、意味の断層を生み出す。この断層こそが、野間の句が「一行詩」として自律する力であり、読者に解釈の自由と混乱を同時に与える。
『ステンレス戦車』は、イメージの奔放さにおいても特筆すべきである。句集全体を貫くのは、日常の断片と非現実的な連想が混在する異化効果だ。
例えば、
写真というノコギリが座っている
一反木綿雨後をふくらむジャック&ベティ
これらの句では、「写真」や「一反木綿」といった具体物が、「ノコギリ」や「ジャック&ベティ(映画館の名)」という異質なイメージと結びつき、シュルレアリスムの絵画のような視覚的・感覚的衝撃を生む。このようなイメージの飛躍は、読者の想像力を挑発し、固定観念を解体する。
また、句集のタイトル『ステンレス戦車』自体が、冷たく無機質な「ステンレス」と、力強く破壊的な「戦車」という対極的なイメージの結合であり、野間の詩的世界を象徴する。ステンレスは現代性や無菌性を、戦車は暴力や前進性を喚起するが、両者の融合は、野間の句が持つ硬質かつ攻撃的な美学を体現している。
あゝ帝国は自慰でありたい樽なのか
比丘尼んぐ天体詣でのうぃすきー
これらの句では、帝国や宗教といった重厚なモチーフが、日常的・俗的な語彙(自慰、ウィスキー)と結びつき、崇高さと滑稽さの間を揺れ動く。この両義性が、野間の句の魅力であり、攝津が「面白い」と感じた要因の一つだろう。
野間幸恵の句は、五七五の枠組みを保ちつつも、その内部で自由奔放な言葉の配置とリズムを追求する。
例えば、
まんじゅうが独尊してらそんぶれら
松籟d o頭文字から湧くつもり
これらの句では、音韻の遊び(「そんぶれら」「d o」)や外来語・カタカナの積極的導入が見られ、伝統的俳句の和風な語感を破壊する。これにより、句は単なる意味の伝達を超え、音や形そのものが詩的効果を生む装置となる。
さらに、句集全体の構成も注目に値する。1頁1句全100句は、明確なテーマや物語的連関を持たず、断片的でランダムな印象を与えるが、その無秩序さ自体が野間の意図する「荒野」である。各句は独立した詩的単位として機能しつつ、全体として読むと、都市、自然、歴史、性、テクノロジーといったモチーフが交錯し、現代社会の混沌を映し出す。この構造は、攝津が称賛した「言葉と交感する」行為の持続性を体現し、読者に一貫した解釈を拒みつつ、詩的体験の多層性を提供する。
攝津の評に「女流俳人」とあるが、野間の句には、女性性を強調するよりも、性や身体を普遍的かつ挑発的なモチーフとして扱う姿勢が見られる。
性の字やひたすら葱は起ち上がり
食卓やらちなき子宮乱菊る
これらの句では、性や子宮といったモチーフが、葱や乱菊といった日常的・自然的な形象と結びつき、女性の身体を詩的対象として客観化する。この手法は、伝統的な女流俳句の枠組みを超え、性をタブー視しない大胆な表現として機能する。野間は、男性俳人が支配してきた俳壇の「荒野」で、女性としての視点を持ちつつ、性差を超えた普遍的な詩的言語を追求している。
『ステンレス戦車』は、野間幸恵が「俳句の方法」を借りつつ、伝統的俳句の枠組みを突き破り、一行詩としての自律性を確立した句集である。攝津幸彦の評が示すように、彼女の句は、言葉の物質性とイメージの奔放さを通じて、現代俳句に新たな地平を開いた。日常と非日常、崇高と滑稽、伝統と前衛が交錯するその詩世界は、読者に解釈の困難さと喜びを同時に与える。野間の「ねばり強く言葉と交感する」姿勢は、俳句という形式を現代詩の一つの極点へと押し上げ、1990年代の俳壇に鮮烈な足跡を残したと言える。
この句集は、単なる女流俳句の枠を超え、言葉の可能性を追求する全ての詩人にとって、挑戦的かつ刺激的なテキストである。攝津の称賛は、その革新性を的確に捉えたものであり、野間幸恵の『ステンレス戦車』は、現代俳句史において特異な輝きを放つ作品として、今後も読み継がれるべきだろう。
〔※〕『ステンレス戦車』は1993年の出版だが、同年の『俳句あるふぁ』第5号(毎日新聞社)の特集「私の好きな女流俳句」で、攝津幸彦が「最近読んで、面白いと感じた女流の句集の中から」と「一反木綿雨後をふくらむジャック&ベティ」の句を揚げ、「俳句の方法による一行詩の自律に挑み、幾多の男性俳人が敗れ去った荒野で、ねばり強く言葉と交感する幸恵」と称賛している。
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〔過去記事〕
鈴木茂雄 野間幸恵の読み方 句集『ステンレス戦車』を読んで
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