2022-08-07

鈴木茂雄【句集を読む】 野間幸恵の読み方 句集『ステンレス戦車』を読んで

【句集を読む】
野間幸恵の読み方
句集『ステンレス戦車』を読んで

鈴木茂雄


一反木綿雨後をふくらむジャック&ベティ 野間幸恵

わたしが俳句を始めたころ(1970年代)の俳句とずいぶん様子が違ってきた。そのことをひとくちにニューウェーブの台頭とか表現様式の変革といってしまうとそれまでだが、ひとつのテクストとして俳句を提示されたとき、わたしたちがこれまで使ってきた既成の言葉で語ろうとすると、どこか古い昔の言葉のようにもどかしく、通用しなくなってきたような気がする。なにかが変容しているらしいということが皮膚感覚で感じるからだ。かつて山本健吉や大岡信が批評した時代の俳句と今日の俳句は、わずか半世紀に満たないにもかかわらず、「現代俳句」とひと括りにできないほど明らかにその原質が違っていて、少なくとも季語をキーワードとしたテクストの解読は、もはや困難でありながら安易である状況になってきたようだ。いまも詩的空間を旅し続けるテクストとしてのハイクの多彩な現在進行形の中にあって、つい最近、野間幸恵の第一句集『ステンレス戦車』(1993年刊)を読む機会を得て驚いた。

揚句は、いま述べた「いまも詩的空間を旅し続けるテクストとしてのハイクの多彩な現在進行形」を遡ること30年前の作品だが、野間は前衛に走らず伝統に逃げず、言葉の関係性だけを求めて俳句をずっと書き続けている。その成果は第四句集『ON  THE TABLE』(2019年刊)へと続き、さらに自ら編集する575作品集『Picnic』(「6号」2022年刊)などで今も続いている。

わたしがなぜ揚句を知っていたか。それはおそらく雑誌『俳句αあるふあ』5号(毎日新聞社、1993年刊)の「私の好きな女流俳句(いま、女性の時代…。江戸時代から明治・大正・昭和、そして平成…。つねに時代とともに生き、時代をリードしてきた女流俳人たちの中から、好きな俳句を、作家・書家・タレント・イラストレーター・旗手・歌人・詩人・俳人などに選んでいただき、コメントしてもらいました。)」というアンケートの中で、攝津幸彦が「俳句の方法による一行詩の自律に挑み、幾多の男性俳人が敗れ去った荒野で、ねばり強く言葉と交感する幸恵」とコメントして、「一反木綿」の句を引いていたのをおぼろげながら記憶していたからだろう。そしてその記憶が少し前にネットで引用されていた同句を読んで、完全な一句として記憶が甦っていたからである。

それは如月和泉の「週刊  川柳時評」というブログだった。「野間幸恵における言葉の関係性」と題して、野間の第3句集『WATER WAX』についての感想を書いているのだが、その中で「一反木綿」の句に言及している。如月は「本日は連句論を展開するつもりはなく」と断っておきながら、わたしが上記で引いた攝津幸彦のアンケートのコメントを如月も引用(「交感」が「交換」と誤記されていたが)して【ただし、「三句の渡り」理論から言えば、掲出句は「一反木綿」と「ジャック&ベティ」が固有名詞の打越となり、必ずしも成功しているとは言えない。」と、理解に苦しむ感想を書いている。「固有名詞の打越」って、なんだろう。

攝津幸彦ほどの俳人がなぜ俳句雑誌のアンケートに答えてこの句を推挙したか。それは、この一反木綿の句(ひいては野間幸恵という表現者)が俳句表現史の一支流に成り得る可能性があると直感的に思ったからではなかったか。そういう作品に対して、如月自身がこの感想文の冒頭で【私は連句人でもあるから、連句用語の「打越」をあまり安易に使ってほしくない】と言いながら、自ら安易に「打越」という連句用語を持ち出して「必ずしも成功しているとは言えない。」と言っている。が、「成功している」かどうかなど摂津ははなから問題にしていない。「今までなかった俳句」だから、摂津自身が驚いているのである。この共通感覚について、同アンケートで「日常の変哲もない物事にまつわる空気の動きを、選びぬかれた言葉で俳句形式に定着させる女流の達人」と攝津に推挙された池田澄子は後に、「これは既にあるね。先生はよく、そう仰った。先ずは今までなかった俳句、良いかどうかはその次、と仰った。」(『休むに似たり』)と、独自の表現様式の確立を師の三橋敏雄から学んだことを明かしている

話が逸れた。本題に入る。

野間幸恵『ステンレス戦車』(Tarô冠者:発行 1993・7・25)は1頁に1句、ちょうど100頁100句の句集である。タイトルの「ステンレス戦車」は所収の作品同様、言葉のナイスな関係をめざしていて、ステンレスと戦車の取り合わせは、これまでにない、といっても30年前になるが、いまでも通用するお洒落な関係であるが、野間はただお洒落なだけではなく、それなりに迫力があるもの、戦うという単語の複雑さを開き、表紙を飾ろうとしたのではなかったか。だから鋼鉄で武装するのではなく美意識で戦う、おそらくそんな意識だったのだろう。

写真というノコギリが座っている  野間幸恵

猫舌に明治は毛布どうしましょう

性の字やひたすら葱は起き上がり

型紙やローマに続く下肢ばかり

朝日からさくらが散れば名前だね

偶然を魚籠のかたちは間にあわぬ

すいてきや殺風景を裸婦がゆく

月の暈ポルトガルったら傘さして

鍋釜へ悲しい途中が立つ東京

ティラミスや夕日のおくの重量挙げ

うつくしい体重だから丹後半島

本降りの黙にするめが立ち上がる

夜景ならかじきまぐろをする方法

落下傘のあとのまつりに結婚しよう

前のめりに晴れて晩年ございます

「かなり早い時期から、言葉で景色を書くのではなく、言葉の景色を書くという意識になっていった。それは言葉の関係だけに集中すると、575から異質な世界が現れたり、言葉が全く違う表情になるという、嘘のような偶然の積み重ねによります。」(「Picnic 3号」)という野間の作品を知って3年、その過程でわたしの中に形作られている野間幸恵という俳人像をなぞりながらざっと引いてみた。

野間のいう「言葉の関係だけに集中」とは、西脇順三郎の【すぐれた「新しい関係」を発見することがすぐれたポエジイの目的である。ここでいう「発見」という意味は創作するという意味である。(『詩学』)】ということだが、そのことを野間は「喩的な素敵な関係」といっている。言うのは簡単だが、これは伝達手段としての日常語から開放するという、極めて高度な技術力と詩的センスが要求される。言葉を中心に展開される文体はすでにこの句集において散見するが、そのハイクは当然あるべきところにコトバがなくて、逆にあってはならないところに強引にコトバを置くという、いわば文法的駐車違反。野間はその常習犯だ。

俳句はすべてレトリックで成り立っている。たった十七音しかない俳句形式は、いつも修辞的技法を要求する。そうしなければ十七音以上でも以下でもなく、散文の一行にも満たない舌足らずな短文で終わってしまうからである。野間俳句を読む上で忘れてならないことは、一句の中に美しく象嵌された詩語でもなければ、俳句の要というべき季語でもない。「切れ」という修辞的技法の存在であるということ。切れこそが野間俳句の要と言っていいだろう。



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