2025-06-22

鈴木茂雄【句集を読む】断片とイメージ 野間幸恵句集『WATER WAX』

【句集を読む】
断片とイメージ
野間幸恵句集『WATER WAX』

鈴木茂雄


野間幸恵句集『WATER WAX』(2026年/あざみエージェント)は野間幸恵の第三句集である。この句集は、日常の断片と抽象的なイメージを融合させ、野間独自の感性で世界をとらえた作品群で構成されている。幸恵の俳句は、鋭い観察力と詩的な飛躍によって、読者に新たな視点を提供する。以下に、句集の特徴を踏まえた評を述べる。

『WATER WAX』は、自然、日常、歴史、科学、芸術といった多様なモチーフを織り交ぜ、感覚的かつ知的なアプローチで読者を引き込む。句集のタイトル「WATER WAX」は、水と蝋という相反する要素を組み合わせたもので、流動性と固形性、透明性と不透明性の対比を象徴している。この二面性は、句集全体のテーマにも通底しており、具体と抽象、物質と精神の間を揺れ動く詩情が特徴的だ。

野間の句は、伝統的な俳句の形式(五七五)を基盤にしながらも、現代的で実験的な語彙や発想を取り入れる。

例えば、

耳の奥でジャマイカが濡れている

ホルスタイン正しい関係代名詞

ガラパゴス行ったり来たりも舌の上

これらの句は、異国や科学、音楽といった要素が俳句に取り込まれ、従来の俳句の枠組みを超えた広がりを見せる。グローバルな視野と個人の内面を結びつけ、現代社会の複雑さを映し出す。

また、句集全体に漂うのは、繊細でありながら大胆なイメージの飛躍である。

たとえば、

霧ひとつ水ひとつ置く誕生日

ブナの森小さくたたんでしまいけり

など、これらの句は、日常のささやかな事象が宇宙的なスケールや哲学的な思索へとつながる瞬間が印象的である。この飛躍は、読者に新たな解釈の余地を与え、句を味わうたびに異なる発見をもたらす。

以下に、句集からいくつかの句を選び、その魅力と解釈を検討する。

耳の奥でジャマイカが濡れている

この句は、感覚の奥深さと異国のイメージを結びつけた鮮烈な一句になっている。耳の奥という個人的で内面的な空間に、「ジャマイカ」という遠い土地が「濡れている」という感覚的な表現で現れる。音と湿り気の連想が、読者に異国情緒と同時に身体的な親密さを感じさせる。野間独特の、具体と抽象の融合がここに顕著である。

煮こごりのなか正倉院正倉

「煮こごり」という日常的で柔らかな食のイメージと、「正倉院正倉」という歴史的で荘厳なイメージが対置され、時間の凝縮を表現している。煮こごりの透明感と正倉院の重厚な歴史が重なり合い、日常の中に永遠を見出す詩情が美しい。

金閣寺いまわのきわという沸点

金閣寺という具体的な対象に、「いまわのきわ」という極端な瞬間と「沸点」という科学的メタファーを重ねることで、刹那と永遠の交錯を描く。この句は、視覚的・感覚的な美しさと同時に、存在の脆さや緊張感を伝える。

ブナの森小さくたたんでしまいけり

広大な自然であるブナの森を「小さくたたむ」という行為は、壮大なものを個人の手の内に収める試みを象徴する。自然への畏敬と、それを詩として凝縮する俳人の姿勢が感じられる一句。

鳥の字をほどく春は昔から

「鳥の字」という漢字の形を「ほどく」ことで、春の解放感や生命の躍動を表現。言語と自然が交錯し、春という季節の普遍性を「昔から」という言葉で強調する。この句は、俳句の言語芸術としての本質を体現している。

『WATER WAX』は、日常の断片を切り取りながら、それを抽象的・詩的な次元へと昇華させる試みが一貫している。野間の句は、感覚的な美しさと知的な遊び心を両立させ、読者に多層的な解釈を促す。

たとえば、

ニワトリを消していくから月の音

蜻蛉がウヰスキーを長くした

などの句は、日常の事物が非日常的なイメージに変換され、読者の想像力を刺激する。

また、句集には時間の流れや存在の儚さが繰り返し描かれる。

父母の声ただ石鹸を置いておく

逝く人を木に咲く花と思いけり
 
などは、命や記憶の繊細な描写が心を打つ。これらの句は、現代社会における人間の孤独やつながりを静かに問いかける。

野間幸恵の『WATER WAX』は、日常と非日常、具体と抽象を巧みに織り交ぜた句集であり、現代俳句の可能性を広げる作品である。感覚的でありながら知的なその句は、読者に新たな世界の見方を提示し、詩としての深みを湛えている。伝統的な俳句の形式を守りつつ、現代的な感性で自由に飛翔する野間の俳句は、俳句愛好者だけでなく、詩や文学に関心のある読者にも広く訴える力を持つ。最後に私の好きな俳句を揚げて筆をおく。

昆虫の仕組み夜明けの音がする

美しい縫い目のように先住民

ふらすこがいまわのきわを滴れり

パピルスを喜ぶto be continued

体内に月の音するJINトニック

うつくしい紙の音ならうらぼんえ

空港はフラフープから出来ている



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