成分表98
支持体
上田信治
レオナルド・ディカプリオは、いつも物語を停滞させていると思いませんか。
公開中の新作『ワン・バトル・アフター・アナザー』を観て、そう思った。『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』も『ウルフ・オブ・ウォールストリート』も『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』も。
この人は、どこにも行きたい場所がないし、行けるとも思っていないのではないだろうか。
そのことは『ワンス・アポン・ア〜』で共演したブラッド・ピットと対象的で、ブラピは、だいたいどの映画でも気持ちよさそうにしていて、その気持ちよさを維持したいという強い欲求を感じるのに。
東出昌大は『寝ても覚めても』と『散歩する侵略者』という二本の映画で「ひじょうに魅力的だとされているけれど、ぞっとするほど空虚な人」を演じていて、どちらも見ものと言っていい素晴らしさだった。
その後、彼は、私生活のトラブルをきっかけに、ものすごくへんな人だということが知れ渡って、なにかが、すごくよく分かった気がした。
ものを作る人が、世界に持ち込めるのは、一人につき、たった一つなんじゃないかと思う。
東出昌大は不気味さ。ディカプリオはあの停滞感。
絵でいうところのキャンバスを支持体と呼ぶけれど、演じる人も書く人も、その人のタマシイのありさまのようなものをキャンバスにして、その上で何かを作って人に見せている。
匿名の、あるいは非人称的な表現は、時代とか、文脈とか、神様の作品として、つまり、それらを支持体として、見る人に理解される。
自分が、何かものを書いていると言えるとしたら、自分が支持体とするのは、戦後日本のジュブナイルな商業文化で自己形成したひとの感受性といったものだろう。
そんなものでも、集めればタマシイになるんですよ、というかたちで。
日の終りやはらか掃除用具かな 上田信治
0 comments:
コメントを投稿