2025-11-16

鈴木茂雄【野間幸恵の一句】ギガだけが

【野間幸恵の一句】
ギガだけが

鈴木茂雄


ギガだけが大きくそだつ神無月  野間幸恵

この句は、秋の深まりを象徴する神無月を舞台に、異質な存在の成長を描くことで、静謐な自然の摂理と人間の内面的孤立を巧みに重ね合わせる。句の構造は伝統的な五・七・五を基調としつつ、「ギガ」という外来語の挿入が現代的な異和感を生み、季語「神無月」を核に据えながら、視覚的なスケール感を強調する。以下、この句のイメージ、技法、含意を層的に読み解き、その詩的深層を考察する。

まず、句の核心は「ギガだけが大きくそだつ」という対比にある。「ギガ」は、古代ギリシャ語の「gigas」に由来する語で、「巨人」を表し、ギリシャ神話における巨人族を指す。銀杏の古語的響きを帯びつつ、現代ではデータ容量の単位として馴染み深い二重性を持つ。神無月、すなわち旧暦十月は、出雲の神々が集う「神在月」に対し、他国では神々が不在となる月として知られる。この神々の「不在」の季節に、銀杏の木だけが異様に巨大化する様は、圧倒的な生命力の顕現だ。黄葉の扇状の葉が風に舞う秋の風景を想起させるが、「大きくそだつ」という動的な表現は、静かな衰退の季節に逆らう成長のダイナミズムを喚起する。他の樹木が葉を落とし、枯れゆく中で、銀杏だけが天を突くように膨張するイメージは、視覚的に鮮烈だ。

技法的に注目すべきは、音韻の洗練と余韻の残響である。「ギガ」の鋭い子音が「大きく」の重厚な母音と対峙し、「そだつ」の柔らかな終わりが神無月の寂寥を強調する。句全体の韻律は、伝統俳句の簡潔さを保ちつつ、現代語の挿入によりリズムの破調を生む。これは、静かな水面に突然の動きが加わるような静動の対比を思わせるが、野間はそれをスケールの大・小に転じ、巨木の「大」と神々の「無」の「小」を並置する。季語「神無月」は、単なる季節標識ではなく、存在の不在を象徴し、銀杏の成長を「神なき世界での孤高の繁栄」として昇華させる。

含意の層はさらに深い。神無月の神々の不在は、日本神話の出雲集会を背景に、祭りや豊穣の欠如を示唆するが、そこに銀杏の巨大化を置くことで、句は自然の無情さと人間の孤独を投影する。銀杏は古来、仏教寺院に植えられ、永遠の象徴とされるが、現代では都市の街路樹としても馴染む。この二面性は、伝統と現代の断層を表象し、作者の視線が個の内省にあることを示す。たとえば、銀杏の「ギガ」はデータ時代の「ギガバイト」を連想させ、情報過多の現代で「大きく育つ」のは物質的な木ではなく、仮想の膨張かもしれない。こうした多義性は、句を単なる風景描写から、存在論的な問いへ導く。

総じて、この句は秋の儚さを基調に、異質な成長の肯定を描くことで、読者に静かな衝撃を与える。野間幸恵の筆致は、伝統の枠を破りつつ、自然の摂理を鋭く洞察する。神無月の空の下、巨木の影が伸びる様は、人生の孤立と再生のメタファーとして、永遠に響く。

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