【俳句なんやかんや】
曳かれくる鯨笑つて樂器となる〔三橋敏雄〕
八上桐子×西原天気
天気●歳時記的には、いま取り上げるにふさわしくないのですが、ま、そのへんは無視して。
曳かれくる鯨笑つて樂器となる 三橋敏雄
天気●第1句集『まぼろしの鱶』(1966年=昭和41年)の〈昭和三十年代〉の項に収められている句です。おおらかで明るくて、大好きな句です。
桐子●これはまた大きな句ですね。景も死生観も。
天気●鯨だけでもスケールが大きいのですが、《曳かれくる》で、遠近法。泳いでいるよりも大きな景に感じます。
桐子●一瞬、こわっ! と思ったのですが、よく読むと、樂器って、楽しい器で、ラクな器なんですね。だから鯨は笑っている(ように見える)、死とはそういうものだと。
天気●次の世として《樂器》。とすると、そこがこの句の死生観を裏打ちするものですね。
桐子●大きなものの死を詠っていながら、悲壮感がなく、むしろ祝祭的あかるさを感じます。
天気●あかるいですよね、この句。すごくあかるい。おっしゃるとおり祝祭的なまでに。鯨の眼って、笑ってるようにも見えるし。ただ、私は、一読、鯨がそのとき大きな《樂器》として、眼前にある、というふうに読みました。《曳かれくる》を死と直結しなかった。「私たち」のところにやってきた、というとヘンですが、「訪れた」感じ。
桐子●鯨って、毎年新しい歌を作曲して歌っていると聞いたことがあります。
天気●ああ、コミュニケーションのために声を出す? Wikipediaの文言では「反復的でパターンが予測可能な音」。まさしく音楽ですね。
桐子●自分では鳴らすことのできない、しずかな楽器になった鯨を、三橋さんが奏でているようです。この世界に生きた鯨と三橋さん、二つの生が響きあっています。
天気●名鑑賞ですね。ところで、この楽器となった鯨、どんな音なんだろう? と一瞬想像してみたんですが、そこは特定しないほうがいいと結論しました。それよりも形象。ほら、シロナガスクジラの腹部の模様は、ハープや巨大な弦楽器みたいだし、マッコウクジラからはピアノを連想しました。
桐子●それは気づきませんでした。ピアノ、弦楽器……見えそう! あ、そうか、曳かれくるのロングショットから、鯨を認識して、顔のクローズアップ。それからもう一度引きで全体を見て見立てる。読者に意識させない視点の移動でもって、具象を象徴へ飛躍させていますね。ふしぎなことに、三橋さんの視線が鯨を動かしているようにも感じられるし、読み返しているうちに、三橋さんの視線が自分の視線のように感じられてきました。
天気●映画的快感ですね、ある種。
桐子●書棚を探してみたら、文庫サイズの三橋敏雄句集『眞神(まがみ)・鷓鴣(しゃこ』(1996年/邑書林句集文庫)が出てきました。
天気●1973年の第2句集、眞神(まがみ)と1979年の第3句集、鷓鴣(しゃこ)を収めたものですね。
桐子●いつ買ったのか、まだ読んでいませんでした。《絶滅のかの狼を連れ歩く》、三橋敏雄と言えばこの句に代表される孤高のイメージですが、硬質ななかにふとのぞかせる繊細でやわらかな句にも惹かれました。この振幅も魅力ですね。
顔古き夏ゆふぐれの人さらい
手を筒にして寂しけれ海のほとり
はつなつのひとさしゆびをもちゐんか
かたちなき空美しや天瓜粉
天気●三橋敏雄は、アマゾンや「日本の古本屋」をざっと見ると、オリジナル句集も含めそれほど法外な値段じゃなく入手できるみたいです。
桐子● 最晩年に作品がどう変化したのか、しなかったのか、すごく気になります。
天気●手元にあって重宝している『定本三橋敏雄全句集』(20166年/林桂・鬣の会発行/風の花冠文庫)には『しだらでん』(1996年)以降の句作も収めてあります。(辞世)と記された掉尾の句を引いてみましょうか。
山に金太郎野に金次郎予は昼寝 2001年・81歳
『まぼろしの鱶』(1966年)の冒頭の句、鮮烈このうえない《かもめ來よ天金の書をひらくたび》から、この昼寝の境地にまで到ったかと思うと、ちょっとうれしくなります。
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