2026-05-24

西原天気【句集を読む】インクの匂い 歌代美遥『月の梯子』の一句

【句集を読む】
インクの匂い
歌代美遥『月の梯子』の一句

西原天気


星冴ゆるインクに美しき匂ひ  歌代美遥

《美しき匂ひ》が鮮烈。《インク》にそれが備わるという把握・提示は、気高い。というのは、つまり、インクのもつ含意(文字・言語の文化性やら印刷の公共性やら)が影響していいるのだろう。

ところで、インクと聞いて、何を思うかは、読者によってやや違う。例えば、印刷工場に入ったとたんに感じる匂い。混じっていそうだが、はっきりと強く、「その匂い」とわかる。一方、例えば、万年筆がインク壺から吸い上げるインクの匂い、紙に書かれたばかりのインクの匂い。こちらはうっすらと感じられるかどうか微妙だ。微妙だが、この句は、やはり後者と解するほうがムードが出るように思う。

匂いに関する語彙は少なく、匂いを表現する手法の幅は狭い。ように思う。匂いにシンプルな形容詞(「美しい」が最たるもの)が冠されることは少ない。一方、「美しい」は、見えるもの・見えないもの(例えば美しい容貌・美しい心)ともっぱらセットになる。視覚と深くつながる。それらの点でも、《美しき匂ひ》は鮮烈なのだ、きっと。

この句にひとつ不満を見つけるとすると、《星冴ゆる》が美しすぎること。宛てられる季語は、脇役にまわるものでよかったのではないか。


歌代美遥句集『月の梯子』(2022年10月/邑書林)
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