【週俳2月7月の俳句を読む】
ひらかれる世界を言葉に
藤本夕衣
見ることは読むこと夏至の日の蝶よ 依光陽子
「見ること」と「読むこと」は、違う。しかし、たとえば、虹の色は、日本語であれば六色になるが、言語が異なり用いる色の言葉が違えば、五色や二色にも見えるという。見ている世界は、ことごとく「ことば」によって成り立っていることに立ち返れば、見ることと読むことは重なりあっていく。今、目の前にいる蝶も、ただの「蝶」にすぎないけれど、「夏至の日」ということばが、その蝶を、一年で最も光あふれる日にいる特別な存在へと変えていく。
夏の雨きのふの声の未だある 依光陽子
近頃の夏の雨には、「夕立」ともまた違った激しさがある。もわっとした空気があたり一面を覆い、激しい風雨が一瞬にして景色を豹変させる。そうしたなかで、「きのふの声」へと意識を向ける作者の周りには、雨音さえ遮断されたような時間が流れている。激しい雨に取り囲まれながら、過去の声と向き合う静けさ。
画の奥に耳を澄ますや光の夏 依光陽子
風景画だろうか。「光の夏」という下五のことばが、そう連想させる。描かれているものを頼りに、描かれていない「音」を聴きとめようとする作者に導かれ、読み手も、目の前の画に耳を澄ますような感覚を味わう。絵の作者が立っていたその場に作者が立ち、そしてそこへ、私たちも誘われていく。目に見える風景の奥に耳を澄ませば、光に満ちた夏が感じられる。
バンガロー初めて話すことありぬ 百瀬一兎
シンプルな句だけれど、「初めて話すことありぬ」という一言が、「バンガロー」と取り合わせられることで、そこにいる人たちの関係性や、それぞれの思い、そしてその時間までが具体的に伝わってくる。バンガローという季語の力である。
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