2026-09-06

叶裕 歩行と気息

歩行と気息

叶裕


俳句に出会う前、ぼくは自転車競技に打ち込んでいた。

競技か練習かを問わず、他選手と駆け引きを繰り広げながら、高強度の運動をどれだけ維持できるかに血道を上げていたのだ。喉の奥から血の味がしても、ドーパミンに浸された脳は快感の金切声を上げ続けていた。練習と称しては連日荒川の河川敷を走り、週末になれば仲間とヤビツ峠をはじめとする山間部を縫うように駆け抜けた。今思えば「前へ、前へ」と気が逸るばかりで、周りの風景を愛でるゆとりなど皆無だった。

やがて大怪我をきっかけに競技から離れ、心の空疎を埋めるように文芸にのめり込んでいったのだが、あるとき知己を得た俳人の言葉に目を丸くした。

「俳句的歩行・気息」

加藤秋邨の言葉だという。前だけを向き、がむしゃらに突き進んできたぼくの前に、新しい世界の幕が開いた瞬間だった。

現在、ぼくは愛機のロードレーサーから変速ギアを取り払い、固定ギアに付け替えて、日々ママチャリよりもゆったりと近所を流している。歩行よりは速く、風よりは遅く。街の匂いや肌にまとわりつく湿度、風の動きといった五感が心地よく刺激される。世に言う「チルアウト」とは、まさにこのことだろう。

しかし、そんな心地よさに浸っているときでさえ、ふと「俳句的歩行・気息」という言葉が脳裏をよぎる。……いや、これでもまだ速すぎるのだ。

これは俳句に限った話ではない。ぼくは写真も撮るのだが、それもまた「俳句的歩行・気息」に通じる時間感覚の中に成立するものだと、つくづく思う。

いつか自ら自転車を降り、「俳句的」なる境地に辿り着いたとき、きっと納得のいく作品が生まれるのだろう。

1 comments:

ハードエッジ さんのコメント...

加藤秋邨→加藤楸邨