虚子を読め!
小笠原鳥類×中嶋憲武
『炎環』2026年9月1日・通巻第553号より転載
鳥類●本棚から朝日文庫「現代俳句の世界」『高濱虛子集』(一九八四)。澁澤龍彥の序文「物の世界にあそぶ」に「蝶々のもの食ふ音の静かさよ」(「五百句時代」)。言葉で遊ぶと、生きものが現れる。小さい音が〈もの〉になって、文字になって並んでいる。蝶々を見てから音を聞いたのでしょうけれども、見る前に「もの食ふ音」で蝶々に気付いたのであればビックリ。言葉がビックリする〈もの〉であると、俳句の読者だった吉岡実の詩のようでもある。
憲武●吉岡実はストリップ・ショーも好きだけど、俳句も好きなんですね。「奴草」という句集を出してますし、著作『「死児」という絵』の中では、永田耕衣や富澤赤黄男、山口誓子、高柳重信、河原枇杷男など、かなり俳句に言及している。でも虚子はあまり出てこないかも。その虚子の句が吉岡実のようだと言われればビックリ。澁澤龍彥はその他にも触れてましたね。
鳥類●澁澤の序文に「水打てば夏蝶そこに生れけり」(『六百句』)。水を打つように短い瞬間の言葉で〈もの〉を出現させます。序文にない句で、「スリツパを越えかねてゐる仔猫かな」(『六百句』)。これも瞬間の音。スリッパで卓球をする人がいますけれども、パシッと速い打楽器。まだ小さくても、たくましい命が音楽になって書かれているような。
憲武●ビートルズの「Leave My Kitten Alone」が頭の中でひとりでに鳴り出したりします。虚子はビートルズを聴けなかったと存じますが。虚子の句には音楽性がある。序文で引用されている「鴨の中の一つの鴨を見てゐたり」「わだつみに物の命のくらげかな」などの句は、リフレインでリズムを整えていたり、母音で始まり母音で終わって、終りの音が頭に返って行くような循環的構造を成してますね。
鳥類●小さい生きものも、集中して見ていると、どこまでも大きくなるようです。「大蜘蛛の現れ小蜘蛛なきが如」(『六百五十句』)。人を食べる巨大なクモを想像します。
憲武●タランチュラが巨大化するアンバランス・ゾーンに、彷徨い込んでしまったかのようです。ウルトラQ。
鳥類●憲武さんから教えていただいた「我を見て舌を出したる大蜥蜴」(『七百五十句』)。十メートルくらいはありますね。これも憲武さんから教えていただいた「口明けてやうやく啼きぬ寒鴉」(『六百五十句』)。鳥は速い生きもののようですが、ゆっくりであると、大きく見えてきます。虛子、新しい恐怖です。「営々と蠅を捕りをり蠅捕器」(『五百五十句』)も、こわい虫と、こわい、生きている器械。営々と、と言われると、仕事、営みで、クールに虫を食べ続けているようです。
憲武●恐怖ですね。今回は、鳥類さんをお迎えしましたので、動物、鳥類、昆虫類に特化した句を中心にお話してみました。この辺でお別れしたいと思います。みなさま、ごきげんよう!
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