2026-09-27

鈴木茂雄【野間幸恵の一句】一人称

【野間幸恵の一句】
一人称

鈴木茂雄


指先の一人称を脱いでみる  野間幸恵 

この一句は、「指先」という身体のなかで最も繊細に世界と交渉する部位と、「一人称」という近代的主体を支える言語的・存在的な制度とを、無媒介に重ね合わせる点に、際立った詩的直観が認められる。すでに、ここに作者の思想の深みが凝縮されている。

指先は常に「わたし」の最前線である。触覚を通じて外界の質感や温度、抵抗を確かめ、同時に自らの存在を外界によって確かめられる場所だ。触れることは同時に触れられることであり、主体と客体の境界が溶ける場でもある。その指先に「一人称」がまとわりついている、と作者は言う。一人称とは、文法上の「わたし」であると同時に、世界を自分の側から領有し、意味づけようとする意識の構えそのものだ。それを「脱いでみる」――衣服を脱ぐように、軽やかに、しかし決定的に。

「脱いでみる」という表現の含蓄は深い。単に「脱ぐ」ではなく「〜してみる」とあることで、この行為は完成された決断ではなく、実験であり、半ば遊戯的な身振りとなる。脱いだあと、指先は本当に「わたし」から自由になるのか。それとも、脱いだ瞬間にこそ、名指されぬ純粋な感覚としての指先が現前するのか。作者はその答えを与えない。与えないことによって、読者の意識を、主体の根源的な不確かさへと誘う。

ここには、近代的自我に対する静かな、しかし徹底した懐疑が息づいている。一人称を脱ぐという行為は、自己を世界のただなかに解き放ち、主体と客体の二元論を超えて、より根源的な「もの」の次元へと身を沈める試みにほかならない。それが指先という極小の、しかし最も感覚的な場所で行われる点に、この句の現代的な鋭さと身体知――言葉にできないけれど体が覚えている感覚や、日々の生活・運動の中で培われる知恵――が交叉する。大仰な哲学的宣言ではなく、ごく私的な、ほとんど内緒ごとのような所作として提示されるところに、野間幸恵の詩的な矜持と洗練された抑制がある。

言語の次元から見ても、この句は精妙である。「一人称」という抽象的で硬質な語を、「指先」という具体的で柔らかいイメージが受け止め、「脱いでみる」という口語的で軽い動詞が全体を溶かし込む。概念が身体の感触へと還元され、思想が触覚の次元で再体験される。この還元の手つきこそが、一句を観念の遊戯から救い、真に存在論的な体験へと高めている。

読む者は、自分の指先にもいつのまにか薄い膜のような一人称がまとわりついているのを感じるだろう。それをそっと脱いでみようとする衝動が、静かに、しかし抗いがたく湧き上がる。脱いだあと、指先は何を触れるのか。世界はどのように変容するのか。その問いの余白のなかに、この句は長く、静かに響き続ける。

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