【句集を読む】
水平に晩年感覚
若森京子『藍の晩年』の一句
岡村知昭
あの世とは水平感覚つくつくし 若森京子
いきなり「あの世とは水平感覚」と断定されてしまうと、いったいどういうことなのか、そんな戸惑いを覚えずにはいられない。もし「あの世」へいったん行ってしまったら、もう2度と、今いるここへは戻れないのだ。だから、どうして恐れが先に立つ。炎が、剣の山が、舌を抜かれてしまう自分が、頭をよぎってしまう。そして、恐怖は増幅され、深く心身に染みわたってゆく。
しかし、「水平感覚」との断定は、「あの世」への恐怖のイメージの数々を取り払ってくれる。「水平」なのだから、真っ平。今いるこことの境目はない。「あの世」と「この世」は、これまで思っていたよりも、ずっと地続きだったのだ。だから、「あの世」を怖がらなくてもいい。怖がっていても、怖がらなくても、「この世」から「あの世」への移動のときは必ず訪れる。そのときを、今から恐れなくてもいい。そのときが来たら真っ平に広がる空間を、ただ歩いてゆけばいい。つくつくしの響きは、「あの世」へ向かう自分にとって、よき同行者となってくれるだろう。
『藍の晩年』との題名にふさわしく、この句集には、別れと追悼があふれている。もっとも身近にあって、長く人生を共にしてきた伴侶。自分を俳句へと導いたのみならず、作品を書き続けていく原動力でもあった恩師金子兜太。俳句を通じて出会い、よりよい1句、次の1句への切磋琢磨を共にしてきた友人たち。誰もが自分を形作ってくれた、大切な存在だった。もしかしたら、彼ら彼女たちとの別れの積み重ねによって、「この世」の自分の、「あの世」への恐れは和らいでいるのかもしれない。だから、次の一句が生まれる。
葱刻むふとこの世から足外れ 同
葱を刻んでいるとき、ふと「この世」と「あの世」の境目を感じる。晩年を感じる。でも、恐れはしない。「あの世」と「この世」は水平につながっているから。
若森京子『藍の晩年』2026年8月/ふらんす堂
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