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2016-07-31

〔その後のハイクふぃくしょん〕ステージ 中嶋憲武

〔その後のハイクふぃくしょん〕
ステージ

中嶋憲武


スタンドマイクの前に立つと、雨の音が聞こえた。雨音と思ったのは、拍手の音だったのかもしれない。

振り切ろう。るんなを見ると、Bのコードを押さえて、人差し指で、ふわっとセーハした。るんながこちらを見た。みこもこちらを見た。三人、目で合図しあって、るんなのギターは、のっけから釈迦力。ディストーションのたっぷりかかった怒りの三連。わたしは白夜の怪鳥のような叫びを挙げた。


二月のからりと寒い夜。学校の帰りに、駅前のミスタードーナツで、このたびの文化祭への参加と、どういう曲をやったらいいのか、ミーティングを行った。文化祭は六月の第一週の土曜日曜と二日間ある。二日目の講堂でのステージに、有志バンドとして立つ事に決めたのだ。

わたしの通っている麗響女子学院は、横浜の海の見える高台にある。周囲には伝統ある名門校として聞こえていて、文化祭には父兄も大勢来る。そういった父兄達も楽しめるステージとして、わたしはビートルズを考えていた。

父は中学の頃からビートルズを聴いていて、今でも休みの日などに聴いている。よくテレビの街頭インタビューなどで、ビートルズをどう思うかと尋ねられた中年男性が、青春でしたと、あくまでも過去形で答えたりしているが、父はそうではない。現在進行形なのだ。父にはビートルズ周期というものがあって、無性に聴きたくなる時期と、そうでない時期が半年に一回くらいの割合で交互にやって来るのだと言う。

そんな父の影響をモロに受けているわたしは、ポールの大ファンな訳で。

担当の楽器はベースギターで、ヘフナー500/1を使用している。レフティーのヘフナーだ。もともと右利きだったのだが、ベースを弾く時だけは、左利きになる。練習した練習した。その方が、ギターとベースのネックが両方に開いて、バンドの見た目も面白いし、何よりもポールが左利きであったからなんだけど。

わたしたちのバンドは、中学から同級のるんながギター。同じクラスのみこもギター。みこの友達の三組のありさがドラム、ありさの後輩の一学年下のシャンディーがキーボードという五人編成だ。シャンディーとは本名で、ママが台湾人、パパが日本人のハーフで、ありさの小学校からの知り合いらしい。今すぐにでもモデルとして、きっと通用する、すごい美人だ。

当初から洋楽でやろうという事は決まっていたので、何をやるかだ。るんなはグリーンデイがいいと言い、みこはニルヴァーナがいいと言った。ドラムのありさはトイドールズ、キーボードのシャンディーはラモーンズと言う。

見事に意見バラバラ。わたしはビートルズなんてどう?と言ってみた。
「ビートルズぅ~?」ほとんどユニゾンで返答された。
「オールディーズは、みんな知ってるから、難しいんじゃないのお」
「そうそう。超有名なグループだけに、それぞれ思い入れもあるし、聴き比べられちゃうよ」
ありさとシャンディーが共闘して、反対してきた。
「みんなが乗れる曲がいいんじゃないの。うわっ、べとべと」るんながハニーディップをちぎりながら、もそっと言う。
「そうだよ。乗りが大事だよ」そう言ってみこは担々麺を啜った。
「みんな、ビートルズにどんなイメージ持ってんの?」わたしは聞いてみた。するとイエスタデイとかレット・イット・ビーとか、イェイイェイ言ってるだけ、教科書的に退屈とか抜かした。
「なあんだ、みんなビートルズ知らないんじゃん。有名どころしか聞いてないんじゃないの?」と言うと、るんなが指を舐めながら、わたしはビートルズでもいいと思うよと、ぼそぼそっと言い、乗れる曲ならねと付け加えた。ギターが滅茶苦茶巧みな、るんながそう言うと、なんとなく流れはビートルズという事になって来たので、予てから用意してあった曲のリスト十曲を、みんんなに見せた。

ビートルズ選曲リスト①レボリューション②あたしの車の③ヤー・ブルース④ヘイ!ブルドッグ⑤そして君の鳥は歌える⑥ペイバーバック・ライター⑦道路でやろうじゃないか⑧私と私の猿以外は誰でも隠し事を持っている⑨すべて素晴らしすぎる⑩誕生日
リストの曲を、みんなほとんど知らなかったが、ありさが、椎名林檎がカヴァーしているヤー・ブルースは知っていると言った。
「十曲やるつもりなの?ステージの持ち時間、何分だっけ?」
「三十分だったかな。あ、大丈夫だよ。ヤー・ブルースは四分くらいだけど、ほかのは三分ないか、三分程度だから」

ありさとそんな会話をしてから、「この十曲は、全部ユーチューブで聴く事が出来るから聴いてみて」とみんなに言い、それを次のミーティングまでの宿題にして、その日は解散したのだった。

二曲目のヤー・ブルースを、ギターのるんなが歌い出すと会場の千二百人は、しんとなった。るんなのギターが、のったりと始まったからだろうか。それとも歌詞のせいだろうか。

 そのとおりだ/わたしはさびしい/死にたい/
 そのとおりだ/わたしはさびしい/死んでしまいたい/死んだも同然だが/
 朝には/死にたい/夜には/死にたい/死んだも同然だが/OH GIRL/なぜこうなったのか
 その理由は/きみにはよくわかっているはずだ

この曲はずっと、「死にたい」「自殺したい気分だ」と歌う。二曲目に持って来たのは、失敗だったかなと軽く後悔する。

ゴンゴンとベースを鳴らしながら、千二百人ほどの観客を見渡す。お父さんは、…見つからない。来てないのかな。座席の最前列から三列目にタカトが来ている。うっとりとした感じで、るんなを見ている。練習もよく見に来ていた。わたしがじっと見ていると、目が合って、照れたようにすこし笑った。キュートだ。

バンドの練習が終ると、わたしたちはよくサイゼリヤへ行った。その日はタカトが見に来ていた日で、るんなにくっついて来た。

サイゼリヤは混んでいて、六人席は取れず、三人席を二つ用意された。わたしとるんなとタカトと、みことありさとシャンディーで別れた。

オーダーを終えると、タカトは、ずいぶんヘヴィーな曲をやるんだねと切り出した。ヤー・ブルースのことだ。
「そう。スーサイダルな歌詞だからね」
「スーさん?」
「スーサイダル。自殺したい気分」るんながタカトの隣で、タカトにちょっと身を寄せて言う。
「へえ、そんな内容なんだ。ミスタージョーンズって誰?」歌詞のなかに出て来る固有名詞だ。
「ボブ・ディランの歌に出て来る男性の名前らしいよ」ジョン・レノンはボブ・ディランに結構憧れていたフシがある。
「ボーカルを取る上で、ちょっとはっきりさせて置きたい事があるんだけど」るんなが切り出す。
「そのボブ・ディランの曲、やせっぽちのバラードに出て来るジョーンズって、ブライアン・ジョーンズの事だって聞いたような気がするんだけど、そうなの?」ブライアン・ジョーンズはローリング・ストーンズの創設者であり、自宅のプールで謎の死を遂げた人物だ。
「違うと思うよ。ブライアン・ジョーンズが死んだのは、この曲の発表時期より、ちょっと後だと思ったな。だから関係ないんじゃないかな」
「ああ、そうなんだ。じゃ、やせっぽちのバラードって事にしとく。せりかは流石によく知ってるね」るんなに褒められると、嬉しい。

三曲目の「ヘイ!ブルドッグ」が終っても、客席はなかなか乗ってこない。MCの時間もない。通常であれば、わたしたちのバンドには、お友だちタイムというのがあって、クイズを出したり、早口ことばを言ってもらったりして、オーディエンスとコミュニケーションを取れるのだが、とにかく今回は時間がない。

信じられない事だが、今朝、実行委員長の日野めぐみがステージの持ち時間を十分削ってくれと言ってきたのだ。OBのバンドが急遽出演する事になったというのが理由だった。すこし売れてきていて、ネットなどでも人気のバンドだという。理不尽だと日野めぐみに言った。日野めぐみは、今回の文化祭の総責任者ともいうべき赤石沢先生の言ってきた事だから、断れなかったとにべもない。結局、十曲を六曲にするという事で手を打ったんだけれど、バンドのみんなには怒られた。引くなってね。でも仕方ないじゃん。
 
という訳で、MCなしお友だちタイムなし、ひたすら急ぐステージに相成った。

四曲目の「ペイパーバック・ライター」は、わたしも好きだし、みんなも好きだと言っていた曲だけに力が入る。この曲は、ポールが親戚のリルおばさんから、「ポールは職業に関する曲を書いた事がないわね」と言われて、発奮して書き上げたというのは、あまりにも有名な話だ。

それにしても、そろそろ盛り上がってきてもいい頃。相変わらず、会場は静かだ。

コーラスは単に「ラーラーラー」と歌っているのかと思ったが、ジョンとジョージは「フレール・ジャック」を歌っているのだった。「フレール・ジャック」または「アー・ユー・スリーピング」または「鐘が鳴る」または「グーチョキパーで何つくろう」などの名で知られている歌だ。わたしがボーカルを取るので、みことるんな、ありさ、シャンディーに「アー・ユー・スリーピング」の歌詞をコーラスしてもらう事にした。なにしろブラザー・ジョンなのだから、そう歌って欲しかったのだ。

この曲を数日前、音楽室で練習している時、赤石沢先生がふらりとやって来て、わたしたちの様子を見ていた。四十をとうに過ぎているが、独身の先生は、どことなく浮世離れしている風情があって、少女のような感じもある。普段、会話をしていても、どこかピントがズレていて、少しく緊張感を持って対峙せざるを得ない先生だ。

練習を終えて、機材を片付け始めると、赤石沢先生が近づいて来て、わたしたちの誰にともなく、よく通るゆっくりとした口調で聞いた。
「いい曲でしたね。その曲、おやりになるんですか」
「まあ、やらないという事もないんですが。まあ、その、神のみぞ知る、です」一番近くで片付けをしていたシャンディーが答えた。その答えの何がおかしかったのかは、知らない。赤石沢先生は口に手を当てて、ホホホホとS字を描くような響きの笑い声を立てた。

シャンディーの答えは、当たらずと言えども遠からずで、話し合いによっては、ペイパーバック・ライターも没になっていたのかもしれないのだから。
「他に何を演奏なさるの?イエスタデイ?」
「やりません」みこが答えた。
「レット・イット・ビーは?」
「やりません」ドラムスティックを、大きな胸の前で小さなバツの形にして、ありさが答えた。
「まあ~、ではミッシェルは?」
「やりませんの」るんなが答えた。赤石沢先生は、ゆっくりと頭を左右に振るようにしながら、しばらく間合いを計るように立っていたが、相手にされていないと思ったのかどうか、ステージ楽しみにしておりますと言うと、音楽室を出て行った。

まさか、あの時のあれを根に持っていたんでは?
「ペイパーバック・ライター」が終って、次の曲、「私と私の猿以外は誰でも隠し事を持っている」の、シャンディーが忙しなく叩き続けるカウベルの音色の合間に、ふと思ったりした。まさかまさか。

あっという間にラストの曲になった。「誕生日」という曲なので、演奏の前に聴衆に向かって、今日、誕生日の人はいますか?いたら手を挙げてみてくださいと言うと、ぱらぱらと手が挙がった。
「今、手を挙げてくれた方たちに、ささやかなプレゼントがあります」言い終るやいなや、ありさの烈火のようなドラミング。始まった。最後の熱狂が。
 YES/ぼくたちはパーティへ/パーティへいくのだ
 YES/ぼくたちはパーティへ/パーティへいくのだ
AメジャーからEメジャーへ、バンドは曲を盛り上げる。客席をふっと見渡す。ここに至ってもあまりグルーヴを感じていないようだ。さらにCメジャーへ。ありさのカデンツァが加わり、わたしはダーーーンス!と声を張り上げる。


拍手の音は、雨音だったのかもしれない。雨は夜になって、いっそう強くなった。背中のベースギターが重く感じられた。家までの道程がちょっと遠く感じられた。

ステージが終って、袖へ引っ込む時、うしろを歩いていたるんなが、失敗だったねとにこにこしながら言った。観客の反応はいまひとつよくなかった。演奏は悪くなかったと思う。一人一人のプレイは群を抜いているのだから。でも今回は、るんなの言う通り失敗だったのかもしれない。選曲が悪かった?練習不足?わからない。いいステージを終えた後に感じる、赤子のような全能の感覚はなかった。

家へ帰ると、リビングで父が夕刊を読んでいた。
「お帰り」
「ただいま」
「今日のライブ、なかなかよかったぞ」
「えっ、来てくれてたの?」
「ああ、観てたよ。なかなか力強かった。迫力あった」
「選曲がね。もうちょっと広く受ける方でまとめてたら、と思ったんだけどね」
「いや、受けてる人はいた。後ろの方はだいぶ盛り上がってたようだけど」
「次、もうちょっとがんばる」
「次はいつだ」
「夏休みのライブかな。池袋の」

とりあえず、父に観てもらえて、わりと及第だったようなので、よしとするか。

二階へ上がる時、何気なく天上を見上げると、いつ出来たのか、壁紙にうす青い蝶のような形の染みが浮き上がっていた。


雨の学祭花をつけない木ばかり太い  青本柚紀 『週刊俳句』第431号


※ビートルズの歌詞対訳は、「片岡義男訳 ビートルズ詩集1、2」に依った。

2016-06-05

〔その後のハイクふぃくしょん〕喪服を脱いでから 中嶋憲武

〔その後のハイクふぃくしょん〕
喪服を脱いでから

中嶋憲武


前の車のナンバープレートを厭というほど見ている。さっきからずっと動かない。カーオーディオからカーティス・メイフィールドの「トリッピング・アウト」が流れて、日曜の午後の憂鬱を少しは軽めにしてくれていた。

川魚料理の店を出てから、ずっとのろのろ走ったり止まったりの連続だ。助手席の妻は寝ている。

九十二歳で亡くなった叔母の三回忌法要が、佐野にある小さなお寺で執り行われた後、近くの川魚料理屋でお斎が振る舞われた。鯰の天ぷらがとても美味しかったので、妻の分までもらって食べたのがいけなかった。食べ過ぎたようだ。胃のあたりが重く、いつまでもこなれない感じがある。調子に乗っては、失敗する。曲はデュークス・オブ・ストラトスフィアの「バニシングガール」に変った。

頼子との事だって、そうかもしれない。頼子は、従兄の長男の嫁で、今年三十五になる。頼子の実家を売却する事になって、私の経営する不動産会社へ度々相談に来た。とかくするうち、私は頼子の事を気に入ってしまい、相談が終ると、お茶を飲んだり、お酒を飲んだりするようになった。向い合って座った、頼子の足首の締まり具合が、とてもよかった。改めて見てみると、腰のくびれも胸のふくらみも、私の理想に叶うものだった。

頼子は、私の心を察知したらしく、時折その黒鳶色の瞳に好色そうな炎を、ちらっと走らせたりした。それから私と頼子は、人に隠れてこっそりと会うような仲になった。

叔母の葬儀の時などは、荼毘に付す間、火葬場の裏の雑木林で、大きなケヤキの幹に両手をつかせて、後ろから頼子を愛した。

あれから二年。まだ続いている。妻はもう、とっくに知っているのかもしれない。平生、穏やかな妻が、その微笑の裏側にどのような心を隠蔽しているのか、私には計り知れない。いっその事、妻に話してしまったらどうだろう。ゴルフの話でもするみたいに。あの相性ばかりは、愛情とは別物だから。仕方ないんだ。

曲は左とん平の「東京っていい街だな」になった。私のipodには、いろんな曲が入っていて、シャッフル選曲になっているものだから、シチュエーションとは無関係に、とんでもない曲が出て来たりする。

弥勒という所で東北自動車道を降りて、埃っぽい道をしばらく走った。

妻は起きていて、車窓の外をぼーっと眺めている。

街外れに寂れたようなリサイクルショップがあって、軒にネオンが下がっている。信号待ちの間に、オレンジ色の電光の文字列が何回も流れた。「格安小物」「新品商品」「続々入荷中」「きっといい物がみつかる筈」「安心とやすらぎの店」等々。いい物は滅多に見つからない。それにしても少々眠たくなって来た。

「なんか眠くなって来たなあ。疲れたし。ちょっと休んでいかないか」

「そうね。まだ早いし、いいんじゃない」

街道沿いにコテージタイプのラブホテルを見つけたので、そこへ入る。ワンガレージ、ワンルームというホテルだ。

「ここなの?ファミレスかどっかだと思ってた」ガレージへ車を収めてしまうと、妻は難色を示した。

「ちょっと二時間ばかり、のびのびしたいしさ。いいだろう?」

頼子さんといつもこういう所に来てるのね。私の心のどこかで、妻のそんな声が聞こえた。だが妻は、そのような事は一切何も言わず、黙って私について来た。

部屋のフローリングは木目がつやつやとして、白い壁紙のどこにも染みがなかった。セミダブルのベッドの上に、小さなクマのぬいぐるみがぽつんと置かれていた。妻は、わあ、かわいいと言って、そのクマを手に取った。どうやら期間限定のサービスらしかった。

「ウエルカムベアーか。持って行っていいみたいだよ」と言いながら、最後の方は欠伸でフガフガしてしまった。

私はむしり取るように、ワイシャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、靴下を脱いだ。Tシャツとボクサーパンツだけになると、ベッドに勢いよく寝転がった。妻は私の上着とズボンをハンガーに掛けると、着ていた喪服を脱ぎ、ノンワイヤーの黒いレースのブラジャーとショーツになると、私の隣にひんやりと横になった。

私は仰向けで、妻は私の方へ向いて、海老のように体を曲げ、もう軽く寝息を立てている。

頼子とこうしている時、頼子の手は私の体の一部をゆっくりと擦ったり、手のひらで丸めるようにしたりする。今日の法事では、極力目を合わさないようにしていたのだが、寺からの移動の時などに、思わずすぐ近くを歩いていたりして、目が合うと頼子は白目の部分を、夜明けのガラス窓みたいにほんのり青味を帯びさせていて、私に欲情しているのが分かった。私と頼子は、会えば結びつきたい衝動に駆られるようだった。

遠くから眺めていても、ワンピースの喪服姿の頼子には、普段と違ったコケティッシュな所があり、私をまた魅了するのだった。

突然、妻が大きな声で何か言った。えっ?と聞き返し、振り向くと眠っている。なんだ、寝言かと思ったその時、妻の鼻梁を横切る涙を見た。泣いているのか? しばらくその弱々しく光る一筋の流れを見ているうちに、申し訳ない気持ちが募って来て、唐突に、この場で両手をついて謝ってしまいたいと思った。すまなかった。悪い事をした。ごめんなさい。ごめんなさい。私は眠っている妻に、胸のうちで謝り続けた。

翌朝、目が覚めると、今週は水曜日に頼子と会う事になっているんだったと思った。さて、何処で飯を食うかな。昨日、妻に対して思った事など、きれいさっぱり忘れてしまったように、水曜の夜の段取りを考えていた。

春昼のネオン時々目覚めけり 阪西敦子 週刊俳句・第415号

2016-05-08

〔ハイクふぃくしょん〕父の曲 中嶋憲武

〔ハイクふぃくしょん〕
父の曲

中嶋憲武
『炎環』2014年12月号より転載

あたまの中でときどきあの曲が鳴った。それはたぶん曲にはなっていなかったのかもしれないけれど、みよこちゃんがひいていた曲だ。ゆめをみているときに、あたまの中のどこかのへやで小さく聞こえているようなオルガンの曲。

みよこちゃんのおうちは、ようちえんのすぐ目のまえにあるので、わたしはときどきあそびにいく。みよこちゃんのおうちはとても大きい。ひろいしばふのおにわがあって、フェンスからはとおくの町におひさまがしずんでゆくのがみえた。おにわは坂の上にあって、バス停からその長い坂をのぼってのぼってようちえんへいく。わたしのおうちはバス停のまえだ。

ようちえんでは、おひるねのじかんというのがあって、すわったままつくえの上にかぶさってねる。わたしは眠れないので、かおをよこにしたまま、まどからおそとをながめてる。中にわに大きなキリの木があって、ムラサキの花がいっぱい。その上をひつじ雲がゆっくりとうごいてゆく。雲のうごきをみていると、雲がうごいているんだか、わたしがうごいているんだかわからなくなる。白くて雲があんまりまぶしいので、ろう下がわの方へかおを向けると、ゆたかさんがおきていてはなくそをほじっている。ひとさしゆびにおっきなはなくそ。ゆたかさんはそれをじっとみていたかと思うと、ぱくりと口に入れた。きたないの。わたしはせかいの先に立っているようなかおをして、またまどをみた。

みよこちゃんのおへやには、ご本がいっぱいある。いやいやえん。モモちゃんとプー。ドリトルせんせい。ながくつしたのピッピ。せいの高い本だなのとなりに大きなまど。わたしはご本をよみながら、そのまどをときどき見上げる。おにわの何の木かわからないけれど、大きな木の枝にやってくる鳥をみていると、きまってねむくなる。鳥のうごきはねむりをさそうまじゅつだ。

ことりはとーってもうたがすきぃ。かあさんよぉぶのもううたでよぶぅ。ぴぴぴぴぴぃ。ちちちちちぃ。ぴちくりぴいぃ。

おさんじのドーナツをたべちゃって、おへやにもどり、みよこちゃんにオルガンをひいてもらう。それでみよこちゃんといっしょにうたう。おさんじのまえに、あらった手がいいにおい。みよこちゃんちの石けんは、クリームいろのバラの花のかおりがする。

大きなまどから西日がさし込んで、へやのすみの小ばこが金いろにひかっている。その小ばこをわたしは知っている。だいじなしゃしんの入っているはこだ。おとうさんのしゃしんだ。みよこちゃんは、しゃしんでしかおとうさんを知らない。

ことりのうたをやめて、みよこちゃんはまたあの曲をひき出した。たぶんみよこちゃんとわたししか知らない。何の曲とわたしはきいた。おとうさんの曲とみよこちゃんはこたえた。むかしおとうさんがうたっていたうた。ねむっていると、とおい原っぱでおとうさんがうたっているの。オルガンは鳴ってる。

おるがんのぱふんと風や桐の花    武知眞美

2016-05-01

〔その後のハイクふぃくしょん〕黒湯 中嶋憲武

〔その後のハイクふぃくしょん〕
黒湯

中嶋憲武


朝、目が覚めた時、部屋の奥まで明るかったので、やっちゃった、不覚、と思って時計を見たら、まだ早い時刻だったので、もうちょっと寝ようと思ったその時、そうだ、今日は日曜だったんだと気がつき、更なる喜び。わたしの回りに薔薇の花が咲き、安心して寝よう、深く眠ってしまおうと決めた。

久し振りにおもては晴れているのだろうか。猫のミネコは部屋へ入って来なかった。中庭に面した日の射し込む廊下のマットの上で、眠りこけているのかもしれない。

春陰という言葉があるように、ここ数日、どんより暗く、曇ったり降ったりの天気だったが、今朝はからりと晴れているので、目が覚めた時、思いのほかの明るさに、はっとしたのかもしれない。

とにかく寝よう。極楽極楽、甘露甘露。帰命頂礼。

つぎに目が覚めたのは、軽く十時を回った頃だった。どうも胸の辺りが重いと思ったら、ミネコが澄ました顔で乗っている。部屋へ入って来て、わたしの胸の上でお休みになったようだ。ミネコちゃん、おはようと言うと、掠れた声で小さく、ニャ、と返事をして、わたしの胸を前足で揉み始めた。爪が伸びているのか、少し痛い。切ってあげなきゃ。二、三回背中を撫でてやると、気分が変わったのか、わたしからぱっと離れてしまった。

階下の居間から、母とお姉ちゃんが陽気に話している声が聞こえる。朝食の仕度をしているのだろう。お味噌汁のいい香りがしてきた。今朝は大根だな。

お姉ちゃんは社会に出てから、この春で三年目だ。小さな商事会社の総務部に勤めている。学生時代はバンド活動に熱心だったが、社会に出ると、ぱったりと辞めてしまった。わたしにはその辺の心境が分からない。実力の差というものを思い知ったか、もともとそれほど好きでもなかったのか。そこは聞いてはいけないような領域の気がして、ずっと聞かずにいる。

起きて居間へ行くと、お姉ちゃんが食卓に箸を並べているところだった。母は、わたしに、「これ、お父さんに上げて来て」と、ごはんを高く盛った仏飯器を差し出した。父は去年の夏、胃癌で亡くなった。父が亡くなって、一週間位は、道を歩くにしてもふわふわと雲の上でも歩いてるみたいに、自分が頼りなくて、掴みどころのない日常の中にいた。それは母もお姉ちゃんも、きっとそうだったろう。

悲しみは後からやって来る。午後のプールの帰り道、不意に涙がぽろぽろ出て、油蝉のジリジリ鳴く、灼けたアスファルトに、自分の影がくっきりと動いて、それだけが別の意志を持って動いているように見えたのを、不思議に思っていた。

父にごはんを供え、手を合わせて目をつむっている間、そんな事をふと思い出した。

居間へ戻ると、母とお姉ちゃんが待っていた。五穀米と大根のお味噌汁、焼きたらこ、梅干、納豆、海苔、お漬け物。窓から差す午前の日に、白い湯気が立ち昇って、豪華だ。なんと言うか、この一瞬が豪華。この一瞬に立ち会えた事が豪華。豪華さなんて、ひととき感じるものでいい。
「ミネちゃんは、かんなの部屋?」お姉ちゃんは納豆をぐるぐる掻き回しながら言った。
「ううん、出て行ったけど」
「どうしてミネコは、かんなにべったりなんだろ。かれん、なんかミネコの悪口でも言ってるの?」母は梅干をごはんに載せながら言った。
「言ってないよ。意外と猫は悪口分かるからね。気をつけてる」納豆をさっきよりも加速させてぐるぐる。
「どうしてわたしにべったりなのか、分かんない。匂いかな。それとも前世が猫だったとか」
「かんなには、ミネコのご飯、買えないのにね。わが家の人間関係の優先順位は、理解してないのかな」
「そこが犬と違うところね」母が決めつける。

稼ぐ優先順位だったら、薬剤師のパートをしている母が一位だろう。その次がお姉ちゃん、三番目がたまにアルバイトするわたしという事になるのだけど、どういう訳か、わたしはミネコに大事にされている。

午後は本を少し読んで、少し寝た。朝は晴れていたのに、曇っている。わたしの回りに薔薇の花が萎み始め、憂鬱よ、こんにちは。

庭のコブシが見事に咲いて、その白い花を見つめているうちに、小学生の頃、お姉ちゃんとよくやった「タイトルアクション」という遊びを思い出した。「タイトール、アクションッ」と唐突に叫んで始めるのが、この遊びのしきたりだった。

わたしとお姉ちゃんは、学校の図書室でよく本を借りていて、「アッシャー家の崩壊」とか「モルグ街の殺人」とか借りて来ては、タイトルを身体の動きでパフォーマンスしてみた。例えば「アッシャー家の崩壊」だったら、「アッシャーッ」と奇声を挙げてジャンプする。この時の空中での姿勢も工夫が必要で、ランニングのポーズだったり、大の字のポーズだったりと、いろいろやってみた。次に「けの」で、右手を挙げて、左手は丸めて腰に当てる。「ほう」で両手をまっすぐ頭上に挙げて、そのまま上体を横に倒す。「かい」で、くるりと一回転して前に戻って来たところで、両手を斜め下に広げて、決めのポーズ。つまり言葉と動作は、何の関係もなく、その時のひらめきに頼って、面白いと思える動作をして、タイトルとの乖離を楽しんだ。

お姉ちゃんの「モルグ街の殺人」は、とてもシンプルだ。「モルグ」で、頭を両手で抱え、膝を折って中腰になる。「がいの」で両手を斜め下に開き、てのひらをこちらに向け、両足を肩幅に開いて立つ。「さつ」で開いていた両手両足をクロスさせる。「じん」で再び、両手両足を開く。わたしはそのシンプルさが、とても壷に嵌まってしまい、お腹を抱えて笑い転げたものだ。

母の、あらあ、困っちゃったわあ、という声で目が覚めた。仏間でまた眠ってしまったのだ。時計を見ると四時に近い。読みかけの本を開いてみて、また閉じる。のそのそと起きて母に聞いてみると、給湯器の故障で、お風呂のお湯が温かくならないのだと言う。
「あなた達、今日はお風呂屋さんに行ってくれない?」母にそう言われて、わたしとお姉ちゃんは、近所の天馬湯へ行く事にした。

何年ぶりだろう。小学生の頃、友達数人とよく行った。みんなでワイワイとお風呂へ入るのが、特別なイベントであったなあ。わたし達が、とんま湯と呼んでいた天馬湯は、外観は普通の銭湯だけど天然温泉で、一階は温泉、二階は休憩場で舞台もある。最近は落語家を呼んだりもしているらしい。

この温泉には、黒湯という通称の濃い茶褐色の熱いお風呂があって、わたしとお姉ちゃんはモカ風呂と言っていた。そのお風呂の色を見ると、なんだか懐かしく、お姉ちゃんとそろそろとつま先を入れてみた。子供の頃は、二分と入っていられなかったが、浸かってみるとそんなに熱くないような気がした。
「思ってたほど熱くないね」
「あの壁、明るくなってない?」
お姉ちゃんには、湯加減があまり気になってないようで、懐かしそうに辺りを見回している。

わたし達の胸から下は暗褐色に溶け込んで、足元は全く見えない。じわじわと足元から熱くなって来た。
「やっぱり熱いや。出るね」わたしは浴槽を出て、湯冷まし休憩所へ出るガラス戸を押した。外の空気がひんやりとして気持ちいい。六畳ほどのスペースは、高い仕切りに囲まれて、おもてからは見えないようになっている。ここはたしか露天風呂だった筈だ。藤製の長椅子に腰かけた。周囲には、シマトネリコ、アガパンサス、ハイノキ、フェイジョア、ヒューケラなどが植えられていて、気分が安らぐ。

お姉ちゃんはと見ると、結露したガラスの水滴の点描の中に沈思黙考している。ああやって、お姉ちゃんはよく考え事をする。
「わたしね、考えちゃうんだ。いろいろ。考えていないと、わたしがなくなって行くような気がして」と言っているのを、一度聞いた事がある。わたしはそんな事はない。深くは考えない。ひらめきと直感に頼って来た。そういうところは母に似たのかもしれない。

脱衣所のロッカーの前で、タオルで髪を拭いているお姉ちゃんに、ねえねえとお風呂から上がったばかりのわたしは声をかけた。なに?と振り返ったお姉ちゃんと目の合った瞬間、わたしは「アッシャーッ」と叫んでジャンプした。お姉ちゃんの眉間に怪訝そうな皺が寄った。わたしは再び、「アッシャア」と叫んでジャンプした。
「ちょっとお、やめてよお。みんな変な顔して見てるじゃないの」
「昔、よくやったよね」わたしは思い切り無邪気な笑顔を、お姉ちゃんに向けた。そして二度ジャンプした。回りの人達は、無関係無関心といった風を装って白けている。

そんな回りの反応をよそに、わたしの魂はますます荒ぶって、「アッシャー家の崩壊」の動作を完成させた。お姉ちゃんは髪を梳きながら、わたしをじっと見て、「ちょっとお、裸で何やってんのよお」と道理のよく分かった人のような事を言うので、お姉ちゃんに「モルグ街の殺人」の動作を要請した。

お姉ちゃんは黙って髪を梳いていて、全くやる気がない。調子に乗っているわたしは、「モルグ」「がいの」「さつ」「じんっ」と最後に飛び跳ねた。着地した途端に大きなくしゃみが出た。わたしは急速に素に戻って、そそくさと下着を身に付け始めた。

温泉のタイルのぬめり辛夷咲く  北大路翼 『週刊俳句』第415号

2016-04-10

〔その後のハイクふぃくしょん〕ジャム 中嶋憲武

〔その後のハイクふぃくしょん〕
ジャム

中嶋憲武


この部屋は、一体何度めの部屋になるのだろうか。おそらく七、八回めになるかもしれない。

引っ越すたびに部屋は狭くなっていった。狭くなるたびに、いろいろなものを捨ててきた。母の大事にしていた仏手柑の鉢植えは、煩わしく思いながらも、なんとか捨てずに私と共に引っ越しを重ねてきたけれど、このロフト付き十二平米の独房のようなワンルームへ越して来るにあたって、私はついに思い切った。仏手柑を棄てることにしたのだ。

長い指を何本も持ったような、黄色の果実の成る鉢植えは、いい香りもするし、往々にして私の慰めになってきた。だが私は棄ててしまった。陶製の鉢植えは、砕いて新聞紙に包み、不燃ごみとして出し、仏手柑は可燃ごみとして出す気にはなれず、夜中にスコップとバケツを持って、近所の緑地公園へ行って植えてきた。夜中の公園で、スコップで穴を掘っている姿を人に見られたら充分に怪しい。それを考えると、朝方の方がよかったのかもしれないが、管理責任者へ通報でもされたら面倒だ。丑の刻参りよろしく午前二時頃、のこのこと出かけて行った。

植え終わって、バケツで充分に水をやり眺めてみると、夜露の降りる空気の中で、ことのほか美しく見えた。今更ながら棄てるのは少し惜しい気もしたが、とにかく人に見られたくなかったので、その場を立ち去った。

引っ越してきて、五日ほど経ったある朝、目が覚めてみると、私の隣に女が寝ている。夕べは町へ飲みに出かけて、二軒目の「紅雀」というスナックで、すっかり酔っ払ってしまい、何がおかしかったのか、呵々大笑した事までは覚えている。しかしその後の記憶が、まったくない。目の前の女は、すうすうと気持ちよさそうな寝息を立てている。
 
上唇が薄く、下唇がぽってりと厚い。やや鷲鼻で鼻腔が狭い。三日月型の薄い眉に対して、長く濃い睫毛がアンバランスな魅力を湛えている。眉毛の毛並みを見つめていると、彼女は目を開いた。そしてなんと微笑んだのだ。
「あんた、どちら様?」私は聞いてみた。
「やあだ、リョーコよ」
「リョーコ」そう言われても、私にはとんと覚えがないのだった。むかしよく通っていたヘルスの木綿ちゃんに何処となく似ている。私は木綿ちゃんをコットンちゃんと呼んでいたので、リョーコと名乗る女性にコットンちゃんと呼んでもいいかと尋ねてみた。
「何それ?そう呼びたいんなら、呼んでもいいよ」鷹揚だ。わりと気のいいタイプなのかもしれない。
「コットンちゃん、俺、まったく覚えてねえんだけど、あんたと何処で会ったのかな」
「あなた、かなり酔っていたからね。でも夕べは、とってもやさしかったよ。ウフッ、ウフウフ」コットンちゃんは、私の問いには答えず、甘えたような、人懐っこい笑い方をした。そして何か思い出したように、両手で顔を覆った。細くて長いしなやかそうな指で。

年の頃は三十ばかりだろうか。物取りといった事も考えないではなかったが、何も取る物などないし、通帳だって大した額が入ってる訳でもないのだ。騙されてもいいような気分になっていた。
「俺があんたと慇懃を通じでもしたのかね」
「本当に何も覚えてないのね」
そう言いながら私の陽物を軽く握った。

コットンちゃんは、私の家に居着いてしまった。家に帰れば、コットンちゃんがいると思うと、気持ちの張りのようなものが顔を覗かせて、以前の私とはすっかり変っている事を自覚しない訳には行かなかった。

コットンちゃんの作る料理は、何が出て来ても頗る美味で、朝食のトーストに塗る自家製というマーマレードジャムは、取り分け美味だった。
「これ、とってもフルーティで、うまいね」
「いっぱい作ってあるから、たくさん食べてね」
私は、ジャムをパンに塗るだけでなく、紅茶に入れて飲んだり、クラッカーに載せて食べたりしたので、二週間ほどでジャムは無くなってしまった。
「もう無くなっちゃったよ」
「また作らなきゃね」
「俺も作るの手伝おうか」
「ありがと。でも一人で大丈夫だから」
 
このマーマレードジャムは、一体どの柑橘を使っているのか、皆目分からない。甘夏か八朔かぽんかんか。いつもあれだけ大量に作っているのに、ガスコンロが一つっきりの狭い流し台にも、ごみ箱にも、その形跡がまるで無かった。そういえば、コットンちゃんがジャムを作っているところを見た事が無い。朝、起きると出来ているといった塩梅だったからだ。

まあ、それはそれとして、コットンちゃんといつまでも同居という訳にも行かないだろう。大家さんに見つかる前に、なんとかしなければなるまい。

私が仕事に出たあと、コットンちゃんも仕事に出ているようだった。そして私の帰る前には帰っているのだから、出入りが頻繁になればなるほど、人目にはつきやすくなる。このままではまずい。灯りのついた暖かい部屋に帰る事が出来るという幸せを、なんとしても守らねば。それにコットンちゃんが来てから、部屋はいい匂いがするようになった。守るのだ。
「何、考えてるの?」
「今日の仕事の段取りだよ」誤摩化した。
「何か考え事してる表情もいいね。ウフッウフウフ」
コットンちゃんに、この笑い方をされると、私は天にも昇るような、たまらない気持ちになった。

ある深夜。ロフトの敷きっ放しの布団で目が覚めた。隣に寝ている筈のコットンちゃんの姿が見えない。下のキッチンで、何か物音がする。私は、気軽に声をかけられないような気持ちになった。ロフトの梯子へ身を逆様に乗り出して、キッチンを窺ってみると、半開きのキッチンのドアの隙間、橙色の電球の灯りの下に、コットンちゃんが何かを作っていた。可愛いと思ったその直後、何処かが変だと感じた。コットンちゃんの手首から先が無い。手首のあった部分で鍋を支えて、片方の手首のあった部分で砂糖を加えている。手首のあった部分をよく見ると、小さな触手のようなものが生えてきていて、湿り気のある光沢を放ちながら、器用にスプーンを操っている。

鍋の中身は、コットンちゃんの手首だ。コットンちゃんは自分の手首を、砂糖を加えながら煮込んでいるのだ。いい香りがしている。これは毎朝食べているジャムの香りであるし、コットンちゃんが住むようになってからの部屋の匂いでもある。あの美味しいジャムは、コットンちゃんの手首を煮込んだものだったのか。すんなりと納得した。すんなり納得出来た訳は、これが夢であるからだ。限りなく現実に近い夢。夢の世界では、なんでも納得する事が出来る。夢だ。夢を見ているのだ。

翌朝のコットンちゃんの様子は、いつもと変っていなかった。いつものジャムとトースト、コーヒー。両手もちゃんとある。やはり昨夜見た事は夢であったのだ。
「今朝のジャムは作り立てだから、美味しいでしょう」
「作り立てなんだ」
「見てたくせに」
バレていたのか。するとやはりうつつの事であったのか。こんな狭い部屋だ。気配を感じない方がおかしい。
「このジャムはコットンちゃんの……」
「そうなの。私の手首のジャムよ。手首は二時間もすれば再生してくるの」
「どういう事なんだか……」
「私はね、仏手柑の精なの」
「ですよね」冷静になろうとしたあまり、変な答え方をしてしまった。
「ウフッウフウフウフ」最早この笑い方を積極的に支持する気にはなれず、空恐ろしいような感じがした。
「今までお世話になりました」それがコットンちゃんの最後の言葉だった。その朝以来、しばらくコットンちゃんの姿を見る事は無かった。出て行ってしまったのだ。

私はいつも同じ風景ばかり見ている。ここから動く事が出来ない。言葉を発する事は出来ないが、思考する事は出来る。
ある日、公園のベンチに座って、新聞を読んでいた。読み終わって立とうとすると、立つ事が出来ない。足に根が生えてしまっていた。これは比喩なんかでは無い。実際に現実に足に根が生えてしまっていて、地にしっかりと根付いてしまっていたのだ。
数時間ののち、足元から植物と化してゆき、私は仏手柑の木になっていた。管理者によって植え替えられ、現在の場所に立っているが、移動出来たのはその時だけだ。どれだけ時が経ったのか分からない。

コットンちゃんが来た事があった。あなたとはうまく行くと思ってたのに。そう言って、彼女は立ち去った。ああ、歩きたい。歩いて彼女のあとを追いたい。痛切にそう思った。
雀や四十雀、目白などがたまに来てくれるのが、心の支えだ。これから何十年、何百年、この場所に立っているのだろうか。

仏手柑に仏手柑触れて娘かな 花尻万博 『週刊俳句』第406号


2016-02-14

〔その後のハイクふぃくしょん〕キョンさん 中嶋憲武

〔その後のハイクふぃくしょん〕
キョンさん

中嶋憲武


「一緒に住まねえか」と言われ、その気になって、今では一緒に暮らしている。こう言うと、お互い対等な間柄のようであるが、僕がキョンさんの家に転がり込んだのだ。
 
キョンさんは、二十歳ほど年長で、仲間うちでは、「キョンキョン」とか「キョン太」「キョン太郎」とか呼ばれている。そう呼ばれるのは、キョンさんが八丈島のキョンに似ているからだとか、怯臆の人であるからだとか、福建省で生れたからだとか、いろいろと聞いた。 

実のところ、どれも憶測に過ぎないのだし、キョンさんの通称の本当の謂れを誰も知らない。キョンさんは、現場でよく顔を合わせる人の一人で、工場内倉庫作業や引越し作業などで、同じ持ち場になったことが縷々あった。仕事帰りに一緒に冷や酒を飲むうちに、問わず語りに自分のことを話したのがきっかけで、キョンさんは僕に声をかけてくれた。
キョンさんの住んでいるアパートは、駅から川に沿って、十五分ほど歩いたところにある。アパートの前は、単線の走っている小高い土手で、後ろは雑木林と田畑だった。

部屋は一階の端っこの2Kだ。ドアを開けるとすぐに三畳のキッチン、トイレ、風呂場があって、奥へ向かって四畳半、六畳という間取りになっている。四畳半の磨りガラスの窓を、斜交いに外階段の影がよぎっていて、昇り降りする人の影が、部屋のなかの陰翳を微妙に動かした。

また誰か外階段を上がって行く。磨りガラス越しの人影は、輪郭を単純な形にされて、気体のように動いている。腹が減った。ここしばらく仕事が全く無く、僕の会社である「マヒナスタッフ」へ電話してみても、芳しい返事は無い。因みにキョンさんの人材派遣会社は、「株式会社助太刀」という。それで節約のために、毎日、卵かけごはんばかり食べている。青のりをふりかけてみたり、七味唐辛子をかけたりして、バリエーションを持たせてみたが、そろそろ飽きて来た。

「キョンさん、目玉焼きでも作ってみましょうか」
僕の提案が受け入れられ、目玉焼きを作って卓袱台に載せた。
「あっ、固いよ、これ。ダメだよう。チューチュー出来ないだろう」
「チューチュー?」
「黄身に口つけて、チューチュー出来ないだろう」
キョンさんは、怒っているのか困っているのか、分からないような感じで、文句を言った。なんかの映画で伊丹十三が、目玉焼きをそのように食べているのを観てからというもの、キョンさんはその食べ方に、すっかり取り憑かれてしまったらしい。

僕の焼き方に「ダメ」の烙印を押され、カイゼンを命ぜられることも無いまま、キョンさんがキッチンに立つことになった。卵を割って小皿に移し、フライパンを弱火のコンロに置くと、小皿を少し傾け、白身を僅かにこぼすと、フライパンの上に低い位置から、慎重に卵を置いた。そしてキッチンタイマーを三分にセットした。

キョンさんは、家具らしい家具など持って無くて、カラーボックスと折り畳みの卓袱台くらいしか無いのに、キッチンツールは充実している。キッチンタイマーにジューサーミキサー、中華鍋、圧力鍋、フライパン二個、雪平鍋、フードプロセッサー、ホイップクリームの絞り袋と口金など。口金は十種類くらい揃えてある。キッチンに立つ時は、腰に黒いショートエプロンをつける。

今も黒いショートエプロン姿で、目玉焼きを焼いている。僕はフライパンの上で卵を割って落としたが、キョンさんは卵を割って、いちいち小皿へ移し、水っぽい白身を捨ててから、フライパンへ静かに載せた。そのうえ、指で黄身の位置を真ん中へ来るように、修正までした。完璧だ。

六畳の部屋に卓袱台を開き、向かい合って座り、目玉焼きライスの夕餉だ。キョンさんは夜勤の仕事が入ったので、四時を過ぎたところだが、早めの食事を取ってしまう。皿の上の目玉焼きは、見た目にも全く半熟の目玉焼きだ。僕は目玉焼きには断然塩、誰がなんと言っても塩、問答無用に塩を選んでいるが、キョンさんは醤油をかけてみよと言う。些かの逡巡があったが、醤油をかけてみることにした。

醤油をかけると、醤油はつるっと目玉を滑り、忽ち分散した。こうするんだようとキョンさんは言うと、箸の先で目玉の中央をチョンチョンと突つき、その突いた穴へ醤油をすこし垂らした。キョンさんはそこへ口をつけ、おっぱいを吸うようにチューチューと吸って、顔を上げると、ああ、うめえと感に堪えないように呻いた。

僕は醤油を含んだ黄身を一口に食べた。醤油と黄身はよく合う。塩ばかりじゃなくて、たまには醤油もよいものだ。

六畳の部屋の窓から、柿の木の枝が揺れているのが見える。太い枝が次第に細くなって行き、先端が細く細くなって、しゅっと空に消え入ってしまう。どの枝も、まだ明るい夕方の空に細く細くなって消えて、暮色の濃度を上げて行くのだ。

日脚伸ぶ醤油を弾く目玉焼き 小野あらた(週刊俳句・第405号) 

2016-01-24

〔ハイクふぃくしょん〕覚 中嶋憲武

〔ハイクふぃくしょん〕


中嶋憲武
『炎環』2014年4月号より転載

ちょっと休んでくかと、伝法な口調でスナミさんは言うと、いかにも通い慣れてると云った態で、そのオレンジ色のドアを押した。オレンジ色のガラスに「純喫茶らん月」と明朝体の文字が白くプリントされている。僕はやや戸惑いを隠せぬまま、その異空間へ続いて入った。

入ると右手にレジがあり、その奥はカウンターになっている。左手に発育不良な感じのするゴムの木の鉢があり、鉢植の傍に雑誌や新聞、コミックスの入ったカラーボックス。その奥にテーブル席が四つほどある。スナミさんは、カラーボックスから無造作に週刊誌とスポーツ新聞を取ると、カウンターの中にいた店主らしき五十がらみの女性に、久し振り、元気だったなど声をかけると、小柄でショートヘアの女性は快活に軽口で応え、二人で豪快に笑う。

スナミさんが先に立って、隅の一角のソファに着くと僕もその向いに腰を下ろした。腰を下ろす時に、スナミさんの整髪料がつんと匂った。上司であるスナミさんは、五十代半ばの営業部長。飲食店から転職をして来て二か月、僕はスナミさんに付いてあちこち回っている。三十歳になってこのままではいけないと感じたと云う、よくある転職の動機だった。実のところ、何がこのままではいけないのか、分かっていないのだが。

壁に何枚も貼られてある、軽はずみで性急な調子のサイン色紙を眺めていると、「何にする」と聞かれたので、「コーヒーでいいです」と言うと、その言い方はコーヒーに失礼じゃないのと、厚い唇を歪めてスナミさんは薄く笑いつつ。厚い唇に広がった鼻、二重瞼の大きな目。誰かに似ていると思ったら、ルイ・アームストロングだ。内心、サッチと呼ぶ事に決める。

「誰に似てるか考えてるのか」

言われて、ぎくりとした。「そんな視線だったぞ」と、スナミさんは、運ばれて来たコーヒーを啜った。昔、美濃の山中には覚と云う人の心を読む妖怪が住んでいたと聞く。スナミさんは覚か。これは安直にサッチとは呼べぬ塩梅になって来た。やはり営業部長ともなると相手が何を考えているのか、何をしたいのか的確に読み取ってゆかなければ、著しい成果は難しいのだろう。そこに思いが至ると途端に不安になって来た。

スナミさんは週刊誌の袋とじを眺めていたが、やおら顔を上げると「行くか」と言った。

午後も三時を回ると、少し冷たい感じの風が吹くようになった。

「これから寒くなると、いい季節だな。浅草の酔虎か三角でふぐもいいし、神田のいせ源で鮟鱇鍋か、ぼたんで鳥すきなんてのもいいな」

スナミさんは両手をポケットに突っ込んで、やや背を丸めながらそう言った。何事に寄らずがさつで不器用な質の僕は、先刻の喫茶店の事と云い、いまのスナミさんの言葉と云い、どこか別世界の事のように思えた。スナミさんの背に僕の影が映っている。ひょろひょろと斜めに長い僕の影が。

カトレアや男二人の喫茶店  野﨑タミ子


2016-01-10

〔ハイクふぃくしょん〕限界と終局 中嶋憲武

〔ハイクふぃくしょん〕
限界と終局

中嶋憲武
『炎環』2013年6月号より転載

どれくらい経ったのだろう。仕事で近くまで来たので、懐かしくなって寄ってみたが、あの頃と同じ様子で建っている。木造モルタル造りの二階建て。破風の白いところに「あけぼの荘」と墨文字で太々と書かれてある。ブロック塀が周囲を囲い、入口は両脇が角柱になっていて、丸い門灯がそれぞれに鎮座している。辺りがうす青い闇に変じて来ると、橙色の明りがぽっと灯る。きゅるきゅると軋む引戸を開けると広めの玄関で、下駄箱へ運動靴(あの頃はスニーカーなんて言わなかった)を仕舞い、階段を上がって廊下を少し歩いたところの角の六畳間が、わたしのアジールだった。合鍵を鍵穴に差し込んで左へ数回廻して戸を引き開け、この戸は開く時、ぎゅるぎゅると神経に障るような音を立てた、部屋へ入るとすぐに流しと一口コンロがあり、右側の障子を開けると六畳の城。トイレは共同で風呂無し。わたし達はもっぱら銭湯へ行った。絵描きの彼の部屋へ、わたしは転がり込んでいた。書物、スケッチブック、イーゼル、カンヴァス、油絵の道具。そんな物が部屋を占領していて、居場所は二畳くらいのスペースしかなかったけれど、そんな事はちっとも気にならなかった。装飾品と言えば、映画雑誌から切り抜いたらしいジーナ・ロロブリジーダのモノクロ写真が画鋲で留めてあるだけ。彼は看板描きのアルバイトからまだ帰って来ていなかった。

食べる物が無くて新聞紙食ったよ。彼は言って笑った事もあった。絵が少々売れるようになっていた彼は、過去の悲惨をファルスにしてしまえる心の余裕を持っていた。毎日が不安に押し潰されそうだったはたちのわたしには、その余裕がとても羨ましく映った。わたしはストーブの上に薬缶を置いて彼の帰りを待つ。カンヴァスに彼が描き散らした様々な色彩に囲まれて、オーネット・コールマンを低く流す。読みかけのホイジンガを開く。薬缶がしゅんしゅんと白い息を吐き始める頃、彼が帰って来る。わたしのかけがえの無い時間が、そこには確かにあった。

頭蓋にオーネット・コールマンが小さく響めいていた。わたしはあけぼの荘の前に佇んでいた。よく見るとあちこち相当傷んでいる。窓ガラスが割れて、そのままになっている部屋もある。青い闇が周囲を満たしても、壊れているのか門灯の点く気配は無い。軋む戸が開いて、内側の暗闇からペルー人と思しき男が一人出て来た。胡乱な一瞥をくれて、出掛けて行った。オーネット・コールマンはだんだん大きくなって、アルト・サックスが最早半狂乱の頂点へ螺旋を伸ばして行った。あけぼの荘の壁が剥がれ出し、めきめきと罅割れたかと思うと、生木の裂ける音が轟き、ガラスが飛び散り、瓦が吹っ飛び、土煙を上げて建物は崩落した。

わたしはふと会社へ戻らなければと思った。うすら寒い銀白色の街灯が灯り、陰気なオルゴールの流れる商店街を、駅に向かって歩いて行った。

寒オリオンあけぼの荘に灯のふたつ  岸ゆうこ

2015-12-06

〔ハイクふぃくしょん〕握手 中嶋憲武

〔ハイクふぃくしょん〕
握手

中嶋憲武
『炎環』2014年5月号より転載

ユッコとケンタは二人で帰った。あいつら怪しいよとヨシヒコが呟く。この頃練習のあとは頻繁に二人で帰る。つき合ってるのかなとぼく。いつからつき合ってるんだろとエリカ。ぼくらは大学の軽音楽部内で五人から成るバンドを組んでいた。アイドルの楽曲をコピーばかりしているコピーバンドだ。おもにねぎっ娘やドロシーリトルハッピーの曲を中心にやっている。ぼくはベース、ヨシヒコはギター、エリカもギター、ユッコはキーボード、そしてケンタはドラムという編成だ。ケンタ以外の四人が、それぞれリードボーカルを取れるという素晴らしいバンドなのだ。中で一番うまいのはエリカだ。ギターストラップを長めにして、腰の辺りでチョーキングしながらシャウトするのが、ひどく様になる。一流っぽい。顔に似合わぬ太い声のところもグッと来る感じ。ベタ褒めだ。

要するに惚れてしまったのだ。

虎視眈々。告白のチャンスの時機を待っている。ぼくは度胸がない。いつも一緒にいるのに、なかなかチャンスを作れない。チャンスを作ろうとしないのかも。断られた時の事を考えると恐いという気持ちが先に立つ。臆病。優柔不断。

駅へは公園の中を通るのが近道なので、三人並んでゆっくりと歩く。そろそろアイドルもんも飽きたかな。ヨシヒコが言う。ストーンズやろーよー。すかさずエリカが言った。ぼくはビル・ワイマンのベースなら出来ない事はないと思ったが、オリジナルをやりたかった。わが軽音楽部がコピーバンドの淵叢となる事を避けたかったし、自分たちの実力を学外で試してみたかった。曲も幾つか書いていた。ストーンズいいねとヨシヒコとエリカは盛り上がっている。でもオリジナルも、とぼくが言いかけた時、すごーいとエリカが呟いた。白い小さな綿埃が大量に舞っている。その白い小さな綿埃は意志を持って動いているように見える。ユキムシだ、かわいい。エリカが言った。虫なのかよ、これ。とヨシヒコ。耳かきの先っぽ程の虫が、のろのろと動いている。かわいいねとぼくは言ってみた。かわいいでしょ。エリカがぼくに微笑む。なにかロマンティックなセリフを言ってみたかったが、思い浮かばないので黙ってエリカとユキムシを見ていた。時よ止まれと願った。

駅でエリカと別れ、ヨシヒコとぼくは帰る方向が一緒なので、改札を抜けようとすると、ヨシヒコがちょっと軽くどうだと猪口を口に運ぶ仕種をする。バイトもなかったので、駅前の居酒屋に入った。

運ばれて来た中ジョッキで乾杯をして、お通しをつまんでいると、俺もエリカの事、好きだから。ヨシヒコがぽつりと言った。背中から冷水を浴びせられた気分だった。ぼくは顔を上げてヨシヒコを見た。真っ直ぐな視線とぶつかった。臆病ではあるが、ここは退く訳には行かなかった。ぼくも好きだから。宣戦布告のつもりだった。正々堂々とな。ヨシヒコが言った。じゃ、握手。ヨシヒコは力いっぱい握って来た。ぼくもありったけの力で握り返し、微笑んだ。

綿虫はイヤホンの音漏れが好き  西川火尖

2015-11-22

〔ハイクふぃくしょん〕家族 中嶋憲武

〔ハイクふぃくしょん〕
家族

中嶋憲武
『炎環』2014年6月号より転載

家出した。とっても寒い日曜の午後だ。

「トウコちゃん、塾の時間でしょ」

母の言葉に背いて、時間になってもぐずぐずしていると、母の言葉は次第にきつくなり、いらいらとしたわたしは、塾なんて行かないと言い張り、喧嘩になった。そのまま平行線で埒が開かず、わたしは母の言葉を背に、ぷいと家を出てしまった。

リズリサのコートに、ローリーズファームのブーツ。マフラーをしゅるっと巻いて、お金はそんなに持ってない。とりあえず電車に乗って、さて。十三歳。行先未定。

わたしは、東京の外れの大きな街に母と二人で暮している。父はデトロイトに単身赴任中で、年に二回ほど帰ってくるが、母子家庭のようなものだ。母は三十七で、ジェーン・マンスフィールドか筑波久子かという体型の持ち主で、出かける時は毛皮のコートを纏う。わたしの担任は数学の先生であるが、一方で俳句の偉い先生で、三者面談の時、母を見て一句詠んだ。母のことを「毛皮夫人」などと詠むものだから、以来、陰ではみんな母を毛皮夫人と呼んでいる。

たどり着いたところは遊園地だった。小さい頃よく連れて来てもらっていたような気がする。園内をぶらぶら歩き、見覚えのある円形の白い柵へ寄る。兎がたくさん放し飼いになっていて、家族連れが二三組あり、小さな子供たちが兎を追いかけたり、抱いていたりした。

兎はすばしこいのもいれば、もっさりしているのもいる。目を上げると、四つの頃のわたしがいた。必死に兎を追っている。父と母も微笑んで、それを見ている。父も母も若い。いつまで経っても、四つのわたしは兎を捕まえられない。兎を追って小さなわたしは、わたしのすぐ近くまで来ているのに、わたしには気がつかない。父も母も笑ってこちらを見ているが、わたしには気がつかない。まるっきり他人だ。何なのだろう、これは。どういう事?

小さなわたしはやっと兎を抱き上げた。毛がふさふさと長い、汚らしいのろのろとした兎だ。父はカメラを構えている。母は小さなわたしと手をつなぎ、何か優しく問いかけている。それを見ていると涙が出て来た。

涙を拭いている間に、小さなわたしと両親は消えていた。きょろきょろと辺りを見回しても、どこにもいない。

七時頃、家に帰ると母が夕飯の支度をしていた。母がどこへ行ってたのと聞くから、わたしはエリナんところと出法楽を言った。お昼過ぎに家を出て、七時には帰っているのだから世間的には家出ではないが、わたし一個人の心情的には立派な家出だ。

母は何も言わなかったし、わたしも遊園地でのことは黙っていた。

寝る前に「新世界より」の第二楽章を聴いた。遊園地の閉園の音楽であり、中学校の下校の音楽だった。聴きながら、ベッドの中で目を閉じ、海老のように体を丸める。そして遊園地の池に、浮きながら首を丸めて眠る鳥たちを思い浮かべる。あの鳥たちと同じくらい孤独。たぶんこれからも。

閉園を告げる放送浮寝鳥  齋藤朝比古

2015-10-18

〔ハイクふぃくしょん〕マゲ 中嶋憲武

〔ハイクふぃくしょん〕
マゲ

中嶋憲武
『炎環』2013年3月号より転載

「この辺か?」
「この辺だよ」俺と新太は並んで立った。

俺は百六十センチ。新太は百八十センチ。並んで立つとR2-D2とC3POみたいだ。郊外の私鉄の小さな駅前。ちょうど夕方の帰宅どきで、改札から出てくる人、改札へ向かう人の波で、ちょっとした活気にあふれる時間帯。

俺と新太は、派遣先の物流センターへ向かうためのバスを待っていた。夜七時から朝の七時まで、コンベヤーに乗ってきた品物を自分の担当部署へ引き込む、「マゲ」と呼ばれている仕分作業をしている。夜食の時間を含む二回の休憩を挟んで十時間、ひたすらコンベヤーの流れを見続けて日当八千円。

初めて八千円を受け取った朝、新太が小声で「パーッとやろうぜ」と言った。臆病な俺は、朝イチ風俗かどっかでパーッと使っちまうのかとドギマギしたけど、新太の言うパーッととはファミレスで七百八十円の焼鮭定食を食うことだった。それ以来パーッと行こうと言われると、田んぼのなかの、やたらに駐車場がだだっ広いファミレスで焼鮭定食を食う。たまには気張って九百八十円のサイコロステーキを食う。

新太とは帰る方向が同じなので、自然、行動を共にするようになった。そのせいか仕事先でもセットで扱われ、「マゲ」の部署だってちょくちょく隣り合わせになる。

「あの野郎、いつもむっつりしてやがんな~」新太が呟く。
「誰?」と言いながら、新太の視線の先を辿ってゆくと、宝くじ売場の隣りにいつも店を出している甘栗売りの男が無愛想に突っ立っていた。
「カエサル」俺は言った。
「カエサル?なんだそりゃ」
「ジュリアス・シーザーだよ」
「ああ、シーザーか。で?」
「似てんだろ、あいつ。顔デカイけど」
「シーザーの顔って知らないもんね」

たしか高校んときの世界史の参考書に、正面向きの石膏像の写真が載っていた筈だ。その顔にクリソツだ。

彼の残した言葉はいくつかあるが、俺はとりわけ「来た、見た、勝った」って言葉が好きだ。炎熱のような勝利感がある。俺もいつかは、こんな勝利感に浸れる日が来ると、心のどこかで信じている。新太に言えば、たぶん鼻で笑われるだろう。二十五歳だし、敗北するには早すぎる。新太は勝利など、とっくの昔に諦めているか、もしくはその存在すら無いものと思っているだろう。

「なあ、十年後何やってっかな」
「マゲだろう、マゲ」

俺は炎熱のような勝利を信じる。
何の根拠があるんだと、みんな笑うだろう。でもかまうものか。

いつでも眠そうな顔をした運転手が運転するマイクロバスが、やって来て停まった。俺と新太と、そこら辺で待っていたその他数名は、護送される人のように無言でバスに乗り込んだ。

甘栗を売るカエサルに似し男  結城節子

2015-10-11

〔ハイクふぃくしょん〕靴下 中嶋憲武

〔ハイクふぃくしょん〕
靴下

中嶋憲武
『炎環』2014年2月号より転載

「そうして我々は世界に君臨するのです」いつもながら壮大な水岡先生のお話を聞きながら、窓の外を眺める。舗道にセキレイがやって来ていて、長い尾羽をパタパタ上下に振っている。めんこいこと。何のお話をしてるんだっけ。絵画論のお話だったはずだ。それがいつのまにか、スピリチュアルな方面のお話になってしまっている。クンリン。あまり日常会話では聞かれない言葉の響きに、わたしはくらくらしてしまって、すっかり冷めたコーヒーを一口ゆっくりと啜る。

娘が社会人になって、母親の努めがひと区切りついたので、まったく遠退いていた油絵をまたぽつぽつと描き出した。水岡先生にお会いしたのは、白鴎会という絵画制作のグループでだった。わたしたちは、アマチュアながらお互いを独立した画家として認めていたので、先生と呼び合った。月に二度あるコースに、たまにふらっとやって来て指導的な役割をしていたのが、水岡先生だった。水岡先生はわたしと同世代と思われ、もうすぐ六十に手が届こうかというのにとても若くみえた。面長の風貌に、モジャモジャの髪。白髪など一切ない。高い鷲鼻。みるからに芸術家だと思った。お描きになっている絵もとても個性的で斬新な抽象画で、どうしてこんな先生が白鴎会のようなグループに燻っているのだろうと疑問に思う。

わたしは水岡先生について、あちこちと出掛けるようになった。水岡先生もわたしのことを気に入ってくださったのか、たびたびお声をかけてくれて、知り合いの個展へ連れて行ってくださったり、画廊のオーナーを紹介してくださったりした。

今月は上野でル・コルビュジエをみて、鴬谷、入谷と歩いて少々くたびれたので、言問通りの裏にある小さな喫茶店でひと息入れているところだ。セキレイはもういない。お向かいの和菓子屋の黒塀に当たった強い日差の反射光をみていると、そろそろ行きますかと水岡先生。どこへ行くのかわからないけれど、はいと答えてわたしも立つ。

とぼとぼ歩いて行くと、不意に水岡先生が立ち止まり、宛ら我々は巡礼者のようですなと独りごちた。自らの芸術を求めてさまよう巡礼ですよ。例えばあそこに我々の芸術の源泉があります。ほら。といって水岡先生の指差す方をみると、築六十年は経ているだろうと思われる木造のアパートがあった。二階建てのがっしりとした造りで、木材は煤けて黒っぽい。わたしは穴蔵のようだと思った。あの窓なんかなかなかいいでしょう。靴下が一足干してあって。あれが生活です。さ、描きましょう。と水岡先生はいったかと思うと、ショルダーバッグからF4のスケッチブックを取り出し、立ったままデッサンを始めた。

夕暮のわたしたちは並んで立って、よれよれの黒い靴下の干してある窓をデッサンした。デッサンをしていると、豆柴を連れたおばあさんが通りかかり、スケッチブックを眺めていたが、つまらないもの描いているんだねえといって、行ってしまった。生暖かい風が黒靴下を僅かに揺らした。

浅草寺裏のアパート蚯蚓鳴く  市ノ瀬遥