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2016-11-06

久保田万太郎戯曲の展開 福井拓也

久保田万太郎戯曲の展開

福井拓也


初出:「春燈」(2016.9/部分転載)。転載に当たって加筆修正。2016年5月6日に実施された〈久保田万太郎研究会〉の講演録。「春燈」が年に一度開催している同研究会では、研究発表のほか役者による戯曲のリーディングが行われる。

本日は「久保田万太郎戯曲の展開」と題して、少しお話をしていきたいと思います。万太郎は自らの俳句を「「心境小説」の素」(『ゆきげがは』双雅房、昭11・8)と自注しておりますが、ここでの話は私にとっていわば「「研究論文」の素」とでもいうべきもので、論文にするにはもう少し細かく調べて色々と考えねばならないことを、〝おおざっぱ〟に考えていきたいと思います。

まず初めにみてみたいのは「暮れがた」という戯曲の、幕開けの部分のト書きの書き出しです。作家デビューの翌年、明治45年1月「スバル」に発表されたもので、ここには以後の万太郎戯曲の特徴がハッキリと表われています。
賑やかな祭の囃子が遠くゆるやかに聞える。――その遠いゆるやかな囃子の調子が更にだんだん遠くゆるやかになつて続く。音もなくしづかに幕開く。
「遠くゆるやかに聞える」「賑やかな祭の囃子」の音を背景に「三社祭の二日目の午後」の情調が――「誰も皆賑やかな花やかな心持に疲れてしまつて、何かもの足りないやうな心持」が提示されるわけです。こうした情調にもとづいて劇を展開するという手法、これは万太郎自らも述べたように、木下杢太郎の「和泉屋染物店」(「スバル」明44・3)に影響されてのものです。
田原町の生れた家にまだゐたころで、子供の時分から経験して来た祭礼の夕方のとめどない寂寥を芝居にしようとわたしは企てた。だが、その半年ほどまへにあつて木下杢太郎氏の『和泉屋染物店』が発表されなかつたならば、おそらくわたしにこの作を書く運びはつかなかつたらう。〔……〕〝和泉屋染物店〟の作者によつて、人物の性格、運命、機会等を劇的に発展させるよりも、むしろ、科、表情、情調等によつてそれの暗示せらるべきだといふ方法を提示され、心から〝なるほど〟と感じ入つたのである。(『久保田万太郎全集』第六巻、好学社、昭23・8)
ですから、万太郎は劇的葛藤ですとか、そのカタルシスというものは「祭礼の夕方のとめどない寂寥」によって「暗指」されるものにとどめ、舞台のうえには「祭」の情調を定着させることに専心したわけです。この「暮れがた」について川崎明は、
こゝ(引用者注―「暮れがた」)では一見して、全然無意味な、詰まらぬことだらけの日常的、風俗的なエピソードを描きながら、主人公が感じたり、悩んだりなどする時代の風俗と生活の典型的状況を示しているのである。それ故、『和泉屋染物店』に見られるような、社会意識に目覚め、社会悪に昂然と挑戦して行くような青年の性格描写、強調された特殊なせりふなどは見当らない。〔……〕『和泉屋染物店』には社会への関心が既にうかがわれるのに反し、万太郎の作品にはむしろ環境や風土と結びついた人間生活に対する関心が強く、その点俳諧的であるといゝ得る。(「久保田万太郎における戯曲の方法―初期の作品について―」(「文芸研究/日本文芸研究会」昭35・3)
と述べています。「和泉屋染物店」という戯曲は当時の鉱山問題ですとか、大逆事件ですとかを匂わした作で、それに比べて「暮れがた」は「俳諧的」であるというのですね。「三社祭」という舞台の設定からも、そうした志向は読みとれるでしょうが、ここではそうした作劇法が万太郎戯曲にいくつかの問題をもたらすという点こそが、重要なように思われます。

まずは対話によって終わりが導かれないという制約が生じてきます。「暮れがた」の結末をみてみましょう。
おりゑ (思ひ出したやうに)ああ先刻方降り出しさうだつたが、どうしたらう。善
次郎持ち直しやあしないか。
半造 (門口から外を見る。)莫迦にしてゐやあがる。すつかり霽れて星が出てゐる。
おりゑ おや、さうかい。
善次郎 そんなもんだ。
居合はす人々がふと賑やかに笑ふ。(おせんもまた何時の間にか見世へ帰つて来てゐる。)末吉は提灯をつける。囃子の音。――門口の外はもう全く暗くなつてゐる。(幕)
「暮れがた」において、始終言及されるのが天気です。「なんだか嫌に暗くなつて来たんだね」「雨が降つちやあ御難でご座いますからなあ」「さうでございます。今の雨は陰気でくさくさしてしまひます」などと、「暮れがた」全編を通して人物たちは雨が降ることを恐れます。しかし最後になって、あにはからんや、雨が降るどころか星が出るわけです。

これは、一見楽観的な結末といえます。「何時か一度はきつと、またいい時が来ますよ」と、おりゑは落魄して、土地から離れてしまった庄太郎という人物を慰めていたのですが、その言葉を裏付けるかのように「すつかり霽れて星」が出たのだと解釈することができるわけです。

しかし同時に、この結末はアンビヴァレントなものであります。それは次の嘉介の台詞がこの結末に響いているからです。
いえ是ならどうにか今夜位は持つかも知れません。だけど三社様はきつと一日は降らなきやあ承知しないんだから困ります。いつでしたかな。二日ともまるつきり潰れてしまつて十九日に神輿が廻つた事がありましたが。
嘉介のいう「二日ともまるつきり潰れてしまつて十九日に神輿が廻つた」のは「一昨々年」のこと。おりゑが「この四五年といふものは山車はおろかお揃ひだつてまんそくに出来や致しません」と述べていることから知られるように、丁度このころを境に「祭」は「さびれて」来てしまったと、劇中で話題にされています。とすれば「きつと一日は降らなきやあ承知しない」「三社祭」にもかかわらず結末において雨の降らないということは、「祭」のまさに「さびれて」しまったこと、昔日の栄華はもはや戻りはしないことを示すのだと、解釈する余地も生れてしまうわけです。このとき「昔」にすがりつく庄太郎の思いは空しいものとなります。

「暮れがた」のこの両義的な結末は、ある特定の情調をつくりだすことに専心した万太郎の作劇法の限界といえるものといえます。舞台上に直接「人物の性格、運命、機会等を劇的に発展させる」ことをしないために、その必然的な帰結としての終わりを導くことができないわけです。だから以後の万太郎戯曲は、いわゆるデウス・エクス・マーキナ、雑な言い方をすればとってつけたような終わり方が目立つようになります。つまり、劇における対話それ自体が結末を導くことはないわけです。たとえば「雪」(「太陽」明45・5)や「凶」(「中央公論」大3・8)など、そうした観点から読んでみますと、また違ったおもしろさがあるかと存じます。

おそらくこうした制約がもう一つの問題を招きます(もちろん理由はそれだけではなく、当時の劇壇のあり方というものも考えなければならないのですが)。それは上演されない、というものです。すなわちレーゼ・ドラマとして理解されてしまうわけです。たとえば「暮れがた」は明治45年4月、土曜劇場によって公演されたのですが、小宮豊隆にこんな劇評があります。
「暮れがた」の作者は劇作家と云ふよりも会話の詩人である、ある種の階級が有する言葉に対して驚くべき敏感を持つた作者が其天賚を恣にして会話の上に漂よふ気分を覘つて書いた脚本である。役者は江戸詞が流暢に使へなくてはならないと同時に、其の江戸詞が有する色調を自在に味はい分け味はゝせ分ける耳と口と心持とがなければならない。然かもかくして出来上がつた全体が苦心の割に淡い感じの世界であるとすれば、役者自身自己の労に酬いられたと云ふ心持が嘸経験され難いことであらう。(「読売新聞」明45・4・26)*原文は「劇作家」に「ドラマテイスト」、「会話の詩人」に「ポエツト、オブ、ダイアログ」、「色調」に「ニユアンス」とルビ――引用者注
この小宮の劇評はずいぶんと万太郎に甘いものではありますが、「会話の上に漂よふ気分を覘つて書いた脚本」が「淡い感じの世界」をつくりあげるというだけでは、あえて舞台にあげずとも読めばよいのだといった理解が、「会話の詩人」という評価の背後に潜んでいるかと存じます。ほかに戯曲評として、これは「雪」についてのものですが、

取り立てゝ云ふほどの舞台を捉へて来たのでは無いが、しんみりとした情調が万遍なく行き亘つて、筋が少しも無理がなく運ばれて行く、雪の降らうとする寂しい物悲しい気分を、巧みに反照して行つたのも好い、平凡な事件だけに、人生の一角を宛らに見る感じはするが、然し脚本よりは寧ろ小説になるべき質のものだ。(時評記者「最近文壇(四月中旬より五月中旬まで)の記録」(「文章世界」明45・6))

なんてのがあります。「脚本よりは寧ろ小説になるべき質のものだ」とは、なかなか手痛い批評ですね。

ここにみられるジャンルの混淆は、後に述べていきますようにその後の万太郎の創作をつらぬく大問題の一つですが、明治末という万太郎デビュー当時の文壇というものは、戯曲というものが雑誌の創作欄に顔を連ね始めた時期で、改めて戯曲と小説とは、あるいは戯曲と劇とはどのような差異をもつものか、ということが意識されるようになってきた時代であったということができます。万太郎の盟友である水上瀧太郎の戯曲「嵐」(「スバル」明44・10)に対して次のような評が付されたことは示唆的なのではないでしょうか。
我々は所謂「見る劇」に於て何の感興も起らない劇を見せられる以上、「読む劇」に於て感銘の深いものを与へられる事によつて満足を買はねばならぬ記者は此劇を小説を読む心持で読んだ。(「十月の小説と戯曲」(「三田文学」明44・11))
さて、こうした作劇法に「雨空」(「人間」大9・6)においては大きな変化がみられることになります。本来であれば、どうして次に述べるような表現上の屈折が万太郎にもたらされることになったのか、という点がもっとも興味深いものでありまた検討しなければならないものですが、今回はそこについては飛ばしてしまいます。この「雨空」における屈折というのは、以前より指摘されてきたもので、先にも名を上げました川崎明は次のように述べています。
『暮れがた』から、再出発を図った『雨空』に至る一幕物が、個々の劇的なエピソードでなく、生活の流れを舞台上に描き尽くそうと志向したものであることは、次のことで一層明らかになる。即ち『雪』や『宵の空』においては、未だその結末が急テンポに人生の一断面を覗かせる劇的エピソードに走っていたのが、『雨空』に至ると、劇的に何ら意味づけられ、特に選び出された印象的なエピソードというものは何ら表われていないということである。この『雨空』は、それ以前の戯曲に見られた余計なものはすつかり捨て去り、主要人物の周辺に基本行動を集中し、行動の展開に関与するのに必要な程度に、日常的な会話を綴つた戯曲である。それで人物の内的世界の描写に一段と極端な注意が払われている。(前掲)
「再出発を図った」というのは、何にもとづいた言葉であるか明らかではありませんが、「雨空」における屈折を的確にとらえたものでありましょう。ただし「『雨空』に至ると、劇的に何ら意味づけられ、特に選び出された印象的なエピソードというものは何ら表われていない」というのはあまり賛成できませんが……この点については追々考察していきましょう。

同時代においても「雨空」における屈折は確認されたようです。万太郎自身が「『雨空』のあとに」という文章で、次のように述べています。
自分にすると、いつもとそれほど違つたつもりはないのだつたが、でも、読んだ人たちはわたしが従来の境地から一歩ふみ出したかのものゝやうにいつて呉れた。同時に、わたしのものとして、悪くいろけのあるものだと方々で冷かされた。(「人間」大10・1)
「悪くいろけのある」とは、後年の万太郎戯曲も知っている現代の読者にはなかなか理解しがたいものですが、万太郎戯曲を全集にそって読み進めるのであれば、うなずけるものです。「自分にすると、いつもとそれほど違つたつもりはないのだつたが」というのははたして本音か、あるいは韜晦か……作者自身意図せず新たな何かを達成するというのは、文学の世界で別段めずらしくもないことですから、余り気にせず進めていきましょう。
おさき。 母親(登場せず)
おきく。 お末の姉。(すでに他家へ縁付きたるもの。――二十四五)
お 末。 おきくの妹。(二十二三)
幸 三。 指物職人。(二十七八)
長 平。 浅草の芝居に出てゐる古い書生役者(四十四五)
使の男。
これが「雨空」の登場人物です。「暮れがた」にしても「凶」にしても、誰が主人公ということもなく、多数の人物が対話をくり広げる群像劇とでもいうべきものでしたから、ここにすでに大きな変化が看取されます。「それ以前の戯曲に見られた余計なものはすつかり捨て去り」云々という川崎の見解は、まずこうした点からも賛同できるわけです。

幸三はお末の姉であるおきくと想いを寄せ合う仲でしたが、家の都合でおきくは他所へ縁づきます。お末も縁談がまとまり「明々後日」には嫁入り、幸三はなぜだか東京を去り上方へ行くことを決めています。物語が展開するのは次の場面から。
お 末。幸さん。
幸 三。え。
お 末。(間)かんにんして下さいな。(急に泣き崩れる)
幸 三。どうしたんだ。――えゝ。――どうしたんだ。(お末のそばへ寄る)
お 末。あたしねぇ、幸さん。――あたし。――あたしが今度。――今度、どうして、
急に、お嫁になんか行くことになつたのか幸さんに分りますか。
幸 三。何をいつてるんだな。
お 末。あたしねぇ。――あたし。――あたし姉さんがうらやましい。
幸 三(無言)
お 末。幸さんは、まだ、姉さんのことを忘れないでせう。
幸 三。何をいつてるんだな。――そんな莫迦なことがあるものか。
お末はおきくに嫁がれたあとの幸三を見ているうちに、彼に想いを寄せるようになったのです。しかしお末はその想いを隠します――「妹のやうに――真実に妹のやうに思つてゝ呉れるのに、そんな、――そんな間違つたことを考へて、莫迦な奴だと嗤はれたら。――わらはれるなら、まだようござんす。そんな奴ならもう構はない。――もしかさうでもいはれたら。――あたし、もう、死んだつて間に合ひませんわ」。思いがけないお末の告白に対して幸三は、彼女の存在がおきくの嫁いだ後の彼の生きるよすがとなっていたこと、彼女の縁談をもって東京を離れようと決意したことを告げます。そこに中途で呼び出された長平が戻ってきます。彼は彼で旅に出ることとなり、東京を離れることになってしまいました。幸三と長平が飲みに行こうとすると――ここがとても好いシーンです。
お 末。幸さん。(呼ぶ)
幸 三。(わざと何のこともないやうに)何だ、末ちやん。(お末のはうをみる)
          間。――雨の降る音強く聞えはじめる。(幕)
この終わりかたは、従来の万太郎戯曲とは大きく異なるものです。とはいえ、彼らの対話がこの地点へ彼らを導いたのではありません。彼らの行く末は対話を通じて何ら変えられることはありませんでしたし、お末の最後の呼びかけも「わざと何のこともないやうに」いなされて、終わるわけです。しかし、それは二人の対話が先行して初めて意味をもつものでした。「何だ、末ちゃん」という幸三の返答は、対話を通じて二人の間に決定的な何かがあったにもかかわらず、「何のこともないやう」になされるからこそ、そして事実「何のことも」なかったように終わってしまうからこそ、感慨深いものとなるわけです。そうした意味では、彼らの対話は結末の情感に大きな意味をもつものです。対話が劇性を構築しているといえるのではないでしょうか。

こうした万太郎の劇構造について、これは「雨空」を評したわけではありませんが、堂本正樹が「雪なれや万太郎」(「三田文学」昭42・6)というエッセイにおいて見事な指摘をしています。
(引用者注―「ふりだした雪」(「文芸春秋」昭11・4)を評して)歌舞伎座での新派五十年記念興行に、花柳章太郎のおすみで上演された時、観客は「息を呑んでいた」(演芸画報)と誌されている。しかしそれは、対話による緊張ではなく、互いに終ってしまった人生を持った人間同志の、その確認のむごさが、芝居を盛り上げたのであろう。言葉は総て一方通行であって、結び合うという事がない。〔……〕柳太郎が何故おすみと別れたのかは、全く書かれていない。おすみが何故柳太郎と復縁しないのかも、同じである。只おすみは、ふしあわせな女であり、無表情に、その不幸を耐えてゐる。
「終ってしまった人生を持った人間同志の、その確認のむごさ」――これは「雨空」あるいは「ふりだした雪」のみならず、万太郎文学全般に当てはまるものといえるでしょう。お好みの万太郎俳句を想起すれば、頷けるものも多いのではないでしょうか。

こうして、先の二つの問題を万太郎独自の方法で解決したといえます。事実以後の彼の劇作法は「雨空」の変奏として理解することができるものです。そして「大寺学校」(「女性」昭2・1、2、4、5)が築地小劇場で初演され好評を博し、万太郎戯曲の演劇性は確認されることになるわけです。これでめでたしめでたしと幕引きできればよいところですが、なかなかそうもいかないわけでして、今度は小説が書けなくなるという問題を引き込んでしまいます……。

※本稿は「春燈」(平28・9)に掲載の講演録の前半部を改稿したものです。続きは「春燈」を参照いただければ、これ幸いです。

2015-08-09

時計と言葉とそれらがほんとであるということ 『久保田万太郎句集』の一句 福田若之


時計と言葉とそれらがほんとであるということ
久保田万太郎句集』の一句

福田若之


時計屋の時計春の夜どれがほんと  久保田万太郎

あるものは壁に掛けられ、あるものは立てられ、あるものはショーケースに飾られながら、時計屋の時計は、それぞれにばらばらの時を刻んでいる。春の夜である。どれが「ほんと」なのだろうか。



だが、そもそも、その問いでよかったのだろうか。時計屋の時計は、どれかが「ほんと」であるのだろうか。



もちろん、様々な時計がありうる。振り子時計、ゼンマイ式時計、デジタル時計……砂時計や日時計や水時計などのことはいまはおいておこう。共通していることは、それらが決して時間そのものを提示しているのではないということだ。時計を使うとき、人は時間を目の当たりにしているのではない。時計は時間を間接的に表す記号にすぎないのだ。



では、それらの記号が「ほんと」であるというのはどういうことだろうか。たとえば、今、あるデジタル時計が2015年8月8日の午後8時を示しているとしよう。それが「ほんと」かどうかは、どのようにして確かめられるだろうか。おそらくあなたはこう返すだろう。正しいことが分かっている時計と比べてみればいい、と。だが、それなら、正しいことが分かっている時計とは、いったいどんな時計だろう。



正しいことが分かっている時計とは、一般に、正しいことが分かっている時計に合わせられた時計である。だが、それだけでは、われわれは限りなく遡らなければならないことになってしまうだろう。もちろん、実際にはそうではなく、この遡行には終わりがある。標準時である。



しかし、標準時とは、その決定について、そもそも極めて恣意的なものではなかったか。標準時は、それを正しいと決めたから正しいのであって、それ以上の何ものでもない。要するに、ある時計が「ほんと」であるとみなされるかどうかは、結局のところ、標準時の決め方次第ということだ。時間を知らせる道具としての時計の正しさとは、そのようなものに過ぎない。正しい時計と狂った時計があるのではない。時計の帝国主義、あるいは時計のファシズムがあるのだ。時計と植民地主義のかかわりはおそらく実質的なものだろう。



時計屋の時計のどれが「ほんと」であるかを問うとき、句の語り手は、それらのうちのどれかが「ほんと」であると信じている。時計が時間を指し示すように思われるのは実際にはある約束事によってのことに過ぎないが、このとき、彼はたしかにその約束事を暗黙の前提として受け入れ、たしかにそれに縛られているのである。しかし、今が春の夜であると確かに感じているにもかかわらず、数ある時計のどれが「ほんと」か彼には分からないということが、それ自体、時計の正しさについての規定が恣意的なものに過ぎないことを示唆してもいる。感じられる春の夜という時間と正しい時刻やそれを指し示す「ほんと」の時計とのあいだには、結局のところ恣意的な結びつきしかない。この句においては、問いが暗黙の前提としている正しさの基準が、その問い自体の成り立ちによって揺さぶられているのである。



ところで、言葉と事物の関係は時計と時間の関係に似ている。言葉にしても時計にしても、道具としての記号は、それによっては本来提示できないものを提示するかのようにふるまう。誰も言葉で事物それ自体を提示することなどできないのに、人は、あたかもそれができるかのようにしてそれらの言葉を受け渡す。このとき、人は、言葉と事物を結びつける一定の約束事を前提としている。そして、その限りで、言葉は、ちょうど時計が標準時に基づいて正しいか狂っているかを判定されるのと同様に、あらかじめ構成された歴史的で辞書的な体系に基づいてその選択の妥当性を確認される[i]



たとえば、ここに、いくつかの線の組み合わせとして描かれた「春の夜」という文様が見いだせる。これが言葉として何かしらを表しているかのようにふるまうのは、まずもって日本語の規定に従ってのことだ。万太郎は、この言葉を言葉として用いる限りにおいて、日本語の約束事に縛られているのだ。



ただし、ここで例として挙げた「春の夜」という言葉は、ただの言葉ではない。これは季語である。このことは注意を要する。ある言葉が、ただの言葉としてではなく、とりわけ季語として読まれるときには、それが単に時計に似ていると述べるだけでは不充分であるように思われる。通常、季語として読まれる言葉は春夏秋冬あるいは新年のいずれかを約束事に従って指し示し、また、そのことによって時間を間接的に表す。われわれもよく知っているように、これこそ季語の定義にほかならない。そして、季語のこの性質は、時計が時刻を指し示し、そのことで時間を間接的に表すのと同じである。したがって、季語は時計に似ているのではない。季語とは時計なのである。仮にその時計が止まってしまっているのだとしても、そうなのだ。



そして、「春の夜」という言葉もまた時計だというのであれば、「ほんと」なのか分からないのは、もはや、時計屋の時計ばかりではないということになるだろう。時計屋の時計、「春の夜」、どれが「ほんと」なのだろうか。時計屋の時計と、「春の夜」という言葉と、どれがほんとか、もう分からないのである。この読みにおいては、句中の「春の夜」はそれが本来指し示すはずだったものをもはや指し示さなくなる。もはや、「春の夜」は時計そのものではない。それは時計の写しでしかないのだ。事態は複雑である。おそらく、このような読みのもとでも、句の語り手は、単に「春の夜」という言葉を意識しているだけでなく、そう呼ばれる時間を現に過ごしていると考えざるをえない。そうでなければ、ここで意識にのぼる言葉が「春の夜」である必然性はもはやないだろう。だが、この句の語り手は、それにもかかわらず、この「春の夜」という言葉が通常この言葉によって意味される時間帯を指し示すということがはたして「ほんと」なのかどうかということを、改めて問いかけているのである。



「春の夜」という言葉がほとんど「春の夜」という言葉それ自体をのみ表わしているこのとき、われわれは、それをもはや言葉ではないただの文様と見なしたほうがよいのかもしれない。だが、いずれにしても、そこにその文様、すなわち「春の夜」という文様、あるいは「時計屋の時計春の夜どれがほんと」という文様があることだけは、たしかである。



そもそも、書かれた言葉はただの文様としてもそこにあることができたはずのものだ。それゆえ、書かれた言葉は文様として鑑賞されうるだろう。なにより、「時計屋の時計春の夜どれがほんと」は、そのような鑑賞にもきっと堪えうるだろう。この句の「春の夜」という一部分についてわれわれが今しがた確認したことは、そうしたことであろう。



ところで、時計もまた、それ自体としての鑑賞に堪えうるものではなかったか。とりわけ、時計屋においてはそうではなかっただろうか。時計屋に行ったとき、どの時計を買うか、われわれはそれが示している時刻を見て決めるのではなく、時計そのものを見て決めるのではなかったか。置き時計を買うのに、その針が規則正しく動くこと、時報がちゃんと必要な数だけ鳴ることはたしかに大事なことには違いない。しかし、それ以上に、あなたは、それがものとして自分の家に置いておきたいものかどうか、たとえば、それが部屋に合うかどうかといったことを、考えるはずだ。そのとき、時計はいくらか美的に鑑賞されている。時計には、仮にそれが正しい時刻を知らせていなくとも、ものとしての美しさがある。だからこそ、時計屋の時計は、ばらばらの時刻を示していても、ゼンマイを巻かれないまま止まっていても、かまわないのではなかったか。



そして、このとき、見方を変えればどの時計も「ほんと」なのである。そこに、現に、ものとして、ある。したがって、やはり言葉は時計に似ているし、季語とは時計なのである。言葉をそれとして眺めるなら、その意味がどれほど嘘や偽りに満ち溢れていたとしても、どれも、現に、そこに、ある。少なくとも、言葉をそれとして眺めるということは、それが、そこに、そのようにしてあると信じることのはずだ。



時計や言葉はそれが指し示すとされているものを真に指し示すことは決してないが、それ自体としては疑いようもなく存在している。すなわち、時計や言葉はどれかが「ほんと」なのではなく、どれも「ほんと」ではないと同時に、どれも「ほんと」なのである。



「時計屋の時計春の夜どれがほんと」と書いたとき、万太郎はおそらく、時計屋の時計が時間を表しているのだと信じていただろうし、ましてや、一句がその意味によって「ほんと」の世界そのものを表すということを疑わなかっただろう。だが、それでも、先に述べたように、それが書かれた言葉であるかぎり、この句はそれそのものでしかないような文様としても眺めることができるのだ。



時計屋には時計がたくさんあって、それが売られている。ところで、季語が時計であるならば、季語を含んだ俳句は時計を内蔵した言葉である。そして、季語にのみ着目するなら、季語を含んだ俳句は全体がひとつの時計とも見なしうる(人々がしばしば携帯電話をあたかも最新式の懐中時計であるかのように使うことを思い起こしてほしい)。時計が並べ置かれている時計屋と俳句が並べ置かれている句集には、どこか似たところがあるように思われてくる。句集には、季語を含んだ無数の句が、止まった時計のようにして、それぞれに別の時間を指し示すかのようにして、並べられている。だが、実際のところ、それらはどれも「ほんと」ではなく、そしてまた同時に、どれも「ほんと」なのである。



あらゆる時計、あらゆる言葉が「ほんと」であるということは、すなわち、それらが過去の証であるということだ。どんなに新しい言葉にも、どんなに新しい時計にも、過去がある。古い句集の焼けた紙の上に見つけられる一句は、われわれに時間を感じさせずにはおかない。言葉や時計がここにこうしてあるという事実は、いつでも過去に支えられている。言葉や時計を記号として見るとき、われわれはそのことをどうしても忘れがちになる。反復された記号はわれわれの習慣に刻み付けられており、あまりにも自然に理解できるので、われわれの意識を記号が記号として今ここに見いだされるまでの歴史的な過程から反らしてしまう。過去は、言葉や時計をただそれとして見るときにこそ、強く思い起こされるのである。






[i] このように時計と言語を類比的に考えるとき、人は「標準時」という言葉から「標準語」という言葉を連想するかもしれない。しかし、ここでは、時計と標準時の関係が単に言葉と標準語の関係に似ていると主張したいのではない。語と意味の関係があらかじめ決定されている限りにおいて、あらゆる語は何らかの仕方で標準化された語の用法に従属しているように思われる。