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2019-09-22

【週俳8月の俳句を読む】どこか別の場所 仲田陽子

【週俳8月の俳句を読む】
どこか別の場所

仲田陽子


ストローを行ったり来たりソーダ水   菅原はなめ

この場合自分が飲んでいるストローではなくて、テーブルを挟んで座る女性の口に吸い上げられるストローであってほしい。そしてこのソーダ水はメロンソーダフロートであってほしいし、絶対に缶詰の赤いさくらんぼが添えられていてほしい。

視覚的な鮮やかさと若干のエロスを飽きず見ていたくなる。


夏の果パイロンひとつ置いてあり   菅原はなめ

何処に置いてあるとは書いてない。例えば駐車場に赤いパイロンがぽつんと置いてあって、ふと自分自身と重なったのだ。夏の果とはいろんなやり残したことを思い出させる。


ひぐらしの声しあはせに耳小骨   倉田有希

ひぐらしも耳小骨も私は見たことがない。でも、ひぐらしの鳴き声を知っているし、耳小骨があることで音が聞こえることを知っている。

ひぐらしはノスタルジーを誘う季語であるから「しあはせに」と書かれていることでちょっとした不幸を滲ませる。日々の小さな幸せをより大切に思えたり、当たり前と思いがちな傲慢さに気づかされる。感謝したくなる一句である。


百舌鳥鳴いて鳴いて単焦点レンズ   倉田有希

カメラを趣味にしている友人によれば野鳥の撮影は難しいのだそう。なので数打ちゃ当たる方式でたくさん撮るのだとか。百舌鳥の鳴き声にカメラを構え、百舌鳥が必ず止まる枝にじっと焦点を当てて狙っている姿が浮かんでくる。

「鳴いて鳴いて」とリフレインさせる技巧が単焦点レンズへの視点のこだわりを感じさせる。


真白き豪雨宵山の四条   玉貴らら

京都市民にとって祇園祭の宵山に降る雨は梅雨明け間近を告げる雨であるということは周知のことであり、少し大袈裟にいえば平安時代から続く祭の決まりごとなのである。

四条通りは午後六時から歩行者天国となり祭客で賑わう。そこへ雷を伴う激しい雨が降る。建物や地下道に避難する人、傘をさして見物を続ける人、それまでいた群衆をすべて消し祇園囃子をも消してしまう豪雨。

作者はそんな光景を思い浮かべながら毎年恒例のこの雨を四条通りではないどこか別の場所から眺めているような気がする。


弾痕は維新の名残蔦青葉   玉貴らら

京都御所の蛤御門の弾痕だろうか。令和の時代になっても維新の名残はあちらこちらで見つけることができる。そして蔦青葉、何かに絡みついて伸びる植物にどこか不気味さを覚える。蔦が覆い隠したとしても消えない傷跡が残っているのである。


裁判所左右対称アイスティー
   玉貴らら

いかにも平等で公平な判決を下してくれそうな裁判所ではないか。アイスティーの清涼感もほどよく好感。


菅原はなめ しなやかぱちん 10句 ≫読む
642 2019811
倉田有希 単焦点レンズ 10句 ≫読む
玉貴らら 断層 10句 ≫読む

2017-11-26

【週俳10月の俳句を読む】小さな時限爆弾 仲田陽子

【週俳10月の俳句を読む】
小さな時限爆弾

仲田陽子


『柿木村』  牟礼 鯨

タイトルの『柿木村』を検索すると島根県に実在する村だった。名前からしてのどか。作品から自然豊かな過疎の村だろうということが伝わってくる。

くましでの実や雲を塗る建築家  牟礼 鯨

村に似つかわしくない現代的な窓の大きな建物に雲が映っているのだろう。雲を塗るという「塗る」が楽しい。くましでの実のずんぐりとした形を思い浮かべると、退屈な時間の流れにのってきた雲が窓を塗りつぶしてゆくようだ。

稲掛や婚活パーティーの轍
  牟礼 鯨

会社員をしていた頃、同僚に農業組合主催の婚活パーティーに「一緒に参加してみない?」と誘われたことがあった。
農業体験をして気に入った人と会話してカップル成立したら、相手の連絡先と新鮮な野菜とお米がおみやげというものだった。
句を読んで、連絡先をゲットしたと自慢していた同僚を思い出し、轍の景色へ繋がった。私は稲掛をすることも轍を見ることもなかったけれど。


『拡大鏡』  山岸由佳

心象を物に語らせ、詩的な俳句を表現している。柔らかい言葉の使い方が魅力的。

カンナから土砂降りの橋みえてゐる  山岸由佳

カンナの花は赤や黄の原色で、背が高く目立つ花だけど可憐さとはほど遠い。このカンナはどこに咲いているのだろうか。川から近いところで土砂降りの中を突っ立っているのだろうか、それとも雨に濡れない別の場所か。どこから見えているのかによって句の印象は違う。ふと、土砂降りの橋を渡ってくる男を待っている女の姿が浮かんできた。

指で書く文字木犀の香るなか  山岸由佳

指で文字を書く時って、砂に書くとき、結露した窓に書くとき、空に向かって書き順を教えてあげるとき、何にせよ悪口や呪いの言葉は書かないはずだ。
木犀の甘ったるい香りに包まれながら書くのだからもっとスィートなシュチュエーションでなくてはならない。書いた文字を当てるゲームだったり、「好き」な気持ちを伝えたり、人の背中に書く文字のなんとくすぐったいことか。


『月夜』

月の句が10句。『虚』と『実』十通りのお月様で月光浴をしたような気分。

白き尾を抱えて眠る小望月  上森敦代

白き尾を抱えているのは猫だろうか、いや、この白き尾は作者に生えている尾なのだろう。日常では忘れていられるものを満ちきらないとはいえ十分に明かるい小望月が尾の存在を照らしだす。尾を抱え猫のように丸くなって眠るしかないのだ。この句に共感した人にも尾が生えているだろう。

襖絵の虎が水飲む十三夜  上森敦代

とんちの一休さんでお馴染みの“屏風の虎”のように暴れたりせず、この虎は月の輝く夜に襖絵をこっそり脱け出して水を飲みに行く。虎が水を飲むたびに水面が揺れる。池の水面には眩い十三夜が揺らぐ。こんな妄想を掻き立ててくれる虎の襖絵は御所か二条城か洛中の襖絵であってほしい。


『百分の一』  藤井なお子

季語を微妙にずらして詠むことがあると思う。微妙の意味も分量も人それぞれ違うと思うが、百分の一という言葉の1%に気づく感覚は俳人にとってとても大切だ。

鴨川の澄んで何となく平凡
  藤井なおこ

鴨川の流れを見つめながら、自分の平凡さを見つめている。川の水が澄もうが澄もまいが、鴨川の川岸にはカップルが等間隔に座る。
白河法皇が天下三不如意「賀茂河(鴨川)の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話は、裏を返せばそれ以外のものは思い通りにならない事はないという逆接。
それと同じで、自分の非凡さへの賛辞とも取れなくもない。

鬱憤のいつの間にやら木の実降る  藤井なおこ

日頃の鬱憤は花が咲いて実になって、いよいよ降りだしてしまった。作者はもう何年もずっと心の中に鬱憤という木の実を降らし続けてている。この木の実は小さな時限爆弾かもしれないので、決して拾ったりしてはいけない。そっとしておきましょう。



牟礼 鯨 柿木村 10句 ≫読む
山岸由佳 拡大鏡 10句 ≫読む
上森敦代 月夜 10句 ≫読む
藤井なお子 百分の一 10句 ≫読む

2014-05-25

仲田陽子 四分三十三秒 10句

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週刊俳句 第370号 2014-5-25
仲田陽子 四分三十三秒
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10句作品テキスト 仲田陽子 四分三十三秒

仲田陽子 四分三十三秒

初夏の固くなりたる白絵具
はんざきがスペアの鍵を預かりぬ
籐椅子に月役の身を深々と
舟遊び眠りに落ちるまで揺れて
くちなわを解いておれば湿りだし
舌先に触れているなり凌霄花
黒百合のふところ深く眠りおり
蚯蚓鳴く四分三十三秒
触角の長い順から虫籠に
醒めぎわに紛れ込みたる鉦叩