「十二音技法が俳句を滅ぼす」への言及記事
遠藤治「十二音技法が俳句を滅ぼす」(『週刊俳句』第3号)に言及いただきましたブログ記事(編集部確認範囲)を順不同で挙げさせていただきます。
ハイクノミライ
『週刊俳句』第3号 遠藤治さんの「十二音技法が俳句を滅ぼす」という記事について(1)~(6)
http://blog.goo.ne.jp/haiku-no-mirai/e/61f84703c85c9d450611fb82807b1bcb
http://blog.goo.ne.jp/haiku-no-mirai/e/3bf3b90f6ca5d4102f486ba191dc787a
http://blog.goo.ne.jp/haiku-no-mirai/e/c69908cf7027dbbc819ad4463e74472c
http://blog.goo.ne.jp/haiku-no-mirai/e/174b0e3b9fa62fd308289b42de30792a
http://blog.goo.ne.jp/haiku-no-mirai/e/4079681c7fcebe719827806b87c71135
http://blog.goo.ne.jp/haiku-no-mirai/e/c803088b919f4f528e645400dd39d922
俳句といふ事故
「十二音技法」が俳句を滅ぼす ……について
http://tecchi1980.blog80.fc2.com/blog-entry-66.html
十二音技法、続き
http://tecchi1980.blog80.fc2.com/blog-entry-67.html
俳句はじめました
「十二音技法」が俳句を滅ぼす!?
http://papahaiku.exblog.jp/5388228/
葉月のスキズキ
薔薇の会
http://93825277.at.webry.info/200705/article_20.html
友亮の庭
週刊俳句第三号 「俳句十二音技法」が俳句を滅ぼすについて
http://yusukenoniwa.blog81.fc2.com/blog-entry-89.html
かわうそ亭
俳句の技法
http://kawausotei.cocolog-nifty.com/easy/2007/05/post_5df7.html
http://kawausotei.cocolog-nifty.com/easy/2007/05/post_9218.html
一年三百六十五句
週刊俳句 第3号より
http://blog.kansai.com/miyakazu/190
無門日記
基本は「ひとり」
http://blog.livedoor.jp/mumon1/archives/50585941.html
顎のはずれた鯨
「ブログ週間俳句」
http://moon.ap.teacup.com/senruu/925.html
俳句的日常
12+5問題(1)~(6)
http://tenki00.exblog.jp/5402228/
http://tenki00.exblog.jp/5412338/
http://tenki00.exblog.jp/5418425/
http://tenki00.exblog.jp/5432893/
http://tenki00.exblog.jp/5470040/
http://tenki00.exblog.jp/5483659/
2007-05-27
附録 「十二音技法が俳句を滅ぼす」への言及記事
2007-05-13
「十二音技法」が俳句を滅ぼす 遠藤治
『週刊俳句』のトップページはこちら
「十二音技法」が俳句を滅ぼす ……遠藤 治
最近は漫画『のだめカンタービレ』の影響などもあり、表層的には人気復活著しい西洋クラシック音楽であるが、二十世紀のある時期、十二音技法という作曲手法の影響で、大衆から見向きされなくなってしまったことがある。
十二音技法とは、1オクターブの中にある半音で区切られた十二音すべてを均等に扱うという、理論先行型の手法である。長調や短調を超えた無調の音響構造は、いわゆる「現代音楽」として発展すればするほど大衆の嗜好から大きく乖離していった。その間に録音再生技術が発達したりポピュラー音楽が代わりに大きく幅をきかせたりするのであるが、いずれにしても「十二音技法が西洋クラシック音楽に壊滅的ダメージを与えた」とする言説は大きくはずれてはいない。
さて、俳句の話である。俳句の世界においても、「十二音技法」と名づけて差し支えない手法が、とりわけ初心者指導の現場において、まことしやかに流通している。ひとことでいうと、「五七五のうち十二音だけ考えてあとは適当に季語をあしらう」という作り方である。
例えば、まず十二音分だけ考えて「象の名前のカレー店」というフレーズが思い浮かんだら、それに季語「降る雪や」をあしらうことによって「降る雪や象の名前のカレー店」という一句にするようなやり方である。先に得た十二音と季語は一見関係ないものがよしとされる。また、先にできた十二音のリズムによっては、下五に季語を置く場合もある。「私は最初の異性」というフレーズができたなら、下五に季語「梅の花」をあしらうことにより、「私は最初の異性梅の花」という一句ができる。こんなふうに、まず十二音を作り、それができたら歳時記をぱらぱらめくり適当な季語をくっつけて一句をものにするというのが、今話題にしたい俳句における「十二音技法」である。
かつて芭蕉は、ふたりの門弟に別々のことを言った。「ほ句は汝が如く二つ三つ取集めする物にあらず。こがねを打のべたる如く成べし」および「ほ句は物を合すれば出来せり。其能取合するを上手といひ、悪敷を下手といふ」である。のちの言葉でいうなら前者は一句一章、後者は二句一章に関するものである。
俳句における「十二音技法」は、後者の作句法(取り合わせ=二句一章)を理論的根拠としている。そして、一生かかって体得できるかできないかという「切れ」の概念を、ごく初歩の段階で、それと意識することなしに自動的に句に取り込めるという利点がある。合理的といえば、これほど合理的なシステムはない。
では、「十二音技法」で俳句を始めた人は、その後どうなるのか。刷り込みというならこれほどの刷り込みはない。そうでない方法で書かれた句がぜんぜん読めなくなるのだ。なにしろ、一句一章を完全に切り捨てることによって完結しているシステムなのだから。かくして次のような弊害が生じることになる。
1) 一句一章の句を作ることも鑑賞することもできない。
2) 季語を見れば、遠いとか近いとか言いたがる(季語のことを事実から切り離されたゲームとしか考えていない)。
3) 季語以外で切れることなど、思いもよらない。
4) 無季俳句など、まったく考えられない。
もし初心者指導に「十二音技法」を導入するなら、少なくとも指導者はその功罪を自覚し、適切な時期にそれがすべてではないことを再教育するべきなのだ。それを怠るならば、増殖する「十二音技法」原理主義者によって、現代俳句はやがて現代音楽のように不毛の地となるだろう。
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【テスト】 以下から一句を選び鑑賞してみよう(答案および感想はコメント欄にどうぞ)。
をりとりてはらりとおもきすゝきかな 飯田蛇笏
鰯雲人に告ぐべきことならず 加藤楸邨
中年や遠くみのれる夜の桃 西東三鬼
たましひのまはりの山の蒼さかな 三橋敏雄
もし歯が立たなかったり、季語を変えてみたくなったりされた方は、「十二音技法」に蝕まれている兆候があります。
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Posted by wh at 0:45 27 comments