時評のようなもの6
ふたたび通俗性について
上田信治
前回の時評につづけて、通俗性について、もうすこし書いておきたい。
>> 時評のようなもの5「それは通俗性の問題ではないか?」
今回は、いくつかの平成俳句の代表作について、自分の考える通俗性とはどういうものかを示しつつ、論じるつもりだ。
※前記事のツイッター上での反響については、まとめを作った。リンクを置いておくので参照されたい(まとめの合間のコメントは、すべて上田によるもの)。
>> togetterまとめ「俳句とジェンダーと通俗性」(「俳句」2019年6月号・若手特集と神野紗希時評、「週刊俳句」6/1号・上田信治時評をめぐって)
0. 通俗批判はむずかしい
ところで、芥川龍之介と谷崎潤一郎が、小説の純粋性と大衆性をめぐって、論争を繰り広げたことがあった。
火をつけたのは芥川で、まず、雑誌「新潮」(昭2・2月号)の合評会において、
「僕は谷崎氏の作品に就て言をはさみたいが、重大問題なんだが、谷崎君のを読んで何時も此頃痛切に感ずるし、僕も昔書いた『藪の中』なんかに就ても感ずるのだが話の筋と云うものが芸術的なものかどうかと云う問題、純芸術的なものかどうかと言うことが、非常に疑問だと思う」
と発言する。
それに対し、谷崎が「饒舌録(感想)」という「改造」誌上の連載(昭2・3月号)で、
「芥川君の説に依ると、私は何か奇抜な筋と云うことに囚われ過ぎる、変てこなもの、奇想天外的なもの、大向うをアッと云わせるようなものばかりを書きたがる。それがよくない。小説はそう云うものではない。筋の面白さに芸術的価値はない。と、大体そんな趣旨かと思う。しかし私は不幸にして意見を異にするものである」
「筋の面白さを除外するのは、小説と云う形式が持つ特権を捨ててしまうのである」
「それから「俗人にも分る筋の面白さ」と云う言葉もあるが、小説は多数の読者を相手とする以上、それで一向差支ない。芸術的価値さえ変らなければ、俗人に分らないものよりは分るものの方がいい。妥協的気分で云うのでない限り、通俗を軽蔑するなと云う久米君の説(文芸春秋二月号)に私は賛成だ」
「沙翁でもゲーテでもトルストイでも、飛び抜けて偉大なもので大衆文芸ならざるはない」
と、応ずる。
それに対し芥川は「文芸的な、余りに文芸的な──併せて谷崎潤一郎氏に答う──」(『改造』昭2・4月号)と題する文章で、冒頭から
僕は「「話」のない小説を最上のものとは思っていない」けれど(ということを三回繰り返し書いたあと)、しかし、そういう小説は、
「若し「純粋な」と云う点から見れば、──通俗的興味のないと云う点から見れば、最も純粋な小説である」
と書く。さらに、小説に「筋がある」ことは問題ではない「通俗的材料」を使うことも問題ではない、と念入りに予防線を張ったあと、
「僕が僕自身を鞭つと共に谷崎潤一郎氏をも鞭ちたいのは(…)その材料を生かす為の詩的精神の如何である。或は又詩的精神の深浅である(…)僕が谷崎潤一郎氏に望みたいものは畢竟唯この問題だけである」
と書いた。
こたえて谷崎は、次号の「饒舌録」で(芥川の「詩的精神」うんぬんには触れずに)
「ぜんたい小説に限らず有らゆる芸術に「何でなければならぬ」と云う規則を設けるのは一番悪いことである。芸術は一個の生きものである。人間が進歩発達すると同時に芸術も進歩発達する。予め「どうでなければならぬ」と云う規矩準縄を作ったところで、なかなかそれに当て篏まるように行くものでない」
「「話」のある小説ない小説もつまりはそれで、実際人を動かすような立派なものが出て来ればいいも悪いもあったものでない」
と書く。
引用はすべて『文芸的な、余りに文芸的な/饒舌録 ほか 芥川vs.谷崎論争』(講談社学芸文庫)より
どう見ても、芥川の分が悪い。谷崎の反論は「通俗何が悪い」論として、今日これからでもじゅうぶんに通用する内容だが、芥川は、腰が引けまくっていて、当初の「話の筋が芸術的かどうか」という立論を、個人的な嗜好の問題にして、放棄してしまっている。
これは、谷崎のケンカの強さ、芥川の弱さというよりも(それもあるけれど)かくも「通俗」の否定はむずかしい、ということなのだ。
●
通俗性を作品から除去すべきものとすることは、負け筋である。
その理由を「通俗的に」説明するなら、どだい芸術というのは人を丸ごと感動させるもので、その丸ごとには、とうぜん通俗につうじる心性が含まれているからだ。
あるいは、もうすこしましな言い方をするなら、芸術というものの成立の基盤に人間の持つ共感の能力がある以上、共感や移入を引き起こすことは芸術の基本的構成要素の一つであり、それを排することは、単なる趣味嗜好、あるいは方法の選択にすぎない、と言えるからだ。
しかし、自分は、表現行為には個々人の趣味にとどまらないものがある、と思っているから、そのことを問題にする。
1. 死ぬときは箸置くやうに草の花
というわけで、言っておいたほうがいいと思うから言うけれど、小川軽舟の〈死ぬときは箸置くやうに草の花〉は、やはり通俗的だと思う。
「死ぬときは箸置くやうに」というフレーズが、誰か一個人のつつましい祈りであるなら、それを否定することはできない。
しかし、この一句を、真率な思いの結晶物として受け取るには、「草の花」が飲み込みにくい。
この季語は、ちょうどよすぎる。ちょうどよすぎる季語は、書き手が、既にその願いの外に出てしまっていることを疑わせる。そのため、せっかくの泣けるフレーズが「ウケ狙い」に見えてくる(配合という方法を否定しているのではなく「草の花」は、手つきが見えすぎて、内容にふさわしくないという話だ)。
そもそも「死ぬときは箸置くやうに」は、ごく常識的な道徳の範囲内から生まれたフレーズで、書きようとしてはコピーライティングに近い。
もちろん俳句には、言っていることの普通さとは別項の価値を生じるということがあって、たとえば夏目漱石の〈菫程な小さき人に生れたし〉には、それがある。
「生まれたかった」ではなく「生まれたし(たい)」という時制の狂った(つまり今の自分をすべて抹消して、という)言明の突き上げるような唐突さゆえに、その真実性を疑い得ない。
逆に「草の花」は「つつましさ」「平凡な人生の美しさ」という道徳的価値を迎えに行っている。生成し流動すべき意味を既存の価値にピン留めするという予定調和をやっている一点で、この句は、大向こう受けの句であると思われる。
※小川については「5.草間時彦と小川軽舟」で、もうすこし書く。
2.共感性・物語性と、通俗との関係
俳句に、物語性や共感性があることが、イコール通俗かといえば、そんなことはない。
久保田万太郎の〈湯豆腐やいのちのはてのうすあかり〉や、福田若之の〈ヒヤシンスしあわせがどうしても要る〉を、通俗だと切って捨てるほどの純粋主義には自分も与しない。
「いのちのはてのうすあかり」は、たしかに俗謡の範疇のフレーズで、誰にでも理解できる内容と、誰にでも理解できる美しさをもっている。しかし、この湯豆腐の美しさはこの句一回限りで二度とないものだ。いのちのはての「うすあかり」が豆腐の白の奧に見出されるようであるのは、「はて」という言葉のはたらきによるもので、この言葉が、ただじっと見つめるということをしている主人公を、浮かび上がらせている。その全体を冬の暗夜がとりまいていることも見逃せない。繰り返すけれど、ほんとうにこの湯豆腐は美しい。
「しあわせがどうしても要る」は、一見、四畳半フォークにもありそうな平凡な感慨に見えるけれど、この「要る」は「しあわせ」に対応する動詞として、違和感がありすぎる。しあわせは「ほしい」とか「願う」という動詞をとることが多いけれど、「要る」という、まるで当座の生活費が必要だというような、ねじを回すためにねじ回しが必要だというような、対象の局所的な不存在を前提とした言い方が、この人の「今」がひどく切迫しているということを、浮き彫りにしている。しあわせをねじ回しのような具体物として必要としてしまうこの人は、今、ここにない「しあわせ」というものが、まったくイメージできていないのだ。しかも、この「ヒヤシンス」部屋で水栽培でまだ咲いていないんじゃないか。もちろん、外で花壇で咲いている花を前に切迫している人を想像することも可能だけれど、それは異様すぎるだろう。つまり、この人は、当面の安全の確保された明るい室内で、心理的に極度に切迫している。この切実さは、そう簡単に見出せるものではない。
どちらの句も、歌謡曲的な共感性をもつフレーズをベースに(一次的「内容」に)しているけれど、俳句として立ち上がるときに、ベタな内容の底を抜くようにして、それを、誰にでも分かり、かつ、とんでもなく深いという高みに引き上げ、新たな価値を生み出している(このようなことは、「読める」人には一目瞭然だろうし、「読めない」人には百万言を費やしても伝わらないのかもしれないが)。
ドラマチックな出来事や背景、感情に対する共感といった、俳句の外でも「値段」のつくような「内容」を持つ俳句がある。しかし、もし、その句が、その一次的「内容」を超える何かをつけ加えることに失敗していたら、その句は「内容」に(あるいは俳句外の価値に)寄りかかっている。
そういう句を、自分は通俗的だと感じる。
谷崎潤一郎は芥川への反論に「芸術的価値さえ変らなければ、俗人に分らないものよりは分るものの方がいい」と書いた。
しかし、俗人に分かるような俳句が、俳句ならではの価値を持つためには、十七音のなかでもう一勝負しなければならない(それは、映画やマンガと異なる、俳句というレンジの狭い方法特有のことだ)。成功すれば大名句になり、失敗すれば駄句になる。
つまり、通俗的俳句は、芸術的に「オッズが高い」。
3.「分かる」俳句のあやうさ
自分は、以前、津川絵理子の〈おとうとのやうな夫居る草雲雀〉について、
「分かる」句は、俳句がすでに形式の一部としている「分からなさ」によって、その詩的価値を支えられている。たとえば、津川の「おとうとの」のような句は、そこに提示されている日常的価値が俳句形式の謎を圧倒してしまっているために、詩的価値に達していないように、自分には見える」
と書いた(>> 週刊俳句545号「時評のようなもの2「分からない」俳句 田島健一『ただならぬぽ』を中心に」)。
では、この句がまったくの通俗かというと、そうは言い切れないのは「草雲雀」に微量の謎があるからで、朝鈴という異名がある朝早くかぼそい声で鳴く虫を、この二人は部屋で? それとも早朝の草原のようなところで聞いているのだろうか? あるいは……と考えていくと、そこに淡い性的連想が働いて、面白くなってくる。大木あまりの〈寒月下あにいもうとのやうに寝て〉が響かせているものもあると思う。
ただ、あらかじめ佳きものとしてある草雲雀の声の繊細さが、この二人の(あるいは夫の人の)兪になっているという、よく「分かる」付き筋も見えてしまい、そう読むと、ずいぶんベタな句に見える(それは、内容を惚気と取るかどうかによるだろう)。
通俗性という意味で、あやうい句だと、言えるかもしれない。
●
同じ記事で、自分は、片山由美子と田島健一の「分かる/分からない」をテーマとした対談(「オルガン」10号・)について書くと予告したまま、果たしていなかった。
それに先立つ2017年の「スピカ」の連載エッセイで、片山は、本人も登場する「ku+」の俳壇地図について、肯定的に面白がってくれていて、自身については、
「私は「分からないとダメ派」に分類されている。そんなことをどこで言ったのかしらと思ったが、当っている。俳壇最右翼(この図では左端だけれど)と思われているのが嬉しい。気の毒に櫂未知子さんも私と同類にされている。その下に西村和子さんの名前は少し小さく書かれている。西村さんに見せてあげたら、「〈クプラス〉ってなあに?」と言ったけれど面白がっていた。その下に「品格派」というのを見つけて、「あら、私はこっちヨ」とも」
「私のような人間はむしろ「俳句原理主義者」と呼ぶ気もするのだが(イスラム原理派というのはそういうことでしょ?)取り敢えず「分からないとダメ派」として、その勢力拡大に力を尽くすのが今後も私の使命だと思っている。死守ということになるかもしれないが」
と書いている。
http://spica819.main.jp/tsukuru-katayamayumiko/page/3
いい仕事をしたなあ、と思うわけだけれどw
片山はここで、俳句は「分からないとダメ」という思想について自認があり、主義、イスラム原理派、勢力拡大、死守、といったワードによって、それがいわば思想的な闘争であるという意識があることを(冗談交じりながらに)示している。
●
件の「オルガン」の対談から、「分かる/分からない」をめぐる、片山の発言を拾ってみる。
片山 私は言葉っていうのは伝わらないと意味がないと思っているの。
田島 わかります。伝わらないと意味がないのが言葉だっていうのはたぶん片山さんの立場で、私は伝えようとしているものが言葉なんじゃないかという立場なんです。
片山 でも、それは、じゃ、言いさえすればいいってことになっちゃうじゃない。
田島 そうです。
……
片山 でも、受け取ってもらえることを期待して発するじゃない。作品というのは。
……
片山 たとえばね、この句はわかりすぎて面白くないっていう切り捨て方をする人いるでしょ。そのわかるっていうのはたとえば単語の意味ひとつひとつがわかっているだけであって、俳句で組み合わされたときに、その有季定型の人たちが狙っている言葉の並びっていうものを、本当に理解しているかどうか、っていうのはまた別だと思うの(…)つまり、わかりすぎて面白くないって切り捨て方をする人たちは本当に我々がやろうとしたことをわかってないんじゃないかなって思って。
……
片山 ただ、基本的に俳句って五七五音しかないわけじゃないですか。あとは理屈は言えない。実はこうだったんですよっていうのは言えないわけじゃないですか(だから)五七五で意味のわからない句っていうのは作品とはいえない(…)句会でもよくね、ダメとかわからないとか言うと、実はね、こうだったの、って必ず言う人がいるわけね、俳句はアリバイ証明じゃないんですって私言うんです。五七五で言えてないものはダメなんですよ。
……
片山 俳句ってもちろん散文化しちゃったら面白くないんだけど、ある程度、意味を求めている。「スピカ」の二〇一七年六月の「つくる」の田島さんの句では〈見えすぎる揚羽は還る樹を知らない〉というのはわかるけれども、〈野生の金魚ひこうきたてものぜんぶ墓〉、これはもうわかんないということなのよね。
……
片山 とにかく、その海鼠の句(〈階段がなくて海鼠の日暮かな 橋間石〉のこと)が私はわからないわけ。みんな、良い句だ良い句だって言っていて、いろんな人が書いているんだけど、ここが良いっていうふうに説明されて納得したことがないの。どういうふううに納得したらいいの?「海岸の階段のあるべきところに階段がなくて……」とか説明してくれた人がいたけど、私の言語感覚では「階段」というのは屋内のことであって、海岸にあるのは階段じゃなくて石段でしょ、と思ってしまう(…)もう文脈としてわからない。
田島 ああ、文脈がね。それは散文的に読んでるってことですか。
片山 そうよ。
田島 それは散文としては確かにわからない。
片山 「無くて」っていうのは、どういうこと。やっぱりそれは、田島さんのなんかこう思い浮かんだ言葉を並べたっていうのと同じかなって。
( )カッコ内の省略と補足は上田による。
なるべく省略せずにピックアップしたのだけれど、質・量ともにこれで全てというくらいの発言しかなく、片山が「分かる/分からない」というイシューについて、多くを考えているわけではないことをうかがわせる。
どうもこの人には、人のことをいちいち矮小化して納得しようとするところがあって(というか、この対談では全くそれに終始している)、有季定型の句を「分かりすぎる」という人の読解力を疑い「分からない」句を書く作家を、句会であとづけの説明をする未熟な書き手と同列に語る。無邪気なのかもしれないが、考えの違う人に対してずいぶん敬意がない、という印象を受けた。
なにより、自分は、片山が〈階段がなくて海鼠の日暮かな〉を分からない、と言ってのけたことに、少なからずショックを受けた。
閒石のこの句は、虚子や石鼎の名品に匹敵する大名句のひとつであって、片山さんどころか鷹羽狩行のどの句の価値とも引き替えにできないと思っていたからだ。
『橋閒石全句集』(沖積舎)「栞」から引く。
私の好きな句はたくさんあるが、やはり〈階段がなくて海鼠の日暮かな〉にとどめをさす。ここにある云い様のない寂寥感にだまって耐えていられるさまが悲しくつらい。(桂信子)
私にとって閒石といえばこの句(…)階段とは二つの空間を繋ぐもの、それも平面にある空間ではなく、上下にある空間を繋いで、行き来の叶わない二つの平面を立体化するものである(…)「階段が無い」と作者の言うとおり、この句の構造には「階段」に相当する脈略がない。「階段が無くて」と「海鼠の日暮かな」という二つのフレーズには行き来するべき意味的な手立てがないのである。(…)不思議さの原因は他にもある。「階段が無くて」の「て」の助詞の軽さ、さりげなさである。作者はこの句が、「て」でクレバスのように深く切れることを十分に承知していながら、「て」の後の切れをなるべく目立たなくしているように思われる。(…)これらのすべてに私は何度でも翻弄され、騙される。(正木ゆう子)
いや、片山が、この句を理解しないことも、現代俳句の成果の多大な部分を欠落させた俳句観をもっていることも、その人の自由であり、他人が口を出すことではない。
しかし、彼女は、音楽の高等教育を受けていて、二十世紀の芸術の純粋志向と抽象性については、じゅうぶん過ぎるほど知識があるはずなのだ。
にもかかわらず、その時代思潮の影響下に生まれた抽象表現(橋閒石は、西脇順三郎、北園克衛、瀧口修造らと同世代人だ)を「文脈としてわからない」で切り捨ててしまうその態度は、ひとことでいえば、バーバリズム「野蛮」というものだろう。
俳句の伝統は、すでにそれらの抽象表現を含んで先へ進んでいるのだから、その歴史を、よく分からないまま切り捨てることは、蛮族のふるまいである。
繰り返すが、片山本人の俳句観がそのようなものであることには、なんの問題もない。ただ、彼女が、現在に到る俳句史の半分の部分を理解できないのだとしたら、彼女は俳句全体を語ってはいけない人だ、ということになるまいか。
●
通俗の話であった。
俳句を「分かる」ように書くことを規範化すれば、それは、通俗化に道をひらくことになる。
創作は、その人の自我とか意識のような「分かっている」領域によってなされるのではなく、むしろ、その人が意識しようとしてもできないし、分かろうとしても分かりえない、潜在的次元の活動によってなされるものだからだ。
「分からなくならないように」書かれるものは、必ず 人を「分かっている」部分において動かすように書き始められる。結果として生まれる「分からなくない」俳句が、小説のような場面や感情を書いて事足れりとするなら、それは通俗である。言葉やイメージの操作によって、なるほどと思わせて、それだけならば、通俗である。
ただ、片山の代表句〈まだもののかたちに雪の積もりをり〉については、主知的でウラも表もないけれど、通俗であるとは感じない。まだ → もの → かたち → 雪と、じわりじわりと進行していくところが、いかにも雪の積もるようすで、言葉が形態模写のように働くという、写生句に稀に見られる高度な楽しみがある。いっしゅんの視覚像のうえに、その前と後の半日ほどの時間が、折り込まれているという、心の深さがある。
だから(三度繰り返すが)作家が自身の作品において「分かる」ことだけを書いて「分からなさ」を排除することには、何の問題もない。作品には、勝手に深く書けてしまうことがあるものだからだ。
ただ、もし片山が俳句について何かを語るのであれば、同時代の俳句が通俗に堕することへのおそれを持つべきだと思う。
4.結社について、そして、通俗のなにが悪いか
人は、低きに流れる。
というか、人はだいたい、高さを目指す時期と低さに流れる時期の、両方を持つ。
それは個人も集団も同じことで、だから、人が、人生において、集団で高みをめざす何年かを経験できたとすれば、それは本当に幸福なことだ。スポーツでも、研究でも、仕事でもそうだ。
日本の短詩形は歴史的に集団性が強く、自分が書いているのか集団が書いているのか分からないようなところがある。だから、まさに、結社はそういう幸福な時代を送る「ために」あるものだし、今がまさにそうだと見える結社のあることも、知っている。
自分は、前回の時評において
「しかし、その作品(*) は全体に「通俗性」が濃く、ありていに言ってしまえば、それは結社の問題なのではないか」
と書いた。(*) 「俳句」2019/6号の若手特集の作品
結社推薦によって45句を発表していた若手が(全員ではないが)ずいぶん通俗的で、自分が知る、ここに推薦されていない20代30代の作家にはそういう印象を持つことがなかったので、これは、その作者と作品を良しとして推薦した結社の、内情の反映だろうと思ったからだ。
推薦した結社と編集部を責めるべきなので、いちいち作品を批判することはしない。
同記事には
「俳句における通俗性の問題は(他のすべてのイシューと同じく)、いかなるコミュニティを宛先として書くか、という問題に帰する」
「結社で書いている新しい人に言いたいのだけれど、そのコミュニティの多数派がよろこぶものを書くことからすこし離れて、あなたと同じように新しい人たちを宛先として、考えてもいいんじゃないだろうか」
とも書いた。
通俗的なものを受け入れてしまうコミュニティの期待があなたの背後にあるのではないか、さらに言えば、結社の多くが、すでに老いて、低さに流れる時期にあることこそが問題なんじゃないか。そういうことを、結社で書いている人は、自分に問うてみてくれないか、と思ったのだ。
けっきょくは、結社と総合誌と協会からなるいわゆる俳壇が、いま、通俗への抵抗を維持できていない(そこにもまた老いの問題がある)ことが問題なのだろう。
しかし、人間、自分の所属集団を批判されると自分のこと以上に腹を立てるもので、大方の人を怒らせて、自分は損をしただけwという気もするのだけれど、それはまあいい。
人がすることの動機を、政治だなんだとしか見られない小人たちに、なにか口をきくチャンスを与えてしまったようだけれど、それもまあいい。
●
前記事に書いたように、自分は「通俗であること、大衆的であることが、俳句にとって、必ずマイナスではない」と考えている。
それで、誰かが感動した、救われたという経験の価値を否定する気は毛頭ないし、ある一句が通俗的な内容を扱うことが、その句の価値を低くするとはまったく思わない。
じゃあ通俗のなにが悪い、と問われたら、俳句全体のシリアスさが減るから、と答える。
シリアスさと言っても〈一瞬にしてみな遺品雲の峰 櫂未知子〉のようなマジメさとは違う。あの句は〈万緑や死は一弾を以て足る 上田五千石〉とよく似ていて、ひじょうに通俗的だと思うのだけれど、櫂のこの句や、小川のあの句について、否定的な意見を見たことがない。
一句単位、作家単位の問題ではなく、ある集団の俳句「全体」、ある時代の俳句「全体」のシリアスさ(の量)というものがある。
表現行為というものは、シリアスさが減ると「気晴らし」に近づき、増えると「宗教」に近づく。神がいなくて、空位の高さだけがある宗教だ。
ここで使うシリアスさの定義は「高さへの志向」とでもしておこうか。
宗教にも、シリアス寄りなそれがあり、一方に、通俗寄りの現世利益中心の宗教があるけれど、俳句も、宗教同様、シリアスになったり、通俗的になったりする。
民衆の現世利益を求める姿にこそ、宗教の原点があるのだし、通俗に感動する純粋な心を低く見るのはよくない、というようなことを言う人がいるかもしれない。けれど、何度でも繰り返すが(気がつくと芥川と同じことをしてしているが)、自分は、個々の作品や作家の価値を〈シリアス-通俗〉あるいは〈高踏-通俗〉の尺度で、計ろうとしているのではない。
作家は、自身にとっての通俗性とシリアスさの最適なバランスを、勝手に選ぶだろう。
通俗性とシリアスさを100対100で両立することは、とんでもなくオッズの高い道だけれど、その道を行く人のことは尊敬する(鈴木しづ子は、すばらしいし、北大路翼はそういう作家だと信じている)。
ある時代のある集団がどれだけシリアスでありえたか、は、生産性の問題である。
通俗性が勝った時代に、俳諧・俳句が良くなったことはない(その時代が良かったか悪かったかは、後世に残った作家と作品の数でわかる)。
芭蕉も子規も虚子もシリアスな作家だった。低佪をおそれない虚子も「月並」と「小主観」を嫌うことは一貫していた。
自分は、俳句の庶民性や現実に取材するアクチュアリティあるいは諧謔や遊戯性を、軽視しない。自分の書くものについては、現代性と冗談を失わないようにと、それだけは気をつけているつもりだけれど、同時に、俳句「全体」が通俗にかたむき、シリアスさを失うことを、おそれている。
5.草間時彦と小川軽舟
書くべきと思ったことは書き終えたので、すこし気楽に書く。
前回の時評に、ツイッターでの反応をいただき、その多くは神野紗希さんの時評に対するものだったけれど、ハッとしたのは、堀田季何さんの、このツイートだった。
http://twitter.com/vienna_cat55/status/1135372969146896384
#週刊俳句の時評、「子にもらふならば芋煮てくるる嫁」(小川軽舟)を神野紗希さんはジェンダー、評者の上田信治さんは通俗性の問題として捉えているけど、こういう性別役割分業は前世紀的な通俗性に含まれているのでは。軽舟さんの句の魅力でもある通俗性に含まれる魅力的でないジェンダーの問題。
自分は、この句から、コミュニティの「本音」にウケにいっている作家の姿勢を感じて、それを通俗の問題であると考えたのだけれど、ハッとしたというのは「軽舟さんの句の魅力でもある通俗性」という言葉だ。
そうか、魅力ねえ……軽舟句にあらわれる庶民的な生活感は一貫したもので、たしかにそれは作家性ではある。
そういえば、と思い出したのが、アンソロジー『超新撰21』(2010)に掲載された、関悦史による小川軽舟小論だ。
どこへも解き放たれることのない、解き放つべき出口もない或る魂を身に引き受け、虚無や諦観を帯びつつも真理は平静を保ったまま無限の精進に持ちこたえ続けるとき、その寂しさを優しく包み込むというのでもなく季語がそこにふと寄り添う。
蝸牛やごはん残さず人殺めず
(…)
軽舟句においては、驚異的なものは忘我の陶然ではなく究極の疲労の如き密着と虚脱を強いる世界率としてその内界に張りついている。
(…)
こぼさずに水運びゆく春の暮
死ぬときは箸置くやうに草の花
この端正な虚無と緊迫、乱れのないという物狂いを型が支持する。軽舟句が今後乱れを含み込み、拡充と寛解へと向けて移ろいだす時が来るのかどうか今のところ見定めがたい。
(「型に依る醒めた物狂い」関悦史)
つまり関は、小川を、チェスタトン的な「行きすぎた正気という狂気」を生きる主体とみなし、その端正さ、乱れのなさのすべてが、疲労と物狂いの表現なのだという読みの転倒(自分にとってはそうだ)を提示しているのだ。
それを受けて、同書巻末の合評座談会において、筑紫磐井は、
筑紫 (…)強いて似ている作家がいるとしたら草間時彦。あの人は非常に居住まいの正しい句を作ったけれど、後半生はかなり自由で、かつ自分の思いがもろに出たり、裏からそっと出たり、ほのかに出たり、じつに巧みに作っていく人だったんです。小川さんの目指す先があるとしたら、その世界じゃないかと思います。俳句の自由というのはああいう方向にあるんで、そちらへ行くのならばまだ型は型としていろいろ展開のしようはあるんじゃないでしょうか。
と発言している。
その二つを読んで、軽舟句について、考え直されるものがあった。物狂いと自由か、と。
●
草間時彦は〈冬薔薇や賞与劣りし一詩人〉〈甚平や一誌持もたねば仰がれず〉という、自分にとって「嫌」のかたまりのような句で知られた人だけれど、こういうベタベタの本音を、わざと、嫌がらせのように出してくる人だと思えば、かえって面白くなってくるのではないか。
足もとはもうまつくらや秋の暮 草間時彦
顔入れて顔ずたずたや青芒
色慾もいまは大切柚子の花
こだはらず妻はふとりぬシクラメン
おじんにはおじんの流儀花茗荷
うーん、やっぱり嫌だなw
この人は、どういう勝算があったかは知らないが、通俗への開き直りをやっていたんだと思う。物狂いといえば、この人こそ、そうかもしれないが……。
●
平凡な言葉かがやくはこべかな 『手帖』小川軽舟
雪景色女を岸と思ひをり 『呼鈴』
道ばたは道をはげまし立葵
めしべは実にをしべは夢に冬茨
このような句が通俗的だという、自分の評価は変わらない。しかし、じつは、小川の句集に多くあるのは、次のような句だったりする。
電球の切れてゆふやみ南瓜煮ゆ 『呼鈴』
水飴の気泡のぼらず笹子鳴く
たんぽぽやまばたきのなき死後の景
息かけてのばす靴墨西行忌
冬枯に降りパラシュートうちかぶる
この疲労感と端正さ、諧謔味、そして先にあげた四句のような通俗性を、ひとつに引き受ける実存があるのだとすれば。
それは、グチっぽい落語家のような主体であろうか。
ポーカーフェースで、生活感のあるマクラが得意。姿が良くて、古典が上手い。 端正すぎて、ちょっとこのひとオカシイんじゃないかという、凄みもある。
そういえば、小川は、出たばかりの「鷹」2019/7月号の編集後記で〈子にもらふならば芋煮てくるる嫁〉が「俳句」6月号で神野紗希の批判を受けたことについて、こう書いている。
作者としては、「今どきそんな娘いるわけないだろ」とツッコミを期待したユーモアのつもりだったので、「そうか、やっぱり芋煮てほしいのか」と真に受け取られると当惑する。しかし、政治家の失言の大半も受けを狙って社会的な配慮を忘れた結果ではなかったかと反省も頭をもたげる。社会的な配慮は文学の表現の首を絞めかねない。しかし、文学が人を傷つけることは本意ではない。境界線は時代とともに変わるのだろう。
じつに行き届いたコメントだけれど、やっぱり、ウケを狙っていたんだ、ということが感慨深い。
ますます、通俗性もアナクロも、この人が苦笑いとともに繰り出すネタなのかもしれない、と思わせるではないか(それでは、まるで麒麟さんなのだけれどw)。
自分は、以前、髙柳克弘、神野紗希、西村麒麟の3人は、作中のキャラ設定込みで作品になっている、ということを言ったことがある。
小川が、俳句内にキャラクターを立てるタイプの書き手であるとしたら、「死ぬときは」や「平凡な」のような句の真実性の薄さについては、もともとアバターの言っていることなので、あまり気にならず、他の句がこれまで以上に面白く思えてくる。そういう読みが可能かもしれない。
昼めしのあとのあんぱん都鳥 『呼鈴』
春愁や猫になりたきトースター
そして、ちょうどというか何というか、小川の第五句集『朝晩』の発売が予告されているのだった。
>> ふらんす堂オンラインショップ 小川軽舟句集『朝晩』
●
2019-06-30
時評のようなもの6 ふたたび通俗性について
Posted by wh at 0:40 0 comments
2019-06-02
時評のようなもの5 それは通俗性の問題ではないか? 上田信治
時評のようなもの5
それは通俗性の問題ではないか?
上田信治
「俳句」2019年6月号を読んで、俳句と通俗性ということを考えた。
それは、神野紗希による連載時評の6回目と、「大特集「U(アンダー)39作家競詠 推薦!令和の新鋭」」を、読んだことによる。
●
神野紗希の時評「現代俳句時評⑥ ミューズすらいない世界で──俳句とジェンダー(上)」(「俳句」2019年6月号 p.179)は、フェミニズムの観点から、まず、歌壇における男性偏重的な短歌観・短歌史観が、その下の世代からきびしく批判されていることを示し(参考:こちらとかこちらとか)、その上で、俳句にも同様のことはある(しかし問題として意識化されていない)というふうに、進んでいく。
子にもらふならば芋煮てくるる嫁 小川軽舟
「鷹」二〇一六年十一月号掲載の一句。息子が妻をもらうなら、芋を煮てくれるような素朴で優しいお嫁さんがいいなあ。無邪気な願望をほほえましいと受け止める人も多いだろう。しかし私はこういう句を見ると、真綿で首を絞められたような窮屈さを感じる。今も社会に横たわる、家庭的な女性への欲望、保守的な思想を感じる。そうか、やっぱり芋煮てほしいのか。「そもそも嫁を「もらふ」発想自体が、かつての封建時代の家同士の結婚を思わせる。むしろ時代後れだからこそ「昔はよかったよね」とほほ笑み合いたいのかもしれない。(神野紗希・前掲文)
自分は、ここで神野が感じたことを、全面的に首肯する。しかし、ジェンダーの問題とは、また別のことを思う。
それは、こんなにも、俳句に通俗性がフリーパスで存在していいのだろうか、ということだ。
●
神野に句を引用された小川軽舟は、かなり意識的に「通俗性」を取り入れてきた作家だ。
そのことは、自選十句に
平凡な言葉かがやくはこべかな 『手帖』
死ぬときは箸置くやうに草の花 『呼鈴』
が入り、
水たまり踏んでくちなし匂ふ夜へ 『近所』
燃えほそる燐寸の首や夕蛙 『手帖』
が入らなかったことからも、うかがえる。十句に〈泥に降る雪美しや泥になる〉は入っているものの、この傾向の句はこれ一句だけなのだ(『俳句』付録「現代俳人名鑑」2017)。
それは、「鷹」主宰継承をきっかけにした転換だったのかもしれない。
湘子が亡くなって私は自選に頼るしかなくなった。しかし、主宰の作品が守りに入ってはいけないと臍を固めた。これまでの自分の作品と違うところも攻めようと考えた。(「シリーズ自句自解ベスト100 小川軽舟」p.157)
という小川自身の述解もある。
これは〈蝸牛やごはん残さず人殺めず〉の自解なので、その作風の転換は「しほり」と呼ぶべき繊細さから、軽いアンチヒューマニズムを経て、正面切ってのヒューマニズムへ進んだと想像される(もちろん、第一句集にも〈自転車に昔の住所柿若葉〉のような句はあるが)。
そうして小川軽舟は(湘子が一日十句の時代に目指したように)、自分の作品を「太く」していったのだろう。
自分は読者として、軽舟の「しほり」の句や〈ごはん残さず人殺めず〉を深く愛するので、たまに凄みを見せてくれてもいいんじゃないか、と希望したりもするけれど、多くの会員が共有すべき価値の中心として、その転換は必要なことであったに違いない。
晩春やわが鞄置く妻の膝 小川軽舟 (「鷹」2019年6月号)
近作。微笑ましい景といえるだろうけれど、この句の価値の存するところは、やはり通俗の範囲に違いない。
●
件の時評を読んだある若者が「神野さんが問題にすべきは、高柳さんではないのか」と言ったと聞いて、自分はほぼ爆笑した。
そして、髙柳克弘も、自分にとって(ジェンダー意識もさることながら)その通俗性が、ひじょうに気になる書き手だ。
もう去らぬ女となりて葱刻む 髙柳克弘『寒林』
これを読んで紗希さんが「なめんな」と思わなかったわけはないと思うのだけれど、それはよけいな御世話だとして、この物言いが旧弊であることは、おそらく作家の設計図のうちに含まれている。
ぬけぬけとそれを言って「色悪」としての自画像を描いてみせました、という句なので、その通俗性をまとう身ぶりが、わざとであることは間違いない。
しかし、わざとだから、この句が通俗的ではないとは言えない。「ぶってる」ところも含めて、句の価値の射程が大衆性の範囲に収まっていることにかわりないからだ。
岸本尚毅が、髙柳を「波郷や湘子のプロ根性を受け継ぐ」と評したのは、このあたりだろう。
そういえば、髙柳にも〈あぢさゐや日はいちにちを水の上〉〈綿虫に平日の人どほりかな〉のような繊細かつ高踏的な句や〈ビルディングごとに組織や日の盛〉のようなナンセンスがあるので、『鷹』の二人の振れ幅は、驚くほど相似している。
●
さっき、思わず「大衆」とタイピングしてしまったけれど、「通俗」を問題にすることは、エリーティイズムの立場に身を置くことなので、しかたがない。
「通俗」を定義するなら「表現物の価値(よさ)が、水準を低めに見積もった読者(=大衆)の、了解の範囲内にあること」とでもなると思う。
ある日のツイッターから引用するけれど、
https://twitter.com/fd_m_n/status/1130718932929671168
というのは、本当にそのとおりで、自分が高く評価する〈ヒヤシンスしあわせがどうしても要る 福田若之〉にも、通俗に近い分かりやすさがあり、ポピュラリティは高いけれど、それにとどまらないものがあるというだけだ。
では、自分は、なぜ、俳句の「通俗性」を、問題であると感じて、引っかかっているのか。
●
「大特集「U(アンダー)39作家競詠 推薦!令和の新鋭」」(同号p.49)は、ここらで、結社内でがんばっている若手にスポットを当てましょうという企画。
39歳以下の書き手が24人、結社主宰の推薦を受けて(「群青」と「晨」は準結社の扱いらしい)、新作20句と旧作25句(主宰選)を掲載している。まさに大特集というに、ふさわしい。
通読した。新人(とされている)書き手の作品をあげつらうのも申し訳ないので、個々の作品には触れない。
しかし、その作品は全体に「通俗性」が濃く、ありていに言ってしまえば、それは結社の問題なのではないか、と思ったのだ。
以前、自分は「ku+ 2号」において、俳人地図の作成を試みた。

「平成二十六年俳諧國之概略」(「ku+2号」2015年8月)※人名の入った画像がみつからず白地図。
参考「ku+2号」付録 「(略称)俳句界map」 を、読みほどく
同時代作家を「伝統主義」「ロマン主義」「原理主義」の三派に分類したわけだけれど、じつはこの図、対角線で区切って、左上サイドが「大衆性」のエリアであり、対する右下サイド全体が、新しさと専門性からなる「高踏性」のエリアになっている。
今回登場の24人の書き手を、同図上に配置するなら、大半が左上サイドに貼りつくように、「ロマン主義」内の「等身大派」から「伝統主義」内の「分からないとダメ派」のエリアに、マッピングされるだろう(※何人かは「ロマン主義」の真ん中から右寄りにくる)。
代表的な作家として(またしても)名前をあげさせてもらえば、石田郷子、津川絵理子、小川軽舟、片山由美子、櫂未知子、彼らが位置するエリアに、この若手達はほぼ入ってしまう(おそらく、彼らの大半は、これらの代表作家に並べて語られることを、当然であり、栄誉であると感じるだろう)。
今回の新作が通俗的ではないとはっきり言えるのは、田中裕明的な高踏性を志向する柳元佑太くらいだろうか。
逆に多くの書き手が、作品の価値を損なうほどの通俗性を帯びているように思えた(全員ではない)。
●
『俳句』6月号からは離れるけれど、岸本尚毅が、第10回田中裕明賞の「選考委員の言葉」として(候補作のいくつかの句をあげ)、
(…)「気の利いた言い回し」が使われているが、しょせん底の浅い面白さでしかない。この種の「書き急ぎ」は読者の読みの深まりを妨げるものでしかない。この種の言い回しが俳壇に流行るとすれば、それは作者でなく、褒める人の責任である。次回以降の選考委員の皆様には、俳壇に流布されがちな「一見上手そうな句」を安易に褒めないことを、強くお願いする。
と書いた。岸本は、作品評の言葉を極めて慎重に選ぶ人だと分かっていたので、この直截な厳しさには驚いた。
http://furansudo.com/award/2019/2019.html
それに応えて、ある若い書き手が、ツイッターで
「岸本先生のメッセージ。ほぼ、名指。しかし、引き継ぐ選考委員のみならず広く若手に向けられているメッセージ」
と書いた。
名指しというのは、次回から裕明賞の選考委員となる4人のうちのいずれかということだと思われる(自分には、髙柳さんのことではないように思われる)。
これも、通俗性の問題だろう。
●
俳諧連歌よりこのかた、私たちの五七五定型詩は、雅俗の葛藤において生まれ、また生まれ直して、発展してきた。だから、通俗であること、大衆的であることが、俳句にとって、必ずマイナスであるわけはない。
ただし、とりわけ現代において、七五調は俗謡のリズムでもあるので、内容が一線を越えて俗にかたむくとき、そして、形式との関係が緊張を失うとき(「雅俗」の「雅」が見失われるとき)、その句には、チョイナチョイナとか、ハーどーした、どーした、と掛け声がかかりそうになる。
十七音は、ハハのんきだね〜といった、鼻唄的いい調子に堕する危険を内包しているのだ。
その掛け声を斥ける強度というものが、たとえば〈湯豆腐やいのちのはてのうすあかり〉(久保田万太郎)には、ある。〈ヒヤシンスしあわせがどうしても要る〉にもあるだろう。〈平凡な言葉かがやくはこべかな〉は、どうだろう。〈一瞬にしてみな遺品雲の峰〉(櫂未知子)は、〈双子なら同じ死に顔桃の花〉(照井翠)は、どうか。
それは、つまるところ、読み手次第ではあるとはいえ。
この十年、俳句においては了解性と共感を重視する傾向が強く、その帰結としての、通俗性の肥大が、見られるように思う。
通俗=ポピュラリティは、もちろん、必ずしも悪ではない。
しかし、小川軽舟が結社を率いる過程で、そのポピュラリティを肥大させていったのだとすれば、そして、結社推薦の若手の多くが、通俗に堕することへの怖れを持ち合わせていないように見えるとすれば。
俳句における通俗性の問題は(他のすべてのイシューと同じく)、いかなるコミュニティを宛先として書くか、という問題に帰するのだろう。
●
結社で書いている新しい人に言いたいのだけれど、そのコミュニティの多数派がよろこぶものを書くことからすこし離れて、あなたと同じように新しい人たちを宛先として、考えてもいいんじゃないだろうか。
一度くらいは。
●
Posted by wh at 0:07 0 comments
2018-05-06
時評のようなもの 4 新人賞ふたつ 上田信治
時評のようなもの 4
新人賞ふたつ
上田信治
第5回芝不器男俳句新人賞を、生駒大祐さんが受賞した。
http://fukiosho.org/communication.html#20140301
生駒さんは俳句の書き手としての「登場順」で言うと、『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』の人たちと、現在もっとも若い書き手(*)の間をつなぐ位置にいる。同じ位置には、西村麒麟、藤井あかり、鶴岡加苗、岡田一実といった人たちがいる。
いや、ジャーナリズムがとりあげることを「登場」というのは僭越なことで、どの人もずっとそこにいたし、いるし、それぞれに書き手であったわけですが、『俳コレ』の編集に携わったものとして言えば、上にあげた人たちのことは当然候補としてチェックをしており、惜しくも収めきれなかったのです。
まだ「アンソロジられない」自分たちはどうしたらいいのかという声も、当時、あったとか、なかったとか(キリンさんかな、そういうことを言うのはw)。
しかし「位打ち」という言葉があるくらいで、人間、評価されたら終わり。そこで止まってしまうケースはあまりにも多く、評価され損なって、それでもやめなかった人のほうが、しばしば、ずっと先へゆく。そういうことを、上にあげた人たちは証明したのだし、そのことを見抜けなかったアンソロジストの不明を証したともいえる。
生駒さん、おめでとうございます。
(*)もっとも若い書き手:同新人賞の一次予選通過者でいえば、黒岩徳将、仮屋賢一、堀下翔、青本瑞季、柳元佑太、大西菜生等。ここに、安里琉太、大塚凱、宮崎莉々香、青本柚紀、樫本由貴 、木田智美等々といった名前が加わる。
●
生駒さんの書法は、人工的かつ擬古的だ。
ジャーナリスティックな口吻をキープしつつ述べるなら、その書きぶりは、いわゆる昭和30年世代の特徴であった端正な「伝統」的書法を、さらにバロック的にマニエリズム的におしすすめたものだと言えるかもしれない。
そういう意味でも、彼は『新撰』の書き手(自分も含めて昭和30年世代の設定した課題の内部にいる人が多い。そして、別ラインとして山田耕司、鴇田智哉、田島健一、関悦史といったかつての前衛の系譜に連なる作家がおり、その総合という意味も含めて)次世代の書き手の橋渡しをするポジションにある。
●
若き岸本尚毅や田中裕明が俳壇をおどろかせたのは、彼らがあまりにぬけぬけと「上手かった」からだ。
彼らは、多くの俳人にとっての到達点であるような「上手さ」を出発点において達成してしまっていたために、その真正さ(その完成度と、俳句の価値が一致しているかどうか)を疑われることもあった。
岸本尚毅も田中裕明も「伝統」を越える視線と射程をもち、先人踏襲をメタ的な方法意識のうえで行っていた。
だから、その俳句はいきなり(従来の意味で)完成することが可能だったのだし、その先に行かなければならなかったから、「伝統」的であると同時にそれをはみ出していくモーメントをはらんでいた。
そして、生駒さんは、時代を継承する書き手として、彼らのはみ出しの部分に意識を集中させている。
はみ出すことに快感をおぼえつつ写せば、ねじれる(それがバロックということだろう)。
最終選考の段階で、詩人の城戸朱理さんは「この作品は(優れているかもしれないが)よその新人賞でも評価されうるのではないか」と反対意見を述べたのだけれど、生駒さんを推す選考委員が「いや、よその賞では絶対、評価されない」と異様な(笑)推奨をするという一幕があって、それは、彼の作品をよく表していたと思う。
彼の書くものは、一見、優等生的に見えたとしても、その美質は、胡乱さ異様さのほうにある。
足跡の海中に絶え初明り
榛といふ名前に生まれさへすれば
蜜蜂や夢の如くに雑木山
六月に生まれて鈴をよく拾ふ
甘露煮がみなに届くよ霜柱
たとえば、「足跡の」のファンタジックな美しい視覚像を「初明り」が、よく分からなくしていること(3メートルくらいの水深の明るい海底を思えばいいのかもしれないが、それが何の正月だというのか)。「榛といふ名前」とは、いったい……君は木なの?「蜜蜂」も「雑木山」もこう言われてしまってはとても本当のこととは思えず、そして、この「霜柱」は……。
うわごと感とでも言おうか。
それは魚目や澄雄や杏太郎の最高の作に、抽象性としてあらわれるものだ。けれど、それを狙って書くのであれば、作者は、作品が人に真面目に受け取られないことを、誉れとして、引き受けなければならなくなる。
その冗談すれすれの跳躍(または墜落)のすえに、中村和弘委員が激賞したこのような句があらわれる。
輪の如き一日が過ぎ烏瓜
秋淋し日月ともにひとつゆゑ
やわらかい思弁の手ざわりが、俳句らしさへ凝集したような、ふしぎな句だ。
生駒さんが志向する擬古典性、人工性、思弁性、抽象性といったピースは、先にあげた若い書き手に佐藤文香や福田若之もふくめた同世代の作家たちに、それぞれの課題として確実に分けもたれている。
彼らは、その並走関係によって、自らの俳句を豊かにしている。
●
メデタシメデタシ、と書き終えようとしていたら、第9回田中裕明賞を小野あらた『毫』が受賞したことが発表された。
http://furansudo.com/award/2018/2018.html
『毫』はすぐれた句集だ。受賞に異論はない。
けれど、田中裕明という人がどれだけヤバくて、俳句の可能性をひらいた人で、そして自らはその可能性の全てを実現することなく世を去ったことを思ったら。
福田若之『自生地』と同時受賞でもよかったんじゃないか、と。俳句には、こっちとこっちの可能性がありますよ、ということを示すのでよかったんじゃないか、と。
これは観客席からの勝手な意見ではあるけれど、裕明賞は必ずしも俳壇的ではない貴重な賞だったので、惜しかった。
福田君惜しかったではなくて、田中裕明賞惜しかった、と思ったことだった。
2018-01-21
時評のようなもの 3 いちばんポップでシリアスな彼 福田若之『自生地』……上田信治
時評のようなもの 3
いちばんポップでシリアスな彼
福田若之『自生地』
上田信治
福田若之の句集『自生地』(東京四季出版)について、まずその「前史」を素描したい。
ざっくりと言えば、七〇年代以降、多くの表現ジャンルの尖端というか「先っぽ」の植物でいえば成長点のような部分が、ハイカルチャーとしての前衛から「サブカル」的なものへと転じた。
一方、俳句は「虚子に帰れ」(または、芭蕉に帰れ)が長期トレンドとなった。それもまた、ハイカルチャーとしての文学の消失と並行する、時代精神の反映だったように思うけれど、スローガンとしての伝統回帰を真に受けてか、俳句は、そのローカルな価値への閉じこもりの傾向を強めていった。
詳述は避けるけれど、伝統回帰の時代を通じて、俳句は「軽く」なり続けた。しかつめらしい顔はそのまま、俳句は、たとえば加藤楸邨や三橋敏雄が持っていた「文学」のシリアスさを手放してしまった。
オムレツが上手に焼けて落葉かな 草間時彦
大阪や秋の扇をポケットに 川崎展宏
向日葵や信長の首斬り落とす 角川春樹
春の水とは濡れてゐる水のこと 長谷川櫂
いっぽう二〇〇〇年代の半ばに登場した新しい作家に、鴇田智哉、冨田拓也、関悦史、北大路翼、外山一機、田島健一、神野紗希、佐藤文香らがいる。
同時期、髙柳克弘〈ことごとく未踏なりけり冬の星〉、津川絵理子〈サルビアや砂にしたたる午後の影〉、村上鞆彦〈ガラス戸の遠き夜火事に触れにけり〉といった新人作家も登場している。近代俳句の延長上に表現の高度化を追求する彼らは、俳壇の将来を担うと目されるているのだけれど、先にあげた彼らの作風はそういうものではない。
人参を並べておけば分かるなり 鴇田智哉
フィギュアのごとくきしめんは垂れ冬景色 関悦史
太陽にぶん殴られてあつたけえ 北大路翼
引鶴!ねえアフリカが全部欲しいの 外山一機
コンビニのおでんが好きで星きれい 神野紗希
半月や未来のやうにスニーカー 佐藤文香
彼ら新しい作家の作品は、時代精神へのキャッチアップという俳句の宿題を一気に片づけつつある。
彼らにとって俳句は初めから「サブカル」であり、また同時にハイカルチャーでもあった。これは福田若之という作家を理解するためにも重要なポイントだけれど、私たちの同時代表現は、ポップカルチャーの影響下にあって当然、というか、あることのほうが自然だ。
新しい作家たちの作品は、俳句にとって外部のものであった価値を、当然のように援用して書かれている。「伝統回帰」を経た平成の俳句は、ローカル性を強めることによって、ハイカルチャーをを志向するタテの文脈を弱めてきた。対照的に、平成の彼らが依拠する文脈は、俳句というマイナージャンルに出会う以前から、ポップカルチャーであり、現代芸術全般に通じる思考であった。
彼らが現代的であろうとする意志(それは、俳句のローカル性に対置される)は、より上位の価値への志向としてある。
新しい俳句作家にとって、ポップであることが、同時にハイカルチャー的でもあるというのは、そういうことだ。
○
前置きが長くなった。
福田若之『自生地』の収録句はおそらく千句を超える。冒頭から〈ヒヤシンスしあわせがどうしても要る〉の句のある二〇ページ目までに、
歩き出す仔猫あらゆる知へ向けて
春はすぐそこだけどパスワードが違う
むにーっと猫がほほえむシャボン玉
雨しきり短い夜であることを
君はセカイの外へ帰省し無色の街
雲は地球の回る速さで去りゆく夏
と、すでに代表句と呼びうる句が目白押しで現れるのだけれど、それらの句の間には、以下のような短文が置かれていて、読者は、この前書のようなつぶやきを通して、これらの句に出会うことになる。
僕があらためて書くことのできるものは、結局のところ、僕がいまだに捨てられずにいるものでしかない。だから、ついに現実味を帯びることになった句集の制作を、僕は、六年前にとあるアンソロジーに収められた僕自身の作品をこの手で書き写すことからはじめることにした。
手で書き写すのだから、かならずしも正確にというわけにはいかない。あらためて書き写そうとすると、いまの僕の手がどうしてもそれを許さないということがあるし、思い出のうちに、そこになかったはずのものが飄々とまぎれこんでしまうこともある。
句集をまとめたいという望みはかねてからのものだったけれど、それが具体的な計画として動き出したことは、必ずしも僕自身の意志によってではなかった。かつて書いたページをすこしだけ生きなおし、また生きなおし損ねながら、胸のなかにうまれる苦しいざわめきは、けれどそのせいではない。
つまり書き手は、この一冊を、句集を製作していくことの「記録」として、成立させようとしている。取材者のモノローグで進んで行くタイプの、ドキュメンタリーに似た構成だ。
福田が「かつて書いたページをすこしだけ生きなおし、また生きなおし損ねながら」と書くとき、そこには彼の過去の時間が召喚されている。
つまり、「作者として福田若之が生きて体験した時間」を「編者として現在の自分が追体験」している。
彼が「生きなおし」と呼んだその追体験が、この句集の第一の文脈だ。
私たち読者は、彼が二十代の前半で書いた句を、現在の福田の目を通して読むのだけれど、それは、その句がかつて生きられたものとして他人ごとではなく読むという、読書体験だ。
○
「生きなおし」は、彼の二〇代前半の時間に過去の少年期、いわゆる青春像、二十世紀を思わせるモチーフを取り込んで続いていく。
さよなら、ウォーホール 丸ごとのトマトを齧る
透かし見るネガフィルムよとんぼさよなら
シーラカンス、あの不思議は虹と言うんだ
空っ風ココアシガレットを愛す
産業革命以来の冬の青空だ
真っ白な息して君は今日も耳栓が抜けないと言う
木々に春らくだの遊具しくしく鳴る
さらに、現在の彼の関心事であろう「書くこと」「認識すること」、版元の編集者とのやりとり、リアルタイムの郊外生活などなどの、彼の現在が第二の文脈。
てざわりがあじさいをばらばらに知る
書く、波のかりそめの白夜を歩く
詩は、と言い詩は逃げ出してゆく──雷雨、
「は?」という、過去限りなく繰り返された。パラソル。
川の工事の男湯のような音
芹の岸辺にずぶ濡れの手紙でいる
猫ですしじゃあ何でちまき食ってんのって話だわな
口語、定型をはみ出す韻律、ポップカルチャーや現代思想からの影響と引用などがカラフルに展開する句を示しつつ、彼は内省する。句を書くことは「弔いに弔いを重ねることであり、その奥行きが過去の痕跡となる」と。それは「より過去からの光が、より遠くからの光であることに似ている」と。
過去からの光は、現在の彼を照らしつつ未来に向かう。つまりそれは、過去の弔い、すなわちこの句集を編むことを、未来に向けての「生きなおし」にするという意志の表明であり、それぞれ豊かな物語性をはらむ句群に、さらに、ビルドゥングスロマン(近代文学!)として読まれうるメタレベルを与えることだ。
その仕掛けは、彼の作品の自己表現としてのシリアスさを、読者に誤解の余地なく手渡すだろう。
石川啄木が歌を「へなぶる」と称していたように、福田若之は「玩具」としてのサブカルと俳句を遊び倒して、もっともポップでシリアスな書き手となった。そして、句集『自生地』はそのことを、一冊まるごとを使った「書く主体」の前景化によって、読者にクリアに示した。
くわえて、読者は感情移入可能な物語として一冊を読み通す楽しみをプレゼントされたわけで、つまり、この句集自体(作者同様に)シリアスであることとポップであることの両立に成功している。それは、詩作品のプレゼンテイションとして、書物の作品化として、そして商品性を高めたという意味で、何重もの意味においての成功だ。
○
やがて、彼の語りには、少年期の苦痛に充ちた記憶が混入する。
「エックス山メモランダム」と仮称される数ページの「これらのメモは、ただ、そこに書かれたことを僕が忘れるためだけに書かれたものだ。単に、僕がそれらを忘れることを、僕自身に許すために」と書かれたそれを、多く引用することはしないけれど、それでも笑えるようないくつかの句もあった。
ともだちだそれでもいるかを魚だと信じて嗤ったあの日の君への憎しみがまだ消せない
ベンツに轢かれてごめんなさいごめんなさいごめんなさい
ほとんど君ひとりのおかげで利害関係もないやつからきめえとか言いつづけられんの慣れたよ
「エックス山」は句集のちょうど真ん中に置かれた地獄巡りで(そこだけページが黒ベタで文字が白抜きとなる)、そこを越えると心なしかトーンが明るくなる。それは計算された構成だろうけれど、同時に、彼自身がこの句集による「救済」を信じはじめたから、可能となったことでもあろう。
○
一句一句、立ち止まれば、そこになかったはずの物語が浮かび上がる(コノテーションは、その作用となにか関係のある言葉だったはずだ)。
その力は、きっと、輝かしい物語からはばまれていることによる、強い憧れから生まれている。
年長の評者はそれを「過去の青春」と揶揄しがちだけれど、それらのモチーフは、作者の目の前にない、なさすぎるからこそ記憶の中でまぶしい、そういうものとして選ばれ、仮構されている。
懐かしさとは「あったはずのものが消える/消えたはずのものがある」ことに発する感情だ。つまり、彼の描く少年期や青春は、そこにないからまぶしい、あるいは、まぶしいからそこにはない。
これらの句には、光があふれていて、そのまぶしさに目を細める彼が見えるようだ。
水へかわせみそして全方位が音だ
おもしろくなりそうな街いわしぐも
春を待つかつてのいくつもの春を
卒業を祝う小さな菓子だった
サニーサイドアップ胡椒をふんだんに涼しく
やどかりすこしすばらしくなりたいをかかえる
みかん、的な。なんだか話せない僕ら
浅く乾いた冬の轍を時代と呼ぶ
ペプシ! と音してあふれだす冬の星
なみだぐむ木か青桐はひかりが差し
○
第三の文脈として「小岱シオン(コノタシオン)」と名乗るラノベのヒロインふうの女性や、言葉のなにかの象徴であるような「かまきり」が登場する連作があって、それらは句集全体に、短文とともに一句ずつ挿入されている。
それは、風通しのための空項として、全体に通じる空気穴のようにして導入されたモチーフである気がする。
夢に着けば先客がみな小岱シオン
蜘蛛を湿らす小岱シオンの青い舌
かまきりもどき金網に絡む草
言葉は葉かまきりはざわめきに棲む
句集の終わりにちかづき「小岱シオン」は退場し、「生きなおし」と「生まれなおし」の円環がいったん閉じることをつつましく告げる「やわらかいかまきり」の句で、句集は終わる
かまきりは冬に葉書は灰になる
日々をある小岱シオンの忌と思う
また別の小岱シオンの別の夏
やわらかいかまきりのうまれたばかり
○
福田若之の美質は、ポップであることが誰よりも強く垂直性と結びついていること(それは、これまでに述べた)、そして、その声調だ。
少年が愛するガジェットや記憶、抽象的な思考、私的な夢想、近過去といった彼のモチーフの価値は、あまりにも私的なものだ。けれどだからこそ、それが「声」になっていれば、誰にもその歌を止める権利がない。
彼の句の、ときに切迫しときに高揚する声調は、俳句の規矩をやすやすと超えて、より高く広いところへと届くような「声」だ。
とりわけ、85pからの「あかおに」や、199pからの「のの」の連作など、作者より無垢でいたいけなものが登場するときあらわになるナイーブネスの、美しさとやさしさには、息を呑むほかはない。
いや、気づいてしまえば、一番いたいけなのは若くんなのであって、『自生地』には、まさに無垢でナイーブな、若さともいとけなさとも呼びうる感受性が、横溢しているのだった。
高山れおなさんは「ここに、新しい寺山修司がいるっちゃ、分かれ!」と書いた(書きましたよね、たしか、あれ?)。
本当に、それはもう、青春性としか、言いようのないものだ(青春性とは、世界の手前ではばまれ待たされている、可能性しかもたない存在から生まれる、表現の力のことだから)。
考えてみれば、彼は、はじめから、少年としての自分の感受性の正当性を訴える書き手だった。
彼の少年期に対する強いノスタルジーには、おそらく、仮構された輝かしさへ向かう「生きなおし」というモチーフがあった。
それは、きっと、はじめからそうだったのだ。
○
2017-10-01
時評のようなもの 2 「分からない」俳句 田島健一『ただならぬぽ』を中心に 上田信治
時評のようなもの 2
「分からない」俳句
田島健一『ただならぬぽ』を中心に
上田信治
隔月刊の詩の雑誌「びいぐる」で、この7月から1年間、俳句時評の連載をすることになった。竹岡一郎さんが『フラワーズ・カンフー』ついて書いたりしていた欄のあとを継いでのことだ。
俳句のことを知らない(という前提の)読者に向けて書くので、時評としては「今さら」の話が多くなるかもしれないけれど、状況の整理と頭のリセットのために、そこをいちいち書くことにする。
○
時評だから、ここでは、いわゆる「トピック」を取り上げることになる。
何を「トピック」であるとするかの選択において、書き手の主張は尽きていて、あとは「それがなぜそうなのか」を説明する作業になるけれど、その過程で、何か自分にとっても発見があればいいと思う。
○
田島健一の第一句集『ただならぬぽ』が刊行されたのは、今年の一月のことだ。
昨秋の小津夜景『フラワーズ・カンフー』に続くようにして、と書きたくなるのは、二作ともに、描写的ではない非具象的な言語使用という意味で、ここしばらくの俳句の流行から見れば少数派に属する作品であり、にもかかわらず、広く俳句読者の注目を集めたからだ。
抽象表現が俳句において非主流的であるということは、他ジャンルの読者から見て分かりにくいことだと思う。そのことには、あとで触れる。
田島健一『ただならぬぽ』より
翡翠の記録しんじつ詩のながさ
あいさつの雨降りそそぐ枇杷と顔
猫あつまる不思議な婚姻しずかな滝
白鳥定食いつまでも聲かがやくよ
空がこころの妻の口ぶえ花の昼
風船のうちがわに江戸どしゃぶりの
ひらく雛菊だれのお使いか教えて
光るうどんの途中を生きていて涼し
僕らたまたまみんな駒鳥おそろいの
ごちそうと冷たいまくら谷は秋
晴れやみごとな狐にふれてきし祝日
なにもない雪のみなみへつれてゆく
「翡翠の記録」というフィクションを立ち上げるやいなや、「しんじつ」の語を挿入し「詩のながさ」と半歩横へずらして言い終える。「詩のながさ」は必ずしも価値を措定しないが、語調によって価値に類すること、つまり「何かいいことを言った」という感触を残す。
「白鳥定食」の句においてもまた(「翡翠」と同じく)鳥類についてのフィクションが八音で提示される。定型のリズムでこれを読み下すときの言いつづまりが、踏み切り板のように働いて意味の飛躍を助ける。「いつまでも」「かがやくよ」は「白鳥」の「聲」の価値についての言明なのだけれど、そのとき「定食」もかがやいて(ほめられて)しまい、行きがけの駄賃のような抽象性が生まれる。
これらの句には、明らかに、なんらかの感情あるいはトーンが成立しているのだけれど、これらを全く「分からない」句と受け取る向きも、一般的な俳句読者には多いはずだ。
○
以下のような言葉を見ると、田島には、「分からない」こと自体を、明確に、自身の本領とする意識がある。
困ったことに見えすぎている。見えすぎていると、ついつい解りすぎてしまう。解りすぎることは日常生活を営むには差し支えないが、何かを書いたり考えたりするには、ちょっと不自由すぎる。解りすぎていることは書けない。意味するマダガスカル変な木へんな虹
必要なのは、何が面白いのかよくわからないものの前で、じっと腕組みしながら、新しい感情が湧きあがるのを忍耐強く待つことだ。
お互いの「謎」について「分かり合う」のではなく、「分かり合うこと」自体が「謎」そのものではないのか。つまり、それは「わからない」ものとも「分かり合える」という「謎」だ。(…)手元に届いたときには、それはすでに「謎」だった、というかたちで、「分かり合う」のだ。
フラワーマンの息子は寝冷えするフラワー
思われるシロナガス弟子たちなりト氏
WEBサイト「スピカ」に連載された田島の短文と句から引いた。
彼の「分かること/分からない」ことに対するスタンスは、ここに率直に述べられている。それは書くことによって未知の何かに出会うという、ごく真っ当な表現論だ。
このような抽象表現が例外的とみなされるのは、俳句というジャンルの特殊事情である。
(ここで「抽象」は「日常意識で把握される『この現実』に根拠を置くことがより少ない」くらいの定義で使う)
○
「俳句は具体性を離れては成立しにくい」ということが、俳人の間では、広く信じられている。
高浜虚子の「客観写生」とは観念性を排除して描写に徹すれば、より広い世界が立ちあらわれるという方法だ。また、戦前の新興俳句の流れをくむ俳人・秋元不死男は「俳句もの説」において、「事」ではなく「もの」に執着する詩であることが、俳句の固有性であると論じた。金子兜太も、自らのイメージの即物性と事実性を繰り返し語っている。
これらは、俳句の言葉はそれを指し示す物理的対象を持っているべきだという方法的限定であり、いわゆるノウハウである。
ところが、俳句においては、思想と経験則が区別なく同等に語られるという傾向があって、これら俳句のマイスター達が「こう書くとうまくいく」というノウハウを語ると、それこそが作品のあるべき姿であるという「べき」論に横滑りする、ということが起こるのだ。
それは俳句が、言語芸術であると同時に、社会的にはコミュニケーションの具として存在しているために起こる現象で、いわゆる「座の文学」という話なのだけれど、伝統詩形に淵源を持つ俳句・短歌という表現は、特定の価値尺度を共有する限定された集団によって創作されるという性格が強い。
そのため、あるノウハウが結社のような集団によって共有されると、容易にそれが集団の理念であると錯覚される。たとえば、それが「写生」であるかないか、「季語」を中心に書かれているかどうかによって、作品の価値が問われる。
そのことは、たしかに、集団の生産性を高めるだろうけれど、ノウハウに適うこと自体を価値とするのは、方法に対するフェティシズムというものだ。
この十年ほどの俳句の世界では、ともすれば了解性すなわち「分かること」が、価値としてまた規範として扱われる傾向があった。
俳壇のオピニオンリーダーの一人が(たしか片山由美子だったと思うのだけれど)「名句と呼ばれる句は、全てよく「分かる」句だ」という意味のことを書いていて、それ自体、反論しにくい内容ではあるけれど、その言説は容易に「俳句は分かるものでなければいけない」「俳句は分かるように書かれるべきだ」へと横滑りしうるものなので、危惧と言っては大げさだけれど、ここには注意しなければいけないものがある、という感想を持った。
俳諧俳句の歴史を通じて、共同創作を行う集団が「習いごと」として大衆的に維持されているという(今日では俳句の「カルチャー化」と呼ばれることの多い)事情もあって、俳句表現の価値体系は、常に、入門書レベルで理解できる価値への集約という、下方圧力にさらされている。
○
一九六七年生まれの俳人、山田露結が「田島さんの句はロボット的な恣意性を人為的にやっていて、意図して意味をクラッシュをさせてるわけで「いや〜、いいクラッシュしてますなぁ。」とか「ここはもうひとクラッシュ欲しいところですなぁ。」とかいった鑑賞の仕方をするのがいいと思う」とツイートしていた。
また、これもツイッターなのだけれど、御前田あなた(ある川柳作家のツイッターネーム)が田島の句〈光るうどんの途中を生きていて涼し〉について「この句においても「光るうどん」の前・途中・後が構造化されており、それは「涼しい」という〈涼気〉=自然が発端になっている。ただし、ひとは基本的に《うどんに構造を構造化する契機をみいださない》。田島さんの句集は構造化する構造をめぐる不思議な句集だ」と書いている。
この二つのツイートの間に、田島の「分からなさ」は位置している。
〈晴れやみごとな狐にふれてきし祝日〉であれば、今「祝日」をほめている主体の意識に「みごとな」の語をきっかけに「狐にふれてきし」という現実か偽の記憶か分からない近過去がたたみこまれ、結果、あらためて「祝日」という言葉のよさへ向けて、全体が構造化されている。
〈意味するマダガスカル変な木へんな虹〉であれば、「意味するマダガスカル」で、山田の言うクラッシュが起こっていて、「マダガスカル」の語と「変な木へんな虹」の結びつきが、簡単に分かられてしまうことを妨害している。
構造化は「分からない」文脈を分からせる。クラッシュは「分かる」文脈を妨害する。
そこに田島の言う「謎」が生まれるのだけれど、結局はその隘路をとおって、何かが「分かられてしまう」(あるいは手渡される)よろこびに、田島は賭けている。
○
ここで、田島とは対照的に、方法として「分かること」に徹底している俳句作者の典型として、津川絵理子の句を引いてみよう。
捨猫の出てくる赤き毛布かな
四五人の雨を見てゐる春火桶
籘椅子の腕は水に浮くごとし
夜通しの嵐のあとの子規忌かな
木犀やバックミラーに人を待つ
おとうとのやうな夫居る草雲雀
秋草に音楽祭の椅子を足す
ひつそり減るタイヤの空気鳥雲に
貼りかへし障子の白さ何度も見る
つばくらや小さき髷の力士たち
二〇一三年に刊行された句集『はじまりの樹』より津川の自選による十句を引いた。
津川は一九六八年生まれ。第一句集『和音』で、俳人協会新人賞を受賞、第二句集では第一回星野立子賞と第四回田中裕明賞を受賞しており、この十年の俳句において、もっとも高く評価された新人だったといえる。
先に名前をあげた片山由美子も「津川さんは、俳句の神が必要とした人なのである」(『俳コレ』二〇一二年)と称賛を惜しまない。
これらの句は「分かる/分からない」で言えば圧倒的によく「分かる」。まさに了解性をその方法の中心に据えていると見える。
けれど、田島の「分からなさ」が、その先で「分かりあうこと」をあらかじめ志向し、そのことに支えられていたのと同様に、津川の「分かること」も、何らかの「分からなさ」に裏打ちされて、成立するのではないか。
そういう予想のもとに、これらの句を見直してみたい。
いくつかの句は、取り合わせと呼ばれる手法で書かれている。
「夜通しの嵐のあと」「ひっそり減るタイヤの空気」「小さき髷の力士たち」が、それぞれ「子規忌」「鳥雲に」「つばくら」という、季語とカップリングされていて、そこにかすかな感覚的な共通性が見出されることが、感興を生んでいる。
しかし、これらの句の価値は「そのカップリングに理由がない」という「分からなさ」を根拠あるいは前提としていて、その「分からなさ」の上になお感覚的了解が生じることにあるのではないか。
それは、俳句の取り合わせという一般化された方法に、あらかじめ含まれているものだ。
「捨猫の」「四五人の」「籘椅子」「貼りかへし」の句は、俳句の写生という方法の範疇にあると言える。
そして、それぞれの句は、可愛さとか季節感といった日常的価値をふくむ形で書かれているのだけれど、その価値が詩の一部となりえているのは、「その景がピックアップされることに理由がない」という写生という方法が根本的にもっている「分からなさ」の衝迫力が、全体を下支えしているからではないか。
つまり「分かる」句は、俳句がすでに形式の一部としている「分からなさ」によって、その詩的価値を支えられている。
たとえば、津川の「おとうとの」のような句は、そこに提示されている日常的価値が俳句形式の謎を圧倒してしまっているために、詩的価値に達していないように、自分には見える。
そう考えると、俳句というもの全体が、俳句の形式に前提としてふくまれている「分からなさ」に支えられているとも言える。そのことは、俳句にとって当たり前すぎて忘れられがちなことだ。
だからこそ「分かること」の価値が強調されすぎた自然な揺り返しとして、鴇田智哉や田島健一のような、初心としての「分からなさ」を離れない作家が、注目されるのかもしれない。
「オルガン10号」には、片山由美子と田島健一の長尺の対談が掲載されるらしい。本稿の〆切りには間に合わなかったけれど、注目したい。
○
その後刊行された「オルガン10号」の、田島・片山対談で、片山が示した「分かる/分からない」についてのスタンスには、今さらながら驚かされた。この時評欄で、いずれ触れられたらと思う。
2017-07-23
時評のようなもの1 「中心」が見えない……上田信治
時評のようなもの 1
「中心」が見えない
上田信治
俳句の2016年は、相変わらず、前年までとよく似た一年ではあったけれど、小さな変化を、大きな持続的な変化の一部として捉え直すことをしつつ、その眺望をスケッチするように、俳句の現在を記述してみよう。
① 俳句の「中心」が見えにくい
明治期、俳句の誕生に、ジャーナリズムが果たした役割は大きい。新聞・雑誌の投句欄は、日本の津々浦々にいた俳諧愛好家を、地域を越えたネットワークに結びつけた。同時に「選」の権威を全国単位に拡大しそれを担保したのも、また活字メディアだった。
俳句がシリアスな文芸であることは、子規が俳句革新を通じて主張し定着した、いわば貴重なフィクションであり、俳句ジャーナリズムは、それを疑う必要もない前提として扱うことによって、そのフィクションを育んだ。
そこに俳句の「中心」が生まれた。それは、メディアを通して俳句を見つめる人々の視線の中にだけ、存在するものだ。
俳句が、同時代の天才たちによる営みであり、しかも、その天才たちの活躍する「舞台」には「投句」によって誰でも参加できる。子規が準備し虚子が確立した「全員参加の仮想的ひのき舞台」こそ、俳句という文芸の基盤をなす装置であった。
しかし、現在の「総合誌」は、俳句に向けられるシリアスな視線を束ね、その求心性を維持するという役割をほぼ放棄している。それに伴って浮上し存在感を増した「楽しみのための俳句」「芸術であることをやんわりと拒絶する俳句」は、近世への先祖返りと見て間違いない。そうして明治以来の俳句のインフラは、いったん失われたのだと思う。
もちろん、俳句ジャーナリズムの変質には、前提として、俳句の側の変化がある。
およそ十年前、岸本尚毅は「極論すれば、戦後俳句史は有力俳人の加齢の過程だったのかもしれません」(『俳句』2007年8月号)と書いた。身も蓋もない言い方だけれど、この印象に同意する人は多いだろう。それから、さらに十年経ち、一人一人退場していった大俳人たちに匹敵するような存在が、その後の俳句にどれほど生まれただろうか。
それはしかし後続世代の責任ではなく、むしろジャンルの消長という、野生動物の生息数にも似たものの端的な現れなのだろう。
かくして、自分のような一般参加者にとっても、同時代の俳句は、仰ぎ見るものではなくなりつつあるように、思われる。
同時代の俳句をいっせいに価値づけるような、中心性や求心力が失われて久しい。いや、そういったものは、もう現れないのかもしれない。
近現代の俳句史は、メディアによって成立する全員参加の「舞台」の上で展開されてきた。しかし、その「中心」の価値は見えにくくなり、かつて仰ぎ見られた「舞台」の「高さ」は、下から序列づけられるメンバーの列の「長さ」に置き換えられた。いまや、俳句はその文化現象としての輪郭を、メンバーの所属と評価の欲求によって、なんとか保っているように見える。
自分が、俳句における二〇一六年的な現象として取り上げたいのは、かつてあった求心力の消失によって生じた空白を埋めるような、いくつかのモーメントについてだ。
②トリックスターの活動と、二十代の俳人たち
そのような環境下、それまで俳句と無縁だった人を巻き込み、注目を集める俳人がいる。
夏井いつきは、テレビ番組「プレバト!!」の「赤ペン先生」として、すっかり俳句の「顔」になった。
もちろんそれ以前から、夏井は「いつき組」「一〇〇年俳句計画」において、組織的にも出版活動においても、さらには表現内容についても、旧来の結社とは違う「カジュアル」なオルタナティブを志向し展開してきたのだし、さらにそれ以前から、俳句の普及活動(「俳句ライブ」)につとめ、それを職業化してきたのだから、現在の活躍は、まさに所を得たものと言えるだろう。
同心円のひかりに咲いて白鳥は 夏井いつき
北大路翼は、句集『天使の涎』によって「第七回田中裕明賞」を受賞した。
彼は「街」(今井聖主宰)に所属しているけれど、活動の軸足はグループ「屍派」にある。その集団は、北大路が、新宿歌舞伎町を中心とした俳句ライブ、ゴールデン街の酒場を主宰しての連夜の句会活動などによって、北大路が周囲を巻き込んでいった結果生じたものであり、ネットを通じて同時性のある発信をすることもふくめ、どこをとってもオリジナリティにあふれている。
街路樹がどこも伐られて風邪流行る 北大路翼
夏井、北大路の二人は「運動としての俳句」に自覚的な積極的組織者であり、いわゆる俳壇とは別の、いわば自前の「舞台」で活動している。
佐藤文香もまた、結社や協会の序列から離れた場所で、俳句の「顔」の一人になりつつある。
小学館から刊行した『俳句を遊べ!』という入門書は、長嶋有、又吉直樹らをゲストに迎え、俳句の価値や考え方を、俳句の内部で言い馴らされた説明によらず、一から伝えているが、それは佐藤が初心者向けののワークショップを多く行うことで培った、オリジナルの方法である。また二〇一七年には、佐藤編による若手アンソロジーの刊行(左右社)が予告されている。
台風や飛行機を降り手の長さ 佐藤文香
公開句会「東京マッハ」は、作家・評論家の千野帽子、長嶋有らが運営する公開句会だ。注目の文化人や人気俳人をゲストに、句評における丁々発止のやり取りなど、才能にめぐまれた書き手による言語的離れ業を見せる場として、年数回、百人単位の観客を集める。
これらの従来の境界を超えて活動する書き手たちが「トリックスター」と呼ばれることを肯うかどうかは分からないけれど、彼らには、自らの吹く笛で人々を魅きつけるカリスマがある。
そして、とりわけ北大路と佐藤の場合、彼らが伝える俳句の価値は、彼ら自身の作品が、俳句の「外」にいる読者に普通に届くものであることに、基づいている。
そういった既存の俳句の外側にある関心や活動が、俳句のインサイダーが考える俳句に、接続していく未来があるのかどうか。それは分からない。
現象的には、桂信子が「月刊ヘップバーン」などについて「そういうのとこっちの俳句と一緒にされたら困る」(インタビュー「証言・昭和の俳句」1998)と語ったことを連想させもするのだけれど、今しているのは、それから更に二十年が経過して、桂信子もいなくなった結社と協会からなる俳句界は、このまま進んでいけるのだろうかという話だ。
そういえば、俳句甲子園を経由した若手俳人について、結社に入らないことで限界に突き当たるのではないかと危惧する声があった。
中原「自分たちで固まっているのはいいけれど、まずはいろいろな結社を見つけて、リゴリズム(厳格主義)ではないが俳句の基礎を体の中に入れてから、作風を壊せばいいと思うんだが。受け皿がないのもだから、「今さら結社に入りたくない」という人が多いんでしょう。その行く末はちょっと気にかかる」
小澤「自分たちで楽しめたらいい、うるさいことは聞きたくないという感じなんでしょうか。残念だなあ」
(……)
中原「若い人たちが結社に入らないのは、大結社にはいわゆるヒエラルキーみたいなのがあるでしょう(…)やっぱり旧態依然というか、そのヒエラルキーがいやなんじゃないかなあ」
小澤「恐れずに、結社に入ってきてほしいですねえ。毎回の投句毎に、責任を持って、育てるという意志を持って選にあたる指導者を戴いてほしいと思います。選者と向き合って作っていくことで育つということがあると思うんです」(『俳句』2017年1月号「特別座談会・今年、この俳人から目が離せない!」より、中原道夫、小澤實の発言)
今井聖は、主宰誌「街」の二十周年記念号において「師系の内側と外側」という特集を組んだ。今井は「従来の師系重視の俳壇ヒエラルキーが変化し」つながりが多様化したという声も「大勢は変わらない」という声もあるとしつつ、若手俳人に、どういう意識で「師系」に連なるのか、あるいは、その外側に活動場所を求めるのかを、問うている。
中原、小澤、今井という主宰誌を持つ三人に共通するのは「結社に入る」「師系の内側に立つ」すなわち師に就くこと、誰かの弟子になることが、連綿と受け継がれてきたシリアスな俳句の世界に参入することだ、という認識だ。
今井は、若手たちの選択が文学的志向ではなく世に出る効率という観点で行われているのではないかと疑い、中原、小澤は、若者はうるさいのが嫌なんだろうと、感情ベースの問題だと思っている。
しかし、そういう話ではないのではないか。
やはり2016年の年末に出た「角川俳句年鑑2017」では、「年代別収穫」に今年から「二十代・十代」のセグメントが生まれ、担当執筆者の鴇田智哉が「気付いたら、十代、二十代の俳句の人、すっかり多くなった。私が俳句を始めた二十年前とは、数が違う」と書いている。
挙げられている名前に大学生が多い。堀下翔、大塚凱、安里琉太、青本瑞季、青本柚紀、青木ともじ、宮﨑莉々香らは、出身高校はさまざまだが、俳句甲子園の常勝校・開成高校の指導者でもある佐藤郁良の「群青」に属している。平成25年にスタートした同誌が、俳句甲子園出身者が俳句を続けるための受け皿となったことの寄与は大きい。
この年代の層の厚さは、十年前、神野紗希、佐藤文香、山口優夢、谷雄介らが学生だった当時を思い出させるのだけれど、彼らを定期的に句会に集めていたのが「群青」を共同代表として創刊した櫂未知子だった。「群青」ははじめから「若手を結集」することを目的とした俳誌であり、非常にユニークだ。
島田牙城の「里」にも若手が多く入った。堀下翔、青本瑞季、青本柚紀、小鳥遊栄樹は「群青」と「里」の両誌に属しており、他に、中山奈々、佐藤文香もいる。
「群青」の佐藤・櫂は、中原道夫のいうリゴリズムに近い、現行の俳句のルールや方法論を厳格に運用する立場の指導者だけれど、たとえば彼ら大学生の作品には、必ずしもその指導の影響を見出しにくい。また「里」は島田自身が「お世話係代表」と名乗る同人誌であり、ひとつの価値観や方法を掲げる体質ではない。若手たちは、自分が勝手に成長できそうなスペースを確保することを、優先して動いている。
彼ら世代が、特定の俳人の指導を受けることなく、作家であろうとする意志は、動向として明確にあらわれている。
彼らと個別に話をすると、それぞれ意中の現存俳人をもっていて、同時代俳句の試行の価値は大いに認めているのだけれど、それと、従来の俳句の「指導」や「修練」を是とすることは、別なのだ。彼らは、新人賞への応募などには総じて熱心であり、同時代の俳句を担う意志は大いにあるのだけれど、特定の価値観や方法をディシプリンとして受け入れることには、意味を認めないらしい。
もちろん既存の結社に属し、その価値観の内側で書いていこうという若手もいるけれど、彼らはしばしば、平均年齢六〇歳〜七〇歳を超える結社の秘蔵っ子として、それぞれの場所で孤立している印象がある。どの結社も、もちろん平均年齢は六〇〜七〇歳を超えている。
若い俳句作家が、結社よりも同年齢集団に属することのほうが生産的だと考えている現状は、トリックスター的な俳人の活躍と軌を一にする現象だ。
それは、これまでの俳句の行き方に残された可能性の減少に、対応しての行動だと思う。
かつて、結社に入って誰かの弟子になることは、俳句の「中心」に連なることだった。その「中心」とは、いわゆる俳壇のヒエラルキーの「中心」であると同時に、同時代の俳句が目指す価値の「中心」でもあったのだけれど、現在、その序列に連なることは「本気の」俳句を書くための、選択肢の一つであって、それ以上ではない。
そういえば、櫂未知子も、最近は保守本流の代弁者というポジションに収まっているけれど、元来、トリックスターに近い立ち位置の人であった。彼女の十年来の活動も、俳壇にオルタナティブ、つまりもう一つの選択肢、もう一つの居場所を創り出すことを志向していたのかもしれない。
③俳句史への再接続と、個々の探求
同時代の俳句に「中心」が見出しがたいということは、かつて俳句が集団として目指していた「高み」の価値が、不分明となっているということでもある。言い換えれば、ジャンル内部の美的規範が説得力を弱めているということだけれど、しかし、それと関わりなく、個々の俳人による孤独な探求がたゆまず行われていることも、確かだ。
平成25年に同人誌「白茅」を創刊した中田剛は、「翔臨」(竹中宏代表)に「飴山實ノート」、「円座」(武藤紀子主宰)に「宇佐美魚目ラビリンス」という、二つの注目すべき仕事を継続している。
飴山實、宇佐美魚目は、ともに中田が親炙した大俳人であり、主宰誌をもたなかったという共通点がある。二人に年代の近い、飯田龍太、森澄雄、藤田湘子、金子兜太、能村登四郎といった俳人がそれぞれの結社に多くの会員を所属させたことと対照的に、宇佐美・飴山には、それぞれに豊かな人的交流があったにもかかわらず)「孤絶」という印象すらある。
中田の文章は、結論を急がない。どこかへ向かうというふうですらなく、あるときは一句を取り上げ、あるときは発言や文章の断片を取り上げて味読し、そこからゆっくりと俳句のことを考えていく。すでに五年にわたる両連載だけれど、おそらくは、ライフワークとして想定されているはずだ。
宇佐美・飴山の孤立(とあえて言えば)それは、中田の孤立でもある。いや、中田剛が孤立しているという意味では、竹中宏はもちろん、長谷川櫂ですら、すっかり孤立して見える。
気がついてみれば、俳人の名の連なりとしての俳句史、あるいは精神的系譜としての俳句史が、ひどく見えにくくなっているのが、俳句の今日であった。
しかし、たとえば、飴山・宇佐美の二人が希求した価値は、まだ価値として失われずそのままに存在する。そのことを明らかにしていく中田の仕事は、俳句史への再接続の試みであるように見える。
道に迷ったら、迷ったところまで後戻りして、またやり直すしかない。かつてあったシリアスな俳句から、自身の現在へと線を引き直すことは、いまや各人の責任となったのかもしれない。
山鳩は山鳩を連れ冬に入る 中田剛
なすびみな鞍のごとしや艶やかに
平成七年生まれの堀下翔は、昨年末「いまこの時代に確かに俳句を書いている我々が俳句史の空白を是としてよいのだろうか。我々がリアルタイムで読んでいる俳句はいったい何者なのだろうか(…)僕の夢は、未だ手つかずに近い昭和後期以降の俳句史に実態を与えることだ」と書いた(「俳句あるふぁ」2016年12月・1月号)。
彼は「里」誌連載の時評において鍵和田秞子、岡本眸の再評価を試みるなど、昭和後期から平成の俳句を、積極的に意味づけようとしている。彼の試みが、俳句の同時代精神のありかを見出し(中田とは違う形になるだろうけれど)俳句の現在を俳句史に再接続することを期待したい。
春の雲花入れし炉のつめたさに 堀下翔
水くらくあをぞらうつす松ぼくり 同
澤好摩の率いる同人誌「円錐」が、2011年の50号以来五年にわたって連載した「戦後派俳人作品鑑賞」は、昨年70号でいったん区切りを迎えた。戦後俳句のいわゆる代表句一句一句に対して、俳句としての価値を問い直す読みをぶつけていく試みは、まさに俳句史を現在につなぎ直そうとする意志によるものだろう。
手の皺を抓みて高し鳥帰る 澤好摩
暗きよりセロリの出たり乳母車 山田耕司
昨年は多くの句集が出た。第四回星野立子賞を受賞した『櫻翳』(藺草慶子)は、観念的なアイディアを、暗い抒情に展開したドラマチックな句が、高く評価された
その翳のにほひなりけり藤の花 藺草慶子
月光や葎を抜けて遊び蔓
暗い抒情、ドラマ性といえば『寒林』(髙柳克弘)にもその傾向は見られる。
人は鳥に生まれかはりて柿の空 髙柳克弘
雪投げの母子に我は誰でもなし 同
観念性とドラマチックな身ぶりは『羽羽』(正木ゆう子)『片翅』(高野ムツオ)の持つベクトルでもあり、平成俳句のひとつの鉱脈となりつつあるのかもしれない。
十万年後を思へばただ月光 正木ゆう子
全身をたましいとして蛇眠る 高野ムツオ
『フラワーズ・カンフー』(小津夜景)は、とつぜんと言っていいような現れ方をした作者の第一句集。一句に音韻的なアイディアとサブテキストを交叉させる方法は、加藤郁乎や摂津幸彦の方法を思わせる。
あたたかなたぶららさなり雨のふる 小津夜景
あさがほのかたちで空を支へあふ
機会詩的な即興と連作と音韻の強調を前面に出した『夢想の大地におがたまの花が降る』(四ッ谷龍)とともに、俳句には方法的実験の余地が多く残されていると感じた。
君は墓石(はかいし)小田急線に乗り西へ 四ッ谷龍
鴇田智哉を中心とした同人誌「オルガン」のメンバーが、それぞれの領域を持ちながら、共通の方法意識のもとに作品を展開しているように見えることも興味深い。
むづかしい祈りやさしいかたつむり 鴇田智哉
たけのこに躓くとアイコンが光る 田島健一
あれははやしのうまおいだってやさしい怪物が言ってた 福田若之
二階建てバスの二階にゐるおはやう 宮本佳世乃
「オルガン」のメンバーでもある生駒大祐は、第三回摂津幸彦賞を受賞し、同賞の一人審査員であった関悦史から絶賛を受けた。そのポエジーの抽象性は、中田剛、あるいは村上鞆彦の志向するところにも近い。
地を掃きし箒濡るるは鳥曇 生駒大祐
手に団扇宵の渚のあるばかり
半分の空は雨降るさるすべり 村上鞆彦
水落ちて水に音生む暮秋かな
④まとめ
二〇一六年の俳句界は、この二十余年変わらない求心性の低下の過程上にあり、ジャーナリズムは序列的秩序の追認においてのみ機能し、同時代俳句の可能性・方向性を示すことに成功していない。
いわゆる俳壇とは別個に活動する俳人が俳句の「顔」となり、若手俳人も同年齢の集団に属することに軸足を置くという現象は、俳句のメインストリームの継承がいったん途絶えたような状況の反映ではないだろうか。
とはいえ、ジャーナリズムの空白を埋めるようなかたちで「俳句史への再接続」という遠大な仕事が、個々の探求として試みられている。作品的にも、従来の平成俳句の主流をなした傾向、すなわち生活詠、了解性、日常性、レガシーへの順接等とはまた別の、多様性が生まれる兆しがある。
筆者の管見によって、取り上げられなかった成果や試行については、他の書き手が言及して下さっていることと思う。
Posted by wh at 0:40 1 comments
