【週刊俳句時評89】
結社のこれからetc. (3)
「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号から
上田信治
≫(1)
≫(2)
この夏刊行された、結社誌の記念号の話の、最終回です。
4.
小澤實主宰「澤」は、毎年、記念号として、本来総合誌に期待されるような高い視点に立った特集を組みます。
1周年の記念号から、毎号の特集テーマを挙げてみましょう。
1周年記念号「風景句」
2周年記念号「季語を楽しむ」
3周年記念号「特集1・恋の句 特集2・北園克衛」
4周年記念号「挨拶句」
5周年記念号「大正十年前後生まれの俳人」
6周年記念号「久保田万太郎」
7周年記念号「二十代三十代の俳人」
8周年記念号「田中裕明」
9周年記念号「定例句会百回」
10周年記念号(3号連続)「1 角川賞相子智恵と新撰21」「2 澤の十年」「3 通信句会百回」
11周年記念号「永田耕衣」
12周年記念号「震災と俳句」
13周年記念号「アナザー文学としての俳句」
壮観と言っていいでしょう。
「作家特集」の筆者の選択など、まさにこの人という人が選ばれて、必読の内容となっています。
http://www.sawahaiku.com/ebook.html
上記ページから問い合わせれば、PDFファイル版が入手できる号も多いようです。
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14周年の今年は、7周年目につづく若手特集「五十代以下の俳人」。
「五十代以下」が若手かという、俳壇内外からのつっこみは、甘んじて受けましょう。だって、七年前の若手特集のときは、猿丸さんがまだ30代だったんだから、しかたないじゃないですか。
目次は、こちら。
青木亮人、今井聖、片山由美子、坂口昌弘、仁平勝各氏による「意中の五十歳以下の俳人」、「群青」「玉藻」「天為」誌の50歳以下会員の紹介、「澤」50歳以下俳人を代表して、相子智恵、池田瑠奈、押野裕、限果、榮猿丸、椎野順子、瀬川耕月、野崎海芋、堀田季何、森下秋露の自選20句、など、非常に盛りだくさん。総ページ332ページの大冊です。
筆者(上田)は、若手要覧記事「五十歳以下の俳人二百二十人」を作成し、小澤主宰との対談記事に参加しています。
小澤 俳句という詩型にとって、今新人は誰なのか、どうなっているのか、ということは、いつも関心をもっているつもりです。それから「澤」という会をやっているからには、「澤」の新人の世に出てもらいたいという思いも、もちろんあります。それから俳人協会で、会員の高年齢化について考えるという機会があって、それもこの特集に関係しています。
(対談「新人輩出の時代 五十歳以下の俳人を読む」より)
15000人を数える俳人協会会員のうち、50歳以下の会員は300人に「遠く」満たないのだそうです。遠く満たないというのは、220人くらいってことでしょうか。確実に2%切ってる。
そんなもんですかね。
ここで、ぎょっとしたほうが「記事っぽい」のでしょうが、自分の知り合いで、俳人協会の会員に積極的になりたいっていう人も、そんなにいない感じですし、こんな数字に危機感をもってもしかたがない。
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要覧記事「五十歳以下の俳人二百二十人」(以下「要覧」)について。
どうやって作ったかと言いますと。
この7年の、角川「俳句年鑑」、総合誌、各新人賞の予選通過者、結社内部からの推薦、そこに澤誌から10人程を加え、300人超の作家をまずリストアップ。
それぞれの半年分の作品を、俳句文学館でコピーしたり(手伝ってもらいました)、結社内のお知り合いに写メして送っていただいたりして、集めまして。あとは、一人で読んで、一人で選びました。
半年分と区切ったのは、それくらいなら全部読めると踏んだからです。
引用句数は、一人1句〜4句。
そこに傾斜をつけたのは、読者のお楽しみのためでもあり、自分の考える作家の重要度を示したかったからでもあります。
半年分の作品から、何句でも引用したくなる、あきらかに「今」充実している作者がいる。そのことは、見て分かるようにしたかったのです。
そして、約90人の作者に短評を付しました(「2行で作家論」を目指しました)。
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作ってみて感じたことは、いろいろあります。小澤主宰との対談では、
「書き手には旬がある」
「作家は固まって出る」
「この十年は、新人輩出の時代」
「心象優位の時代」
「取合せは試され「過ぎ」?」
といったトピックに触れましたので、それ以外のことを書きます。
◆「作者はいる」
遠藤千鶴羽、川里 隆、北沢雅子、金子光利、本多 燐、岩上明美、益永涼子、塩見明子、吉田昼顔、川越歌澄、日隈恵里、小関菜都子、堀木基之、橋本小たか、竹下米花、紺野ゆきえ、服部さやか、藤井南帆、紀本直美、原田浩佑、稲垣秀俊といったお名前、恥ずかしいことですが、これまで意識したことがなかった。しかし、結社誌等にたいへん充実した作品を発表されています。
ここに、自分にとって既知である、依光陽子、近 恵、甲斐由紀子、望月 周、高室有子、斎藤朝比古、辻美奈子、彌榮浩樹、馬場公江、月野ぽぽな、内村恭子、小倉喜郎、杉山久子、男波弘志、青山茂根、飯田冬眞、山田耕司、押野 裕、山田露結、津川絵理子、高山れおな、五島高資、榮 猿丸、相沢文子、佐藤郁良、杉浦圭祐、鴇田智哉、関 悦史、後閑達雄、九堂夜想、花尻万博、立村霜衣、塩見恵介、明隅礼子、田島健一、原 知子、曾根 毅、岡村知昭、堀本裕樹、宮本佳世乃、三木基史、中内亮玄、鶴岡加苗、五十嵐義知、如月真菜、篠崎央子、矢野玲奈、相子智恵、髙勢祥子、森下秋露、小川春休、池田瑠那、阪西敦子、西山ゆりこ、山下つばさ、日下野由季、北大路翼、津久井健之、藤 幹子、村上鞆彦、藤本夕衣、御中虫、冨田拓也、佐々木貴子、髙柳克弘、南十二国、藤井あかり、矢口 晃、大谷弘至、杉田菜穂、松本てふこ、涼野海音、神野紗希、西村麒麟、小川楓子、外山一機、佐藤文香、山口優夢、谷 雄介、野口る理、兼城 雄、生駒大祐、平井岳人、福田若之、三村凌霄、小野あらた、堀下 翔という作家を加えてみれば……。
俳句の若手の人手不足を嘆くことはない。あるいは、人手は足りないのだけど、作品は生まれているといえるかもしれない。
いや、みなさん、素晴らしいですよ。飛行機に乗るときは、別々の便に乗ってくださいね。
◆「作家は十年か?」
小澤主宰との対談で、自分は、山本夏彦が繰り返しエッセイに書いている「のぼって三年、維持して三〜四年、下降して三年」ということを引き合いに出して、「書き手には旬がある」ということを言いました。
小澤さんは「俳句もそうですか。もっとじっくり変化していくという印象ですが、そうでもないですか」と、やんわりと異を唱えられた。
そのあと、いろいろ考えたんですが、たとえば阿波野青畝でいえば『萬両』(昭和6)『國原』(昭和16)ときて、『春の鳶』(昭和27)には〈水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首〉がある。『紅葉の賀』(昭和37)には〈月の山大国主命かな〉がある。
青畝、爽波、敏雄のような作家は、30年から40年にわたって、一と山二た山と、作品の展開があり、大俳人というのは、えらいものだな、と思います。
たぶん俳句においては、「マンネリ」「反復」が前提になっているということと、そして、作品の「打率」「歩留まり」が低くて当たり前とされていることが、作家の「持ち時間」を増やしている。
あるいは、高齢作家の、手に入った技術の自動運転のような作句ぶりが、しばしば高く評価されることを見ると、俳句の場合「作家性」というものの意味が、どこか違っているのかもしれません。
それにしても、他ジャンルの標準からすれば、十年というのは、ふつうに優秀な創作者が「一つの方法」の可能性を試し尽くすのに十分な時間だったりします。
自分の印象によれば、多くの作家の場合、第一句集、第二句集に最良の達成があり、六十代でもう一勝負チャンスがある。
今回の「要覧」でも、若くして注目された作家が、現在、生彩を欠いていると見えた例は少なくなかった。俳人も、十年書いていれば、正念場がおとずれます。
作家が、この世に持ちこむものは、たった一つのものだと言う人もいます。たぶんその「たった一つのもの」のための「方法」が、「もう一つの方法」へ変成し、展開していくことが、もう一と山を作るためには必要なのでしょう。
◆「結社の風(ふう)というもの」
今回、総合誌と年鑑の掲載作家の名前を収集することから作業を始めたので、「結社」に属する作家が中心のリストとなりました。
思ったのですが、結社やグループには「風(ふう)」というものがありますね。
語調を引き締めるという意識があるグループと、ないグループ。了解性に重きを置くグループと、そうではないグループ。作者も作品もはっきり違う。
たとえば、了解性に重きを置くのは「狩」「銀化」「ホトトギス」などです。語調を引き締めてくるなと感じたのは「未来図」「澤」など。語調を引き締めないと言ってしまうと、悪口になるので言いませんけど、総じてゆるやかだったり、緩急がなかったり、というグループもある。
俳句性というものをどう考えているのかが、自分には理解できないグループもありました。
そういえば、このことについては、長嶺千晶さんの「晶」のもうすぐ出る号に、小文を書かせてもらったんでした。
結社は、ある俳人が夢見た俳句を「上位概念=理想」として、分け持つ集団である。
集団内の作品や作者の価値は、その「理想」に照らして測られ決定される。つまり「理想」は、兌換貨幣における金【ゴールド】のようなもので、それは集団の内部においてもっとも上位の、公的【パブリック】な価値である。
しかし、集団の外ではどうか。
他集団の成員は「よそ」の作品とそこに含まれる「理想」を、ためらうことなく自分たちの「理想」に照らして値付けするだろう。(「晶 no.9」「エスペラントの夢」)
秋桜子の離反以来(昔ですね)、結社が複数存在するということは、イコール、それぞれの結社が中心とする価値が、互いにとって地方通貨のようなものにならざるを得ない、ということです。
しかし、それらのローカルな価値は、必ずよりパブリックな価値によって裏書きされている(はずです)。そう信じているから、今回、90を超える結社・グループに属する作家を一人で読むということが可能になるわけですから。
よりパブリックな価値とは、つまり、「いい俳句」という諸理想の理想、「上位概念の上位概念」であるわけです。
とすれば、作家が、結社に拠るということは、心によりパブリックな価値を秘めつつ、ローカルな価値に殉じることでしょうか。
もともとそれ以外に道はないのだと、小澤さんなら言うかもしれない。小澤さんは「座」がなければ「俳句」はない、と考えているはずなので。
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今回、記念号を取り上げた「未来図」「玉藻」「鷹」「澤」は、4誌それぞれ、違う理想や夢を集団として分け持って、その生命力を保っている。
それは、かなり驚くべきことです。ミームの多様性という意味では、間違いなくよいことでしょう。また、それぞれの記念号の特集記事から、結社というものの生産力を再認識しました。
一方で、それぞれの価値が、測り合い、試し合う「市場」がないという現状、総合誌よりも結社誌の特集号にジャーナリズムが存在するという現状は、俳句というジャンルに「運動」が生まれるチャンスを、限りなく遠ざけているように思われます。
たとえば、これら4誌が電子化して、ただで、誰でも読めるようになったら、どうでしょう。状況は変化するでしょうか。
誰も読まないかなあ、、、でも、評判が、一句単位とか、一エッセイ単位で流通するようになったらどうだろう。諸価値の行き交う市場が、芽生えやしないか。
いやそれは、www(ワールドワイドウェブ)草創期の夢ですね。今となっては、草不可避ってやつかもしれない。
「澤」はPDF版の販売がある(記念号は1冊1000円)ということ、あらためて記しておきます。
(この項終わり)
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2014-08-03
【週刊俳句時評89】 結社のこれからetc. (3) 「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号から 上田信治
Posted by wh at 0:06 0 comments
2014-07-27
【週刊俳句時評88】 結社のこれからetc. (2) 「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号から 上田信治
【週刊俳句時評88】
結社のこれからetc. (2)
「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号から
上田信治
≫(1)
前回につづいて、この夏に出た4冊の記念号の話題。
2.
1930年創刊の「玉藻」は、今年7月号で通巻1000号となり、あわせて、星野椿から星野高士に主宰が交替しました。
300Pを超える分厚いこの号は、とうぜん、立子、椿、高士の三代の人と作品についてを中心に編集されているわけですが、とりわけ印象的だったのが、筑紫磐井による星野高士作品論でした(星野立子作品鑑賞は後藤比奈夫、星野椿作品論は神野紗希がそれぞれ担当)。
「超越する文学 ── はじめての星野高士論」と題されたそれは「このごろ気になってならないことがある。我々は団塊の世代を含む戦後世代といわれているのだが、お互いが作家論を書き合うということが、極めて少ないのだ」とはじまります。
「長谷川櫂や小澤實の同世代の作家論で膝を打つようなものはあまり読んだ記憶がない」戦後派作家が、お互い辛らつな批判をしながら支え合ってきたのと対照的に「戦後生まれ作家は批判も共感もしていないように思えてしまう」のだ、と。
それは戦後派作家(金子兜太、飯田龍太、髙柳重信、森澄雄、三橋敏雄、能村登四郎 etc.etc.)たちが、「俳句史」を戦後五十年にわたって占有していたということで、それを許したのは、兜太や龍太に首ったけでありすぎた戦後生まれの筑紫たちだとも言えそうですが。
小川軽舟による、いわゆる「昭和三十年世代」論は、団塊世代をまたぎこして、自分たちが「俳句史」を継承しようという試みでしょうし、長谷川櫂論や岸本尚毅論なら、福田若之や生駒大祐のような、昭和がもともと歴史でしかないような最も若い世代による成果が現れています。(小澤實論は、まず、われわれが小澤による藤田湘子論を手にしてからなのかもしれません)。
ともあれ、このままでは、現在60代70代の作家が丸ごと俳句史的に埋没してしまうかもしれないわけで、「Blog俳句空間」に「沖」の青春群像を書き継いでいることも含め、筑紫には、自身の同時代を俳句史に纂入するというモチーフがある。
●
「玉藻」記念号に戻りましょう。
星野高士(昭和27年生)自身の「難しい技巧を凝らしたり、難しい言葉や時を使ったりする句だけが、いい句だとは限らない」という言(牧羊社刊・第一句集『破魔矢』あとがき)を引用し、筑紫は、星野が「難しい句を簡単に書く」という「難しい道」を選んでいるのだと述べます。
外を/見て/句を/作る/部屋/暖かし 『破魔矢』
落葉/掃く/その/又/後を/人が/行く
冬の/日の/今日/又/強く/差し/こめり
(スラッシュは、筑紫による)
筑紫は、これらの句が、六文節から七文節で構成されていること、星野の句が多くの現代作家にくらべ、構文が複雑で、多くの内容が盛り込まれ、音律構成の自由度が高いことを指摘します。
北風に普段より歩を早めをり
爽やかに流れるやうに事運び
つまらない話続けど初笑ひ
「普段より」「流れるやうに」「つまらない」といった、間延びしたような長音節の後も、短音節を駆使することによって引き締めることが可能であり、だから高士句は、平易な言葉を使いながら、表現が緊密であり、音調が整っているのであると言うのです。
句中の語の運用、構成だけに注目し作家の特質を語りきるところは、『飯田龍太の彼方へ』において、成田蒼虬との句末の語彙の共通から、龍太句の「月並」性を抉り出した手際そのままのあざやかさ。まさに「見物」です。
筑紫は、高士俳句が「句集が出るたびに(…)新しい世界が登場するわけではない」と書き、それは「失礼なことを言っているよう」だけれど、近代的文学観に異を唱える存在である「ホトトギス文学」の、嫡流として当然のことだと述べます。
その結論自体に特に異議はありません。それは、つまり「芸」としての俳句(というか、俳句は「芸」である)ということでしょう。
ただ、その場合「ホトトギス文学」が「カルチャー(スクール)俳句」へと低落することの歯止めはどこから得られるのか、と、そこが自分には気になります。
ホトトギスを含む近代俳句の根拠には、俳句が「芸」でありつつ「文学」だということがある。それは、『俳コレ』の松本てふこ論において、筑紫自身が語ることでもあります。俳句を高濱家の「お家芸」とした虚子だって、青年期には文学を「男子一生の事業」とする時代の子の一人だったわけですから。
星野高士の俳句には(作家本人の「宗匠」ぶりの印象に反して)「俗情におもねる」こと、「自分で気持ちよくなってしまう」ことが、極めて少ない。その清潔さには、同時代の他の作家が「ちょっと恥じ入ってもいいんじゃないか」と思われるほどの、強さがあります。
そして筑紫も指摘する星野の都会性には、なんていうんでしょう、近代文学のマイナー作家による「非人情」なエッセイの系譜(近年人気の小沼丹とか吉田健一とか)に、位置づけてみたくなるようなところがある。
高士俳句の「文学」性についても、忘れないでほしいと思うわけです。
二の酉の夜空に星の混んでをり 『残響』
大瑠璃やけふの約束なにもなし
人参の皮の方だけ吾を見る
冷蔵庫の音か夜明けの来る音か
ところで、「玉藻」を創刊した星野立子は、もっぱら「天性の素質」「素直」「単純」「天真爛漫」「明るさ」「広やかさ」と言った言葉で語られます。それは要するに「天然」性とも「天才」性とも呼べる、作家の持ち分のようなものです。
俳句には、愛すべき「天然」の「天才」を理想とする系譜があります。
それはじつは近代以降のもので(勘です)、虚子がその才を愛した「天然」性の強い作家たち、素十、杞陽、爽波ら、そしてなにより立子によって、定立されたものかもしれない。
高士句は、一見するところの無内容さをもって、彼ら譲りの「天然」性「天才」性を志向するかに見えます。
しかし一方で、かんたんに立子・椿のようには(あるいは杞陽・爽波のようには)「可愛く」なれない、そういった屈託あるいは屈折のようなものを滲ませる。上に引いた句それぞれに、それは感じられます。
それは、まあ、時代が違うということなのかもしれませんが。 その屈託のゆくえに現れるものを、見守りたいと思います。
3.
「鷹」の五十周年記念号は、その別冊「鷹年譜 鷹の百人」によって、記憶されるでしょう。
藤田湘子、飯島晴子にはじまって、髙柳克弘、南十二国、そして現主宰の小川軽舟で終わる、「鷹」百人の人名録は、それぞれ15句の代表句と、略歴・人物評・一句鑑賞をもってなる懇切なものです。
一人一人に「質直なる抒情家」「笑意の人」「彗星の如く現れ、去る」といった、キャッチフレーズがついていることも面白い。
なにより、「鷹」と道を分かった多くの俳人がそこに含まれていて、読み応えがあり、いろいろなことを考えさせられます(ちなみに「彗星の如く現れ、去る」は、辻桃子に冠せられたフレーズ)。
倉橋羊村、高山(秦)夕美、鳥海むねき、しょうり大、宮坂静生、平井照敏、仁藤さくら、四ッ谷龍、冬野虹、辻桃子、小林貴子、菅原鬨也、中西夕紀etc.
それらの人の名がここにあり、彼らに呼びかけるようにその作品や人柄が懐かしく語られること。そこには、あまりにも繰り返し語られた「恩讐」の物語から自由になろうとする、結社の(あるいは小川主宰の)強い意志が感じられます。
もちろん、小澤實の名もそこにあるわけですから。
(先日、ある人が、小川の第三句集『呼鈴』のあとがきに、小澤の「呼鈴」の句が引用されていることに、強い印象を受けたと言っていました。その人は、BL読みも辞さずの人であり、たいへん興奮されていました)
この冊子で、結社外では必ずしも知られていない多くの作家の句に触れられたことも、うれしかったです。
春の山山を忘れて遊びをり 伊東四郎
豆の芽の豆かつぎゐるこそをかし 吉沼等外
鳥雲に無垢の電柱ありにけり 伊沢惠
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そういえば、今月関連書籍として『季語別鷹俳句集』『藤田湘子の百句』『飯島晴子の百句』の三冊が出ています(いずれも、ふらんす堂刊)。
『藤田湘子の百句』は、小川軽舟による、一句あたり240文字の繊細で正確な鑑賞文が読ませます。一句として、季語の解説や思い出話でお茶を濁していない。同じふらんす堂から出た同著者の自句自解本より力が入っていると言えるくらいw
〈真青な中より実梅落ちにけり〉について。
どの実が落ちるとわかって落ちるわけではない。落ちて初めて落ちたことに気づく。「真青な中より」は実梅が落ちる直前の無意識の状態を感じさせるのだ。
この「落ちる直前の無意識の状態」には「やられ」ました。
湘子句については、現代詩、前衛俳句の影響が濃い前期と亡くなる直前が(磐井さんの用語を借りれば)音律構成が自由で、たいへん面白いことを再確認しました。
現「鷹」の、とりわけ若い世代の作品からは、むしろ湘子が入門書で展開したメソッドの影響が強いという印象を受けます。
●
「鷹」記念号・座談会「次代へ受け継ぐ短詩形」(宇多喜代子・永田和宏・小川軽舟・司会 髙柳克弘)のラスト近く。
髙柳 私は、自分というものにまだ関心が持てないんです。それが私個人のことなのかこの世代に共通した何かなのかはわからないんですけれど、まだ演じたいというか、自分とは違う主体を作品の中に出したい。自分はあくまでプロデューサー的に後ろにいる存在でありたい。自分の中にある本当の思いをあらわすのに及び腰になっているのかもしれないけれど、それを間接的に作品世界中の演者に出してもらえたらと考えています。
この髙柳の発言は、まず宇多喜代子が「今の自分が自分、虚飾のない今の自分が出ればよろしい」と言い、永田和宏が「自分の時間に忠実に作りたいというのは、このごろ思います」と言い、小川軽舟が「俳句を通して自分を眺めてみたい」と言ったあと、永田に「あなた言わなきゃ、いちばん若いの」と、うながされての上でのもので、場の流れを読んでの発言ということを汲むべき(同情すべき)かもしれませんが、それにしても、髙柳さんちょっと不用意というか、中二っぽい、面映ゆいことを言わされてしまっています。
「澤」7月号での対談で、筆者(上田)は、髙柳ほか数人の作品を指して「キャラ」俳句というようなことを言いました(その通りの語は使っていませんが)。それを裏づけるような発言だったので、我が意を得たりで面白かったです。
(3)につづく。
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Posted by wh at 0:08 0 comments
2014-07-20
【週刊俳句時評87】 結社のこれからetc. (1) 「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号から 上田信治
【週刊俳句時評87】
結社のこれからetc. (1)
「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号から
上田信治
今年、2014年夏、俳句界を代表するいくつかの結社誌の記念号が刊行されました。
「未来図」(鍵和田秞子主宰)30周年記念号、「鷹」(小川軽舟主宰)50周年記念号、「玉藻」(今号より星野高士が継承主宰)1000号記念号、「澤」(小澤實主宰)14周年記念号の4冊。いずれも質量ともにたいへんな充実でした。
駆け足になってしまうのですが、それぞれ紹介しつつ、俳句の現在のトレンド、あるいは、結社のこれからなどについて考えてみたいと思います。
1.
「未来図」30周年記念号(2014.5)には、記念座談会「俳句ー来し方行方」と題し、正木ゆう子、本井英、神野紗希、鍵和田秞子主宰(司会・角谷昌子)の座談会が掲載されています。
非常に印象に残ったのは、「取合せ」についての話。
同誌1月号で、鍵和田が「最近の三、四十代の若い人たちが作っている俳句」に「一物仕立て」が多く「すっと気がついたことをさっと詠んで、時間的にもとても速くて軽くて。あまり苦労もしてなくて。でも本質を得ているような写生でもない」(「主宰挨拶」)と発言していることについて。神野が、必ずしもそういう印象ではないと述べ、、正木、角谷も同調する。
鍵和田「一物仕立ての句、多くない?」正木「どうでしょう?」角谷「取り合わせも多いのでは?」鍵和田「季語そのものを詠んでいるのが目立つ」神野「(私は)取り合わせの方に馴染みがあります」神野「でも、解りやすくなっている、散文的な文脈で読めるのが多くなっているというのは解ります」角谷「『新撰21』などの若い人たちの句は半々のような気がします」(同号p.31)
これだけだと、鍵和田が何か勘違いをしていて、やりこめられたような印象ですが。
しかし、鍵和田の言うのは〈からつぽの空となりたる野分後 今橋眞理子〉〈見えさうな金木犀の香なりけり 津川絵理子〉〈さへづりのだんだん吾を容れにけり 石田郷子〉〈虫売の黙つて虫を鳴かせけり 明隅礼子〉〈てのひらをすべらせたたむ花衣 西宮舞〉〈小説になるかもしれぬ古日記 木暮陶句郎〉〈セーターを脱ぎてセーターあたたかし 斎藤朝比古〉〈しづけさを春の寒さと言ひにけり 高田正子〉〈不可能を辞書に加へて卒業す 佐藤郁良〉〈大切なもの見えてくる螢かな 名取里美〉といった句のことではないか。(引用は、『戦後生まれの俳人たち』作者自選句より)
違うかもしれませんが、自分はそう考えました。だから、三、四十代というより、四、五十代。
神野の言う「散文的文脈」は、これらの句が、文章語のような構文を持ち、そのまま普通文に置き換えられることに当てはまります(それ自体はもちろん悪いことではない)。
鍵和田「細部に目をつけて、一つのことにすっと気がついて、そこをすっと詠むような、そういう傾向がわりと多いように思えたのです」「解りやすさのみが優先するみたいなところがあるので、それでは困ると」「私が俳句を始めたのはその取り合わせによって、大きく深いことを詠めることに魅力を感じたからですね。草田男の「焼け跡」の句(※「焼跡に遺る三和土や手毬つく」)。物と物を取り合わせる。合わせてみると、戦後の絶望している大人の状況や、子どもたちに期待したい思いやら全体が、直感的に感じ取れた。凄い世界だなあ。これは短歌に負けないなと思ったのです。だから、一物仕立てで説明っぽくやってしまうと短歌には敵わない、絶対に」(同p.32)
この状況認識が、草田男の弟子である鍵和田から提出されることは、正当なことだと思われます。
短歌との優劣の話題を受けた、神野の発言もおもしろかった。
神野「多分それは「私性」のことだと思うのですが、俳句だと取り合わせをすると何か私という個人がしゃべった言葉というよりも、もう少し別の誰かが言ったこととか、別の誰かが見つけた何かという感じがあって、それは取り合わせに限らないと思うのですけれども。特に取り合わせの句だと、一人の人間が一人の言葉として喋っているというよりは、一つの真理として、そこに誰か、何か、よく解らないものの力が動いている気がします」「私を離れるということが俳句の重層性にもなるのかなと思いました」「取り合わせはやはり自分の外と出会うということかなと思う。自分の発想の中で組み合わせられるものの、外から来る「私だけではない何か」に出会う」(同)
神野が提出しているのは、関悦史が「俳句において表出される自己とは、現実に人生を送る個体としての自己を、その全てを相対化しうるメタレベルの自己が包摂しつつ、しかし個体性からも遊離しないという二重性の中で生成し続けるものなのだ」(「俳句の懐かしさ」「アナホリッシュ國文学 no.5」2013年12月刊)と書いたことと等しい、俳句の本質に近い論点です。
〈誰かものいへ声かぎり〉〈今も沖には未来あり〉といった言葉は、それが、かつて個人ではなく「誰か、何か、よく解らないもの」の声として現れたから、ご託に終わらない、詩性を持ちえた。
しかし、その方法は、現在どこまで有効なんだろうか、という疑問もわきます。
「取合せ」になっていれば、それが「別の誰か」を導入すると、今もまだ言えるのか。
人間探求派が、その命名以前は「難解派」と呼ばれていたことから分かるように、楸邨、草田男、波郷らのメソッドは、当時の読者に飛躍や驚きを強いるもので、そこに詩としての力があった。現在、人間探求派の代表句を「難解」であると感じる人は、いないでしょう。
方法それ自体は(写生も、ただごとも、二物衝撃も)、必ず、クリシェとなります。そして、それを賦活させるべく、個々の作家による試行が行われる。
結社は多くの場合、一つのメソッドを信奉する「派(スクール)」ですから、いかにそのメソッドをクリシェから救うかという、宿題を背負っています。そのことがどう実現されているかについて、「澤」の記念号の「五十歳以下の俳人二百二十人」というミニアンソロジーを作った経験から、検証できたらいいと考えています。
座談会では、本井英が「「取合せ」は行き詰まっているのではないですか」(同p.31)と述べています(氏の発言の主旨は、季題の本質が追究されていない、ということにありますが)。
筆者(上田)は、その「澤」7月号の、小澤主宰との対談で「取り合わせの手法が、ものすごく常識的で通俗的な感慨をそのまま俳句にすることを可能にしている面がある。これは俳句を「コピーライティング」に近づけます。小澤さんは、俳句がそんなレベルの共感で成立するものであってはいけないと思われませんか」という疑問を呈しました。
「取合せ」が、発話主体の二重化、あるいは無人称化を、必ず保証するということはありません。しかし、それが、神野の言う「誰か、何か、よく解らないものの力」「私だけではない何か」を、俳句に導入するゆえに有効なのだ、という観点は、正鵠を射ていると思います。
そして、その句が「一物仕立て」であれ「季題重視」であれ、もしそこに「誰か、何か、よく解らないものの力」が発生していないのであれば、俳句として何かが欠けている(上にあげた句がそうだとは、言いませんが)。
鍵和田が言いたかったのは、そこではないか、と思うのです。
(この項つづく)
≫(2)
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追記 この「時評」でとりあげる予定の、「澤」7月号で、筆者(上田)は、「五十歳以下の俳人二百二十人」という、総覧的アンソロジーを制作したのですが、いくつか誤りが見つかっております。
「澤」9月号で、正誤表を掲載する予定ですが、誤りについてご指摘いただければ幸甚です。連絡はこちらへ。
現在ご指摘いただいた誤りは、
・相沢文子さんの生年(×昭和43年生まれ ○昭和49年生まれ)
・原知子さんの所属・略歴(×「六曜」「鬼」 ○「六曜」。略歴は原千代さんのものでした)
相沢文子さん、原知子さん、原千代さんには、たいへんご迷惑をおかけしました。この場をお借りしてお詫び申し上げます。
上田信治
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